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美香と光子と優子の爆笑ストーリー。光子と優子29歳  作者: リンダ


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SLよりうるさい十二人――新山口から広島へ、爆笑と祈りをつなぐ旅

第十一日目 SLよりうるさい十二人――新山口から広島へ、爆笑と祈りをつなぐ旅


 宇部新川駅を出発した列車は、朝の宇部線をゆっくりと東へ進んでいた。


 車内にいるのは、青柳光子と夫の翼、その子どもたちである陽翔、燈真、彩羽。柳川優子と夫の拓実、その子どもたちである結音、灯乃、悠翔。そして今回の旅に同行している肥後祥子と、その恋人である宮村隼。


 合わせて十二人。


 大人六人、子ども六人。


 人数だけを聞けば、少し大きめの家族旅行である。


 しかし、その中に光子と優子がいて、さらに二人の血をしっかり受け継いだ子どもたちが六人もいるとなれば、話はまったく別だった。


 静かな鉄道旅になる可能性は、宇部新川駅を出発した時点ですでに消滅していた。


 窓側の席では、陽翔と結音が外を流れる景色を見ながら、駅名を見つけるたびに声を上げていた。


「つぎ、なんて駅?」


「阿知須やって!」


「アジス?」


「お魚みたいやね」


「アジっす!」


 陽翔が得意げに言った瞬間、結音が腹を抱えて笑い始めた。


「アジっすって何〜!」


 その向かいでは、燈真が座席の背もたれに両手を添え、車内放送をまねしていた。


「まもなくぅ、しんやまぐちぃ。おでぐちは、ぜんぶです」


「全部から降りたら線路に落ちるやろ」


 翼が即座にツッコむ。


 灯乃も負けじと立ち上がりかけた。


「まもなくぅ、うばぁ駅です」


「どこにあるん、その駅」


 優子が笑いをこらえながら尋ねる。


「うばぁ県!」


「県に昇格したんかい」


 さらに悠翔が窓の外へ向かって、両手をぐるぐる回した。


「しゅぽしゅぽしゅぽー!」


「それ、蒸気機関車やろ。今乗っとるん、電車やで」


 拓実が言ったが、悠翔はまったく気にしない。


「でんしゃも、しゅぽしゅぽー!」


「動力方式を全面的に無視した」


 隼が小声でつぶやくと、隣に座っていた祥子が横目で彼を見た。


「隼、だいぶツッコミが早くなったね」


「この旅に参加してから、考える前に言葉が出るようになりました」


「それ、成長なんかな」


「防衛本能かもしれません」


 その会話を聞いていた光子が、前の座席から顔を出した。


「隼くん、ええ感じに仕上がってきたね」


「何に仕上がってるんですか」


「爆笑発電所向けの人材に」


「僕、就職活動に来たんじゃないです!」


 車内に笑いが広がる。


 まだ新山口駅に着いてもいないのに、隼はすでに一仕事終えたような顔をしていた。


新山口駅――SL発車「声量モンスター十二人」見送り事件


 列車が新山口駅へ到着すると、一行は荷物をまとめてホームへ降りた。


 乗り換えのために駅構内を歩いていた光子が、別のホームに停車している黒い車体を見つけ、突然足を止めた。


「あっ!」


 その声に全員が振り返る。


「SLおる!」


 ホームの向こうに、黒光りする蒸気機関車が停車していた。


 磨かれた車体は朝の光を反射し、太い煙突からは白い蒸気が立ち上っている。客車の窓からは、発車を待つ乗客たちがホームを眺めていた。


