呼び方が変わる夜 福高ルパン三世、世代をまたいで大爆発
◆ 呼び方が変わる夜
福岡高校吹奏楽部のルパン合奏から帰ってきた夜。
赤嶺家のリビングには、いつものように晩ごはんの匂いが漂っていた。
美香
「おかえり〜。今日も遅かったね」
春介
「ただいまー。ルパン地獄終わった」
春海
「もう腕パンパン……」
テーブルの真ん中には、大皿のハンバーグ。
ソースの湯気がふわっと立ちのぼる。
春海
「……あ、ありがと――」
口から出かかった「ママ」が、喉でつっかえた。
(あ、そうや……うち、もう高校生やんね)
(そろそろ“ママ”ってのも、ちょっと…)
一瞬だけ、頭の中でぐるぐる考え込む。
美香
「? どしたん?」
春海
「えっと……
ありがと――」
ほんの少しだけ、勇気を足して。
春海
「……お母さん。」
リビングが、ちょっとだけ静かになった。
春介
「(箸止まる)」
美香
「(ハンバーグ持ったスプーンが空中でフリーズ)」
テレビの音だけが、やけに大きく聞こえる。
春海
「(あっ、なんか空気重くなった!?
やっぱ“ママ”にしとけばよかった!?)」
先に口を開いたのは、春介だった。
春介
「……なんか、
“大人の階段のぼった感”出してきたね?」
春海
「うるさいわ!!」
顔を真っ赤にしてツッコミを入れる妹。
美香は――
ふっと、少しだけ目元をゆるませた。
美香
「……そうか。
高校生なったもんね」
春海
「べ、別に深い意味はないけど。
なんか、その……友だちの前で“ママ”って言うの、
ちょっと照れるだけで……」
美香
「うん、わかるよ。
でもさ――」
美香、ニヤッと笑う。
美香
「寝る前に“ママ〜ぎゅー”って来るんは、
高校生なっても許可しとるけんね?」
春海
「言うなそれをーーー!!」
クッションが飛ぶ。
美香の頭にふわっと当たって、二人とも笑い出す。
春介
「じゃあ俺はどうしよっかな〜。
“ミカ様”とかにしよっかいな?」
美香
「やめんか、それはそれでややこしか!」
◆ 少しずつ、でも確実に
それからの春海は、
家の中ではまだ時々クセで「ママ」と呼び、
気づいたら頬を赤くして「……お母さん、やった」と言い直す日々が続いた。
美香は、そのたびに笑って、
美香
「どっちでもよかよ。
春海が呼びやすいほうで呼び」
と、さらりと言う。
でも、ふとした瞬間に、
キッチンでひとりになったとき、ぽつりと呟くことがある。
美香
「“お母さん”って呼ばれる日が来るなんてねぇ……」
虐待を受けて育った自分には、
「お母さん」という言葉は
ずっと、眩しくて、遠くて、ちょっと怖いものだった。
それが今、自分を指して呼ばれている。
(ちゃんと、守れてるかな)
(この子たちにとって、“お母さん”って言葉が、
安心できる響きになっとるやろうか)
胸の奥が、じんわり熱くなる。
リビングから、春海の声。
春海
「お母さーん! 明日の弁当、ちょっと多めにして!
部活の友だちにも食べさせたいけん!」
美香
「はいはい〜〜! “ミカシェフ”本気出しますよ〜〜!」
春介
「お、出た。ミカシェフの“愛情2倍カロリー3倍弁当”」
春海
「それは太るけんセーブして!!」
そんなやり取りを聞きながら、
美香の中で、そっとひとつ言葉が形になる。
(――大丈夫。
この家の“お母さん”なら、
私でもなれる気がする)
福高ルパン三世、世代をまたいで大爆発
福岡市民会館・大ホール。
客席は満席だった。
福岡高校吹奏楽部、定期演奏会。
第2部は「OB・OGとつなぐステージ」。
現役部員たちの演奏に、卒業生たちの記憶が重なっていく、特別な時間だった。
舞台奥のスクリーンに、少しざらついた昔の映像が映し出される。
《福岡高校吹奏楽部 OB・OGステージ》
《ルパン三世のテーマ ’78 ジャズver.》
映像の中には、若い頃の美香がいた。
ドラムセットの向こうで、少し照れくさそうに笑っている。
その隣には、高校生だった光子と優子。
朱里のトロンボーン、樹里のクラリネット、しおりのフルートも見える。
客席のあちこちから、小さな声が漏れた。
「懐かしい……」
「あの頃のM&Yや……」
「美香ちゃん、若い……」
映像の中の顧問が、指揮棒を上げる。
『それでは、ルパン三世のテーマ!』
当時の音が、ほんの少しだけ流れる。
次の瞬間、会場の照明が落ちた。
