アキラの物語
赤嶺家の居間。
ひいじいちゃんのスマホから流れてきた“副音声ラジオ”の余韻が、まだ部屋の空気に残っていた。
美香、光子、優子がいったん台所に立ってお茶を淹れに行き、
座卓の前には、アキラと静子だけが残る。
ふと、静子がアキラに向き直った。
「……章」
「うん?」
「今の、じいちゃんの話もそうやけどね。
あんたに、ちゃんと話しとかないかんことが、
もうひとつあるとよ」
アキラは、一瞬だけ身構えた。
でも、逃げるような年齢でも、立場でも、もうない。
「……親父とお袋のこと、やろ?」
静子は、ゆっくりとうなずいた。
「そう。
あの子らのこと、あんた、断片的には聞いとるやろうけど……
“どう生きて、どうやってあんたの親になったか”までは、
ちゃんと話しとらんかったけんね」
アキラは、小さく息を吸う。
「……聞かせて。
俺、自分の親の話、
ちゃんと聞いたことなかった気がする」
◆ 幹也と七海のこと
静子は、仏壇のほうをひと目見てから、語り始めた。
「章の父さん、幹也はね。
安三郎の次男坊やった。
ちょっと不器用やけど、手先が器用でね。
高校卒業して、専門学校出て、
自動車の設計の仕事に就いたとよ。
“いつか自分が関わった車が、
世界中の道ば走るようになったらかっこよかね”って」
アキラが、思わず笑う。
「らしいな……
俺の工具好き、完全にその血やん」
静子も笑って、続ける。
「22のときやったかね。
同じ職場におった一年先輩の女の子と、付き合い始めてね。
その子が、七海さん」
「お袋……」
「しっかり者で、明るくてね。
よく笑う女の子やった。
幹也が“今度母ちゃんに彼女連れて行っていい?”って言うけん、
どんな子かと思ったら、
“あー、この子やったら大丈夫”ってすぐ分かった」
「すぐ分かった?」
「うん。
あの子、玄関上がる前に、
まず靴そろえて、庭の花見て、
“きれいですね、これ章さんが小さい頃からのお花ですか?”って言うたと」
アキラが目を瞬かせる。
「……そんなことまで覚えとると?」
「忘れられるわけなかろうもん。
大事な嫁になる子の、最初の一言やもん」
静子は、ふっと目を細めた。
「でね。
22で結婚したとよ、この二人。
式も披露宴も、派手なことはしきらんやったけど、
幹也が“おれはこの人を絶対幸せにするけん”って、
珍しく大きな声で言いよったの、よぉ覚えとる」
◆ 「章が生まれる」日
アキラは、少しだけ背筋を伸ばして聞いている。
静子は、ことばを選びながら続けた。
「結婚して少したってからやね。
“子どもができました”って、七海さんが照れながら言いに来て。
幹也はもう、はしゃぎまわって」
「想像つくわ……」
「25になった年の春。
あんたが生まれたとよ。
最初にあんたば抱っこしたとき、
七海さん、泣きながら言いよった」
『この子に、
“お父さんとお母さんは、いつも笑いよったよ”って言える人生ば、生きたいです』
静子の声が、そこで少し震える。
「……それ聞いてね。
あたしも“この子は絶対、
笑いのある家で育てんといかん”って思ったと」
アキラは、拳を膝の上で軽く握った。
「……覚えとらんのが悔しいな。
でも、
“そういう人たちやったんだろうな”ってのは、
なんとなく分かる気がする」
◆ あの日のこと
少し間をあけてから、静子は深く息を吐いた。
「……でね。
ここから先は、
正直、ずっと話すの迷っとった部分」
アキラは、黙ってうなずく。
「事故のこと、やろ」
「そう」
静子は、声のトーンを落とした。
「章がまだ、よちよち歩きの頃やった。
幹也が27のとき。
七海さんの実家に、少しだけ顔を出しにいこうってなってね。
“章は今日は、おじいちゃんとおばあちゃんに預けていこうか”って。
あの人たち、あんたのこと、抱っこしながらずっと離さんやったやろ?」
「……うん。
写真でしか知らんけど、
そういうのは、なんとなく」
「それで、あの子ら夫婦は車で出かけていった。
いつ帰ってくるかね〜って言いながら、
あたしたちはあんたと留守番しよった」
静子の目が、少し遠くを見る。
「……夕方やった。
電話が鳴いて。
“赤嶺さんのお宅ですか、警察です”って」
アキラの喉が、ごくりと鳴る。
「幹也たちが走っとった道路にね。