 鉄道好きでなくとも、思わず足を止めたくなる迫力だった。


 悠翔は目を丸くし、その場で跳び上がった。


「ほんものの、しゅぽしゅぽー!」


「今度は正解たい!」


 優子が拍手する。


 陽翔と燈真も柵の近くまで駆け寄り、結音と灯乃、彩羽もその後を追った。


「近づきすぎんごとね!」


 光子が声をかけた直後だった。


 空気を震わせるような汽笛が、駅全体に響き渡った。


「ボオォォオーーーッ!」


 子どもたちが一斉に肩を跳ねさせる。


 しかし、驚いたのはほんの一秒だけだった。


 次の瞬間、光子が両手を大きく振り上げた。


「SLさーん! いってらっしゃーい!」


 優子もすぐ横に並ぶ。


「気ぃつけて行ってきてねー! 手ぇ振り返してもろうてよー!」


「ばいばーい!」


「いってらっしゃーい!」


 陽翔と結音が声をそろえる。


「しゅっぱつー!」


 燈真が両腕を前へ突き出す。


「ゴー!」


 灯乃が片足を上げる。


「しゅぽしゅぽーー!」


 悠翔が全身を使って叫ぶ。


 彩羽も小さな両手を懸命に振りながら、


「またねー!」


 と声を張った。


 静かに発車を見守っていた周囲の乗客たちが、次々と十二人の方を振り返った。


 正確には、十二人全員が叫んでいたわけではない。


 翼と拓実は笑いながら手を振り、祥子と隼は一歩後ろで立ち尽くしていた。


 しかし、光子、優子、六人の子どもたちだけで、声量は十分すぎるほど足りていた。


 祥子が耳を押さえる。


「ちょ、声でかッ!」


 隼は発車していくSLと、隣で叫び続ける一団を交互に見た。


「SLよりデカいっすよ、みんな……」


 機関車がゆっくりと動き始める。


 動輪が回り、連結された客車が軋みながらホームを離れていく。


 客車の窓から、乗客たちが笑顔で手を振り返してくれた。


「振ってくれた!」


「もっと振って!」


「ばいばーい!」


 声量がさらに上がる。


「これ以上上げんでええ!」


 祥子が叫ぶが、その声も見送りの大合唱に飲み込まれた。


 やがてSLはホームの端へ差しかかり、再び長い汽笛を響かせた。


「ボオォォオーーーッ!」


 まるで返事のような汽笛だった。


 拓実が腕を組み、妙に真剣な顔でうなずいた。


「これ、SLさん、絶対うちの声に反応したやろ……」


「向こうも負けられんと思ったんやろね」


 翼も同意する。


 隼が首を振った。


「蒸気機関車と声量で張り合う家族、初めて見ました」


「勝ったん、どっちやと思う?」


 光子が尋ねる。


「お願いですから勝敗を決めないでください」


 すると近くにいた駅員が、笑いながら言った。


「今日は、皆さんの勝ちかもしれませんね」


 周囲から笑いと拍手が起きた。


 光子と優子は顔を見合わせ、高々と両手を上げる。


「よっしゃー!」


「SLに声量で勝ったー!」


「そこ、喜ぶところなんですか?」


 隼のツッコミが、広い新山口駅の構内へきれいに響いた。


防府天満宮――受験の神様も見守る十二人の大所帯


 新山口から山陽本線に乗り、防府へ向かった。


 防府駅を出た一行は、商店街を抜けて防府天満宮へ歩く。


 十二人がまとまって移動するだけでも目立つが、子どもたちは一列に歩くという発想を持っていなかった。


 陽翔と結音は先頭で何かを話しながら進み、燈真と灯乃は参道の石畳の模様を踏まないように飛び跳ね、悠翔は拓実の手を引っ張り、彩羽は翼に抱き上げられながら周囲をきょろきょろ見回している。