スクリーンの映像がすっと消え、舞台が暗闇に包まれる。
そして――。
ぱっと照明が戻った。
そこに立っていたのは、今の福岡高校吹奏楽部だった。
センター近くには、チューバを構える春介。
ドラムセットには、春海が座っている。
顧問が客席を見渡し、静かにマイクを握った。
「それでは。
あの時代から受け継いだ、福高“ルパン三世”の、今のバージョンをお届けします」
一拍置いて、顧問が指揮棒を振り上げる。
「ワン、ツー、ワンツースリーフォー!」
サックスが飛び出す。
会場の空気が一気に跳ねた。
トランペットが軽やかに絡み、トロンボーンが太く押し返す。
春海の右足がハイハットを刻み、スネアのゴーストノートが音符の隙間を滑っていく。
客席後方のOB・OG席。
光子が身を乗り出す。
「……おお、きたきたきた!」
優子も、目を丸くした。
「春海、完全に“美香DNA+自分の色”になっとるやん……!」
美香は、口元を押さえていた。
笑っているのに、目が潤んでいる。
「……うちの子、あんな顔して叩くんやね。本番で」
春介のチューバが、コントラバスと一緒に低音を支える。
ドンッ。
それはただの伴奏ではなかった。
曲全体の床を作る、堂々とした音だった。
顧問は指揮をしながら、胸の中でつぶやく。
――これは、ただの再演じゃない。
――あの頃の音が、ちゃんと次の世代の音になっとる。
サビ前。
木管がユニゾンでフレーズを突き上げる。
金管がそれに応える。
パーカッションが一瞬だけ空気を止める。
そしてサビ。
会場全体が、前のめりになった。
2コーラス目のブレイク。
突然、照明が少し暗くなる。
舞台上手側から、怪盗のシルエットが二つ、すっと現れた。
小さな帽子。
小さなマント。
陽翔と結音だった。
実際に舞台へ出てきたわけではない。
事前に撮影された影絵映像が、照明と重なって映し出されている。
だが、客席から見ると、本当にそこに二人の小さな怪盗が現れたように見えた。
客席から、どよめきと歓声が起こる。
「かわいい……!」
「孫世代ルパンや!」
光子がにやりとする。
「仕込んどって正解やったね」
優子も笑う。
「福高ルパン、ついに三世代制覇やね」
影絵の陽翔と結音が、ピシッとポーズを決める。
その瞬間。
春海のスネアロール。
そして全員で――。
ジャーン!!
会場が揺れた。
ラストは春海のドラムソロ。
強すぎず、走りすぎず、でも確実に熱い。
美香のクセに似ている部分がありながら、最後の抜き方は春海自身の音だった。
春介のチューバが最後の低音を押し出す。
全員キメ。
ピタッ。
音が止まった。
一瞬の沈黙。
次の瞬間、割れんばかりの拍手と歓声が起こった。
立ち上がる観客もいた。
顧問が深く頭を下げる。
「福岡高校吹奏楽部、現役のみんなでした!」
OB・OG席では、朱里が涙を拭っていた。
「これは反則やろ……」
しおりもうなずく。
「昔のうちらと、今の子たちが、一本の曲で繋がっとる……」
樹里が静かに笑う。
「制服も、時代も違うのに、同じ場所に立っとる感じがしたね」
光子は目頭を押さえながら、隣の優子に言った。
「ねぇ」
「ん?」
「あの頃うちらが、ふざけ倒したルパン、ちゃんと音楽として受け継がれとるね」
優子がすかさず返す。
「ふざけ倒したって、自分で言うんやね」
その一言に、周りが吹き出す。
美香は、涙を指で拭いながら笑った。
「でも、あの時やったね。
私、“音楽で食べていこう”って、本気で決めたの」
そして、ステージ上の春介と春海を見つめる。
「今度は、あの子たちの番やね」
トリプルルパン企画
定期演奏会の終盤。
アンコールが一曲終わっても、拍手は鳴り止まなかった。
顧問が再びマイクを取る。
「実は、今日はもうひとつ、サプライズがあります」
客席がざわつく。
「客席にもいらっしゃる、あるOGの皆さんが、“どうしてもルパンを一緒にやりたい”と申し出てくださいまして」
舞台袖から、ネイビーブルーの制服姿がずらりと現れた。
福岡県警察音楽隊だった。
その先頭に立っていたのは、小林樹里。
樹里はきれいに敬礼した。
「福岡県警察音楽隊、隊長の小林樹里です。
本日は、交通安全と防犯を見守りに来たつもりが――ついノリで、ステージにも立つことになりました」
会場が笑いに包まれる。
樹里はさらに続ける。
「そして、そのノリの元凶が、こちらのお二人です」