対向車線から、猛スピードで逆走してきた車があったと。
酔っぱらい運転。
高速で、そのまま正面衝突したって」
空気が、少し重たくなる。
「幹也と七海さんの乗っとった車は、
ほぼ原型留めんくらい、ぐちゃぐちゃになっとったらしい。
救急車で運ばれたけど……
ほぼ即死やったって、医者は言いよった」
アキラは、しばらく何も言えなかった。
知っていた。
「交通事故で死んだ」ということは、ずっと前から。
でも、
こんなふうに具体的な状況を聞いたのは、初めてだった。
静子が、ぽつりと付け足す。
「……あの時、章はね。
うちで昼寝しとった。
安三郎が横で、いびきかきながら一緒に寝転んどった。
だから、
事故には巻き込まれんで済んだ。
それだけは、今でも“神様ありがとう”って思うと」
◆ 「残された側」の苦しさ
アキラは、手の甲で目元をごしごしこする。
「……おれさ。
昔、思ったことあったんよ」
静子が、静かに聞く。
「なんで、
俺だけ生き残ってしもうたんやろうって。
親父とお袋の隣で一緒に乗っとった方が、
楽やったんやないかって。
ガキの頃は、
そう思ってまう夜もあった」
静子の目が、きゅっと細くなる。
「……それを言うと、
あの子ら夫婦が怒るばい」
「……うん。
今なら分かる。
でも、当時は…」
「分からんで当然よ」
静子は、少しだけ声を強めた。
「章。
“残された側”の苦しさは、
あんたが一番よう知っとる。
でもね、
“残してしまった側”の無念さも、
きっと同じくらい、いやそれ以上に重たかったはずよ」
アキラが顔を上げる。
「……」
「七海さんはね、
あんたのこと、よう言いよったと」
『この子には、
“あんた、産まれてきてくれてありがとうね”って、
何回も何回も言ってあげたいです』
静子は、まっすぐアキラを見る。
「その七海さんが、
“一緒に死にたかった”なんて思うわけなかろうもん。
“章だけでも助かってくれてよかった”って、
絶対そう思っとる。
幹也も同じ。
だからあんたが、
“生き残ってしまった”やなくて――
“託された”って思って生きてくれんね」
アキラの目から、
音もなく涙がこぼれた。
「……託された」
「そう。
“わしらが生きたかった明日を、
章が生きてくれたら、それでええ”って」
◆ じいちゃんと、父さん・母さんと
そのタイミングで、
台所からそっと美香たちが戻ってくる。
三人とも、
気配で「大事な話が進んでいる」と察していて、
あえて足音を立てないようにしていた。
美香
「……ごめん、途中から聞こえてしもうた」
光子
「でも、
今の言葉は、
私らも聞いときたかった」
優子
「“託された”……
ね」
アキラは、涙をぬぐいながら、半分照れくさそうに笑う。
「なんか、
俺だけ重たいテーマ預かったみたいになってきたな」
美香が、首を横に振る。
「違うよ。
これは、
うちらみんなの話でもあるけん」
光子も、しっかりうなずく。
「じいちゃんが、
“笑いで見送ってくれ”って遺言残してくれたのもさ。
もともとは、
安三郎じいちゃんと静子おばあちゃんが、
“幹也さんと七海さんの分も笑おう”って決めて生きてきた、
その延長線上なんやろなって、今思った」
優子が、そっとまとめる。
「つまり、
うちらの笑いや歌やステージは、
じいちゃんだけやなくて、
父さんと母さんにも、ちゃんと届いとるってことよね」
アキラは、
鼻をすすりながらも笑った。
「……そうか。
だったら、
俺、まだまだ仕事サボれんな」
静子が、ふっと優しく笑う。
「サボったら、
あの世から3人で出てくるばい。
“お前、なにサボっとると〜!”
“ちょっとそこ、もっと強くツッコまんか〜い!”
“リズムずれとるばい!”ってね」
三人の“声”が重なったイメージに、
みんなが同時に笑った。
その夜、
アキラはひさしぶりに、
夢の中で“両親”の気配を感じた気がした。
はっきりとした顔も、
鮮明な声も、思い出せはしない。
けれど――
「章。
生きてくれて、ありがとう」
そんな言葉だけが、
胸の奥に、あたたかく残っていた。
そして翌朝。
アキラは、自分の工具箱にそっと手を置きながらこうつぶやく。
「……よし。
託された分、ちゃんとやるか」
その背中を、
仏間の遺影と、
見えない誰かが、
静かに見守っていた。