「はい、右に寄って歩くよー!」


 光子が声をかける。


「走らんよー!」


 優子も続く。


 その直後、燈真と灯乃が競走を始めた。


「今言うたばっかりやろ!」


 夫婦二組の声が重なった。


 祥子が笑う。


「十二人旅っていうか、遠足の引率みたいやね」


「先生四人、生徒六人、見習いツッコミ二人です」


 隼が言った。


「うちら見習いなん?」


「もう正式採用されかけてますけど」


 長い石段を上り、境内へ入る。


 楼門をくぐったところで、光子と優子は子どもたちを集めた。


「ここは天神さまがおるけん、ちゃんとお願いするとよ」


「一人ずつ、静かにね」


 六人は神妙な顔で並んだ。


 最初に陽翔が手を合わせる。


「てんじんさま、ぼく、もっと速く走れるようになりたいです」


 次に結音。


「わたしの歌、もっとじょうずになりますように。ギターも、いっぱいひけますように」


 燈真は胸を張った。


「テニス、つよくなる!」


 灯乃も負けていない。


「バレーもつよくなる! おうたもじょうずになる! あと、おかしもいっぱい!」


「最後だけ願いの方向が違う」


 隼が小声で言う。


 悠翔は目を閉じたまま、長い間何も言わなかった。


 拓実がそっと尋ねる。


「悠翔は何をお願いしよるん?」


「ホームランと、おおきいハンバーグ」


「神様への注文が具体的やな」


 最後に彩羽が、小さな声で願った。


「たっきゅう、じょうずに。みんな、げんきに」


 その言葉を聞いた大人たちの表情が、少しだけやわらかくなった。


「彩羽、ええお願いするやん」


 翼が頭をなでる。


 ところが、その温かい空気を破るように、灯乃がもう一度手を合わせた。


「あと、うばぁがもっと上手になりますように!」


「うばぁに上手も下手もあるん?」


 優子が振り向く。


「ある!」


「何を基準に審査するんよ」


「声と、顔!」


 灯乃はその場で頬を膨らませ、


「うんばぁー!」


 と披露した。


 近くにいた参拝客が吹き出す。


 拓実は額を押さえた。


「天神さまの前で、新芸の奉納が始まった」


「願い、多すぎん?」


 その横で翼が子どもたちを見渡す。


「でも、全部かなえそうで怖いわ」


 参拝を終えると、光子と優子はそれぞれの家族を並べ、記念写真を撮ることにした。


 まず青柳家。


 翼が彩羽を抱き、光子の横に陽翔と燈真が並ぶ。


「はい、撮るよー!」


 優子がスマートフォンを構えた。


「陽翔、前向いて。燈真、変顔せん。翼くん、光子に近づいて」


「近づいとるやろ」


「夫婦感が足りん」


「写真に夫婦感の審査あるんか」


 撮影の瞬間、燈真が突然テニスのサーブポーズを取り、陽翔が両手で大きな丸を作った。


 光子は笑い、翼は半分あきらめた顔になる。


 続いて柳川家。


 拓実の横に優子が立ち、結音、灯乃、悠翔が前へ並ぶ。


「灯乃、今日はうばぁ禁止よ」


 光子がカメラを構えながら警告する。


「わかった!」


「はい、チーズ!」


「うばぁー!」


「やると思った!」


 撮影された一枚には、満面の笑みを浮かべる優子と拓実、きれいに笑う結音、目を丸くする悠翔、そして全力の「うばぁ顔」を披露する灯乃が写っていた。


「これ、採用」


 優子が即決する。


「採用するんや」


「うちらしいやん」


 二家族の写真と、十二人全員の集合写真は、その日のうちに爆笑発電所の公式SNSへ投稿された。


 添えられた文章は、光子が考えた。


《防府天満宮で、勉強、音楽、テニス、バレー、野球、卓球、ハンバーグ、うばぁの上達をお願いしてきました。天神さま、担当範囲が広くてすみません》


 投稿直後から反応が集まり始める。


《爆笑発電所の次世代、全員かわいすぎる》


《願い事にハンバーグが混ざってる》


《うばぁの上達をお願いされた天神さま、困惑》


《二家族とも写真から騒がしい》


《隼くんと祥子ちゃん、もう親戚みたい》


 祥子が画面を見て笑った。


「うちら、いつの間に親戚枠になったん?」