舞台袖から、光子と優子が登場した。
光子が手を振る。
「どうも、“元・福高吹部の問題児コンビ”こと、M&Yです!」
優子が続ける。
「先に言っときます。
今日は真面目にやりますと言いながら、だいたい真面目に終わったことはありません」
会場爆笑。
顧問も笑いながら、指揮台へ戻る。
「それでは、現役吹奏楽部、OG、そして警察音楽隊による特別企画。
名づけて――トリプルルパン企画!」
客席から大きな拍手。
「樹里隊長、お願いします」
樹里がうなずく。
「了解しました」
現役部員、OG、警察音楽隊が舞台いっぱいに並ぶ。
そして始まったのは、ルパン三世スペシャル・メドレー。
イントロは現役吹奏楽部が主導する。
サックスが華やかに駆け出し、警察音楽隊のトランペットが鋭くオブリガートを重ねる。
1コーラス目は、福高サックスセクションがメイン。
2コーラス目に入ると、樹里のクラリネットソロが入った。
音は軽やかで、しかし芯がある。
その後ろで、春介のチューバが低音を支え、春海のドラムがテンポを押し上げる。
中央では、光子と優子がマイクを握った。
光子が歌うように言う。
「盗んだのは、夢と笑い」
優子が返す。
「逃がさないよ、君の涙」
客席から歓声が上がる。
途中で、交差点の信号音を思わせるようなフレーズが入った。
演奏が少し薄くなる。
樹里がマイクを取った。
「ここで、ちょっとだけ交通安全タイムです」
会場が笑う。
樹里は真面目な顔で言った。
「ルパンみたいにスピードを出して走ったら、捕まります」
爆笑。
樹里は表情を少し柔らかくする。
「でも、誰かの命を守るために急いで走る音楽は、今日みたいに、いくら速くても大丈夫です。
皆さん、安全運転で、ルパンを追いかけてください」
拍手が起こる。
そこからテンポアップ。
全員が一気にメインテーマへなだれ込む。
警察音楽隊のトランペットがサイレン風のフレーズを吹く。
福高吹奏楽部が逃げるルパンのようなフレーズで応える。
最後、光子と優子が中央でポーズを決めた。
光子
「逮捕!」
優子
「……の前に!」
二人
「アンコール!」
ドーン!!
全員キメ。
会場は大爆発だった。
「ブラボー!」
「最高!」
「もう一回!」
顧問が笑いながらマイクを取る。
「これが、トリプルルパン企画でした!」
樹里が敬礼する。
「このメンバーとだったら、いつでも再犯します」
優子が即座にツッコむ。
「犯罪で使うな! 音楽だけにしなさい!」
客席は再び爆笑。
光子が笑いながら言う。
「でも、音楽の再犯なら、何回でも歓迎です!」
カーテンコール。
現役、OG、警察音楽隊。
世代も制服も立場も違う人たちが、同じ曲で笑い、同じ拍手を浴びていた。
福高ルパン三世は、この日、完全に伝説になった。
M&Yのフライデー爆笑ラジオカフェ
福高ルパン三世・世代継承スペシャル
数日後。
金曜夜。
『M&Yのフライデー爆笑ラジオカフェ』特別回。
ジングルが流れる。
光子
「こんばんは。M&Yの光子です!」
優子
「優子です! 今夜は、先日の福岡高校吹奏楽部定期演奏会で大爆発した、“福高ルパン三世祭り”をまるっと振り返るスペシャルです」
光子
「いやもう、あれは事件でしたね」
優子
「事件言うたら樹里が動くからやめなさい」
スタジオに笑いが起こる。
光子
「ゲストはもちろん、この方々です!」
美香
「どうも。“初代ルパン・ドラム担当”こと、赤嶺美香です」
樹里
「“警察音楽隊ルパン”こと、小林樹里です。今回は逮捕ではなく、共犯で来ました」
優子
「だから言い方!」
さらに電話がつながる。
顧問
『どうも。福高吹部の“ルパンを止められなかった指揮者”です』
スタジオ爆笑。
光子
「先生、止める気ありました?」
顧問
『途中から、もう止めたら負けだと思いました』
優子
「教育現場でその判断、だいぶ攻めてますね」
まずは、本番の現役ルパンの話になった。
優子
「美香お姉ちゃん、本番の春海のドラム、どうやった?」
美香は少し黙ったあと、柔らかく笑った。
「最初のスネアで、あ、あの音楽室の匂いや、って思った。
私のクセに似とるところもあるんやけど、でも最後の抜き方とか、空気の作り方は完全に春海やったね」
光子
「血って、音に残るんやね」
美香
「残るね。でも、コピーじゃない。
ちゃんと自分の音になっとった」
樹里もうなずく。
「春介くんのチューバもよかった。
派手に前へ出る音じゃないのに、あの低音があるから全員が安心して走れる。
あれ、すごいことよ」
顧問
『春介はね、曲の底を読む力があります。
美香さんたちの世代が作った“遊び心”を、今の子たちがちゃんと音楽として支えてくれた感じでした』
優子
「先生、今日なんかいいこと言うモードですね」
顧問
『いつも言ってます』
光子
「そうでしたっけ?」
全員笑う。
話題は、トリプルルパン企画へ移る。
優子
「樹里、警察音楽隊としてルパンやるって、どうやった?」
樹里
「ガチで前代未聞やったよ。
しかも現役高校生、OG、警察音楽隊、M&Yまでおる。
現場の情報量が多すぎる」
光子
「警察音楽隊のみなさん、ノリノリやったよね」
樹里
「終わったあと、“次は何を盗みに行きます?”って言った隊員がおって」
優子
「危ない危ない危ない」
樹里
「すぐ全員で、“何を演奏しに行きます?”って訂正した」
美香
「でも、交通安全トークを入れたの、すごくよかった。
笑わせながら、ちゃんと大事なことを残す。
それって、うちらがずっと大事にしとることやん」
樹里は少し照れたように笑った。
「それは、光子と優子を見て学んだ。
爆笑で油断させて、最後に一個だけ芯のある言葉を置く。
あれ、警察音楽隊でも使えるんよ」
光子
「爆笑発電所式、まさかの警察採用」
優子
「採用試験あります?」
樹里
「まず腹筋が耐えられるかどうかやね」
スタジオ爆笑。
ここでメール紹介に入る。
優子
「ラジオネーム、“元・吹部クラリネット母”さん」
光子が読む。
「息子の世代が、娘の時代と同じルパンを演奏しているのを聴いて、時間が一気に巻き戻るようでした。
でも音はちゃんと今の音になっていて、音楽って本当に世代をつなぐんだなと感じました」
美香
「これは泣くやつ」
樹里
「わかる。昔に戻るんじゃなくて、今につながるんよね」
優子
「続いて、ラジオネーム、“いつか吹部に入りたい小学生”さん」
光子が続ける。
「陽翔くんと結音ちゃんの影絵が出た瞬間、自分もあのステージに立ちたいと思いました。
中学生になったら吹奏楽部に入って、いつか福高を目指します」
顧問
『長生きせねば……』
優子
「先生、急におじいちゃんみたいにならんでください」
光子
「でも嬉しいね。
あの小さな影絵が、誰かの未来のスイッチを押したんやもんね」
美香
「私も昔、何かの音に背中押された側やった。
それが今度は、春介や春海たちの音になって、誰かを押してる。
すごいことよ」
番組の終盤。
光子がふと、机を指で叩いた。
タン、タタタ、タン。
優子が笑う。
「え、やるん?」
光子
「最後にちょっとだけ、生ルパン」
美香
「机ドラムで?」
樹里
「口クラで?」
顧問
『電話越し指揮で?』
優子
「意味わからんけど、いこう」
美香が机を叩く。
タンッ、タタタ、タンッ、タタタ。
樹里が口でクラリネットのフレーズを入れる。
「テレレ〜」
光子と優子がスキャットで重なる。
「ルッパーン、ルパルパー」
スタジオの空気が、一瞬で昔の音楽室に戻った。
光子が静かに言う。
「この先もきっと、福岡高校のどこかで、誰かがルパン三世を吹きよるはずです」
優子が続ける。
「そのたびに、ちょっと笑えて、ちょっと背筋が伸びる音楽でありますように」
美香が言う。
「そして、あの頃の自分に、少しだけエールを送れる一曲でありますように」
樹里が笑う。
「もしどこかの街角で、警察音楽隊がルパンを演奏しとったら、それはきっと今日の放送のせいです」
優子
「責任重大やん」
光子
「ええやん。音楽の共犯者、増やしていこう」
ジングルが流れる。
光子
「今週のお相手は、光子と」
優子
「優子と」
美香
「美香と」
樹里
「樹里と」
顧問
『電話出演の顧問でした』
光子
「それではまた来週」
優子
「ルパンに負けんくらい、人生の大事なもの、全力でかっさらっていきましょう」
美香
「ただし交通ルールは守ってね」
樹里
「そこ大事」
全員
「ははははは!」
金曜夜のラジオカフェは、笑いながらフェードアウトしていった。
福高ルパン三世。
それは、ただの一曲ではなかった。
美香たちの青春。
光子と優子の笑い。
現役部員たちの挑戦。
春介と春海の現在。
陽翔と結音の未来。
全部をひとつにつないだ、世代をまたぐ音楽だった。