 隼はため息をつく。


「この旅、家族になるかツッコミになるかの二択しかないんですか」


錦帯橋――宮村隼、橋の上で公式ツッコミデビュー


 防府からさらに東へ進み、一行は岩国へ向かった。


 駅からバスに乗り、錦川沿いの景色を眺めながら錦帯橋を目指す。


 やがて視界の先に、五つの美しいアーチを持つ木造橋が現れた。


「おおー!」


 車内で十二人の声が重なる。


 橋の前へ着くと、子どもたちは一斉に駆け出しかけた。


「待って待って! まず写真!」


 光子が呼び止める。


「走るんは、渡り始めてから!」


 優子が続ける。


 祥子が振り返った。


「いや、渡り始めても走ったらあかんやろ」


「そうやった」


「今の注意、何やったん」


 橋の手前で全員写真を撮ったあと、十二人はゆっくりと最初のアーチを上り始めた。


 木製の踏板は緩やかに見えて、実際に歩くと傾斜がある。


 光子は一歩ずつ踏みしめながら、晴れた空と錦川を見渡した。


「ここ渡ると、なんかアスリート魂わくっちゃんね」


「分かる。うちら、昔から橋に来たらテンション上がるもんね」


 優子が答える。


 翼は不思議そうに二人を見る。


「橋とアスリート魂、どうつながっとるん?」


「上りがあったら走りたくなる」


「渡り切ったら勝った気になる」


「橋を競技場にすな」


 拓実が笑う。


 その会話を聞いていた陽翔が、目を輝かせた。


「よーい、どんする?」


「せんよ」


 光子が答えるより先に、結音が走り始めた。


「まってー!」


 陽翔が追う。


 燈真、灯乃、悠翔まで続き、少し遅れて彩羽も小走りになる。


「走らんって言うたやろー!」


 優子の声が橋の上に響いた。


 祥子は血相を変える。


「ちょ、あかんって! 落ちたらニュースになるよ!」


 しかし子どもたちは、次のアーチを目指して進んでいく。


 その時、隼が腹の底から声を出した。


「皆さん、もっと落ち着いてください! 歴史ある橋の上で運動会を始めないでください!」


 六人の足が止まった。


 周囲の観光客も振り返った。


 一瞬の静寂。


 直後、光子と優子が同時に拍手した。


「出た!」


「隼くんの本気ツッコミ!」


 拓実が親指を立てる。


「今日のおまえ、百点や」


 翼もうなずく。


「ドンタクス入りの素質あるな」


「何の入団テストなんですか!」


「今の返しで百十点」


「加点方式をやめてください!」


 観光客の間から笑いが起きた。


 祥子は隼の肩をたたく。


「おめでとう。公式ツッコミデビューやね」


「僕は祝われてるんですか、それとも巻き込まれてるんですか」


「両方」


 橋の中央まで来ると、子どもたちもようやく落ち着いた。


 錦川の水面には午後の光がきらめき、河原には小さく人影が見える。遠くの山には岩国城がそびえていた。


 陽翔が欄干の内側から川を見下ろす。


「高いね」


「高いけど、きれいやね」


 結音が隣に並ぶ。


 光子と優子は少し離れたところから、その姿を見守った。


「昔は、うちらが先に走って怒られよったよね」


 光子が言う。


「今は、うちらが怒る側になったね」


「でも、結局一緒に走りたくなる」


「それは我慢せんと」


 後ろから翼が口を挟む。


「まずお母さんたちが落ち着かんと、子どもが落ち着くわけないやろ」


「正論は禁止たい」


「橋の上にそんな法律あるんか」


 橋を渡り切ったところで、隼は正式に「本日のツッコミ責任者」に任命された。


 本人の了承は取られていなかった。


宮島――鹿対次世代ギャグモンスターズ


 岩国から列車に乗り、宮島口へ。


 フェリー乗り場へ向かうと、海の向こうに宮島の山並みと大鳥居が見えた。


 子どもたちは船に乗る前から大興奮だった。


「海の電車!」


 悠翔が叫ぶ。


「船や」


 拓実が直す。


「線路ないやろ」


「海のバス!」


「さっきより近づいた」


 フェリーが岸を離れると、潮風がデッキを吹き抜けた。


 光子と優子は髪を押さえながら、子どもたちを柵から少し離れさせる。


 結音と陽翔は並んで大鳥居を眺め、燈真は船が進むたびに水面へできる白い波を追っていた。


「船、速いね」


「拓実くんのスマッシュぐらい?」


 光子が聞く。


「何でもスポーツに例えんでええ」


「翼くんのサーブぐらい?」


「競技が変わっただけやん」


 宮島へ上陸すると、最初に一行を迎えたのは鹿だった。


 参道の近くを悠々と歩き、人間を見ても驚く様子はない。


「しかさーん!」


 陽翔が手を振る。


「こんにちはー!」


 結音も声をかける。


 鹿は一度だけ顔を上げたが、すぐに視線をそらした。


 燈真が少し近づく。


「こっちきてー!」


 鹿は動かない。


 結音と陽翔は顔を見合わせた。


「ふわもちぷにすけです〜!」


 二人で決めポーズを披露する。


 鹿は草を食べ始めた。


「反応せんね」


「まだ本気出してないけん」


 続いて灯乃が前へ出る。


 腰を落とし、両腕を広げ、今日一番の顔を作った。


「うんばぁーー!」


 鹿は完全な無表情のまま、ゆっくりと別の方向へ歩いていった。


「逃げた!」


「いや、飽きられたんや」


 優子が言う。


 隼は鹿の後ろ姿を見つめ、感心したようにつぶやいた。


「鹿さん、強い……絶対ギャグ慣れしてる……」


 祥子もうなずく。


「宮島最強は鹿やったね」


「爆笑発電所の次世代を、無表情で完封した」


 拓実が実況する。


「鹿選手、圧倒的な守備力です」


 翼が解説を加える。


「どんな角度からギャグが来ても、表情を崩しません」


 光子がマイクを持つふりをする。


「敗れた灯乃選手、今のお気持ちは?」


「もういっかいやる!」


「再戦を要求しております」


「やめとき。二試合目も完封される」


 優子が娘を抱き上げると、周囲の観光客から笑いが起きた。


 その後、一行は厳島神社へ向かった。


 海上に建つ朱塗りの社殿へ入ると、先ほどまで騒いでいた子どもたちも自然と声を落とした。


 廊下の隙間から海面が見え、潮風が静かに通り抜ける。


 十二人は並んで参拝した。


 光子は目を閉じ、家族がこれからも元気で旅を続けられるようにと願った。


 優子も隣で静かに手を合わせた。


 参拝を終えたあと、二人は海に浮かぶ大鳥居を見つめた。


「ここ来ると、心が落ち着くね」


 光子が言う。


「うん。さっきまで鹿にうばぁしよったのが嘘みたい」


「その説明はいらんやろ」


 二人は小さく笑った。


「また家族で来よ」


「うん。今度は、もう少し静かに」


 少し離れたところで、灯乃が鹿に向かってもう一度「うばぁ」と言っていた。


 優子は遠い目をした。


「無理かもしれんね」


広電――即席電車コントライブ


 宮島口へ戻った一行は、広島電鉄の電車に乗り込んだ。


 道路と同じ高さを走る路面電車に、子どもたちは興味津々だった。


 車内へ入ると、低い床と窓の近さに歓声が上がる。


「道路の中を走る!」


「車と一緒や!」


「信号で止まった!」


 翼は座席へ腰を下ろしながら周囲を見回した。


「広電、子どもにちょうどよか高さやね」


 拓実も悠翔を隣へ座らせる。


「座席も低いけ、助かるわ」


 電車が発車する。


 窓の外には住宅、商店、道路を走る車、そして反対方向から来る別の路面電車が次々と現れた。


 陽翔は先頭方向を見ながら、運転士になりきっている。


 電車が停留場を離れた瞬間、右腕を上げた。


「しゅっぱつしんこー!」


 結音が続く。


「ぷにー!」


 燈真は両手を前後に振った。


「ガタンゴトン、ガタンゴトン!」


 灯乃は立ち上がらないよう座席につかまりながら、


「うばぁー!」


 と声を上げた。


 悠翔は口で警笛を再現する。


「ぷおーん!」


 彩羽はそれを見て笑いながら、膝を上下させた。


「でんしゃ、でんしゃ!」


 近くに座っていた乗客が吹き出した。


 さらに後ろの席からも笑い声が聞こえる。


 信号待ちで停車した時、運転士もミラー越しに一瞬だけ笑顔を見せた。


 光子が両手をたたく。


「こらこら、電車コント大会始まったやん」


 優子も子どもたちを見回す。


「いずれ広電さんにお願いして、貸切ライブさせてもらわなね」


「走行中の電車内で何をするつもりですか」


 本日のツッコミ責任者、隼が即座に反応する。


「音楽とコント」


「揺れる車内で?」


「停留場の案内を歌にする」


「乗り過ごす人が出ますよ」


「隼くん、企画会議にも向いとるね」


「止めてるんです。参加してるんじゃありません」


 祥子が笑いながら言った。


「でも隼、さっきから全部拾っとるやん」


「拾わないと、誰も回収しないでしょう!」


「うちと光子がおるやん」


 優子が胸を張る。


「お二人は拾う前に、新しいボケを三つ置いていくんです!」


 乗客から再び笑いが起きた。


 光子と優子は顔を見合わせる。


「うまい」


「今日の隼くん、絶好調やね」


「もう降ろしてください」


「まだ広島駅まであるよ」


「距離の話じゃないです!」


 広電は街の中をゆっくりと進んでいった。


 車窓に映る十二人の顔は、夕方の光に照らされていた。


夕暮れの平和記念公園――十二人で刻む祈り


 電車を降り、平和記念公園へ向かう頃には、空が少しずつ夕暮れの色へ変わり始めていた。


 ここまで旅のほとんどを笑い声で満たしてきた十二人だったが、公園へ入ると、誰からともなく声が小さくなった。


 原爆ドームの前で、子どもたちは足を止めた。


 残された壁。


 むき出しになった鉄骨。


 静かに流れる川。


 今では穏やかな街の中に、あの日の記憶だけが形を変えず立っている。


 陽翔は燈真の手を握った。


 結音と灯乃も肩を寄せ合う。


 悠翔は拓実の大きな手を、いつもより強く握っていた。


 彩羽は光子の隣に立ち、何も言わず原爆ドームを見上げていた。


 光子と優子は、子どもたちへ難しい説明を押しつけなかった。


 ただ、ここで多くの人が亡くなり、今も悲しみを抱えている人がいること。


 同じことを二度と起こしてはいけないこと。


 今、自分たちが笑い合い、家族と旅をしている時間が、決して当たり前ではないこと。


 それだけを、ゆっくりと言葉にした。


「ここでね、たくさんの人が、家族と離れ離れになったと」


 光子が静かに話す。


「子どもも、大人も、普通に暮らしよった人たちが、突然全部を失ったんよ」


 優子も続けた。


 結音は原爆ドームを見たまま尋ねた。


「どうして、そんなことになったの?」


 大人たちはすぐに答えられなかった。


 戦争。


 憎しみ。


 国同士の対立。


 兵器を使うという決断。


 どれも子どもに伝えるには重く、しかし、曖昧にしてよいものでもなかった。


 拓実がゆっくり口を開いた。


「人が、人のことを大切に思えんようになった時、ひどいことが起きるんよ」


 翼も子どもたちのそばへ寄る。


「だから、自分と違う人を嫌うんやなくて、ちゃんと話して、相手のことを知ろうとせんといかん」


 祥子は隼の隣で黙って手を合わせていた。


 撮影のため同行していたテレビクルーも、この時だけはカメラを下げた。


 誰かに見せるための祈りではなく、自分自身の心に刻むための時間だった。


 慰霊碑の前で、十二人は静かに頭を下げた。


 長い沈黙のあと、結音が小さな声で言った。


「また来るね、ここ……」


 光子は娘ではない結音の肩にも、そっと手を添えた。


「うん。また来よう」


「忘れんためにね」


 優子が言う。


 灯乃も、いつもの大きな声ではなく、かすかな声で続けた。


「みんなが、なかよくできますように」


 陽翔も手を合わせる。


「戦争、なくなりますように」


 悠翔は意味をすべて理解しているわけではなかった。


 それでも周囲の大人たちを見ながら、両手を合わせた。


「みんな、げんきに」


 夕日が川面を赤く染めていた。


 笑うこと。


 旅をすること。


 手をつなぐこと。


 おいしいものを一緒に食べること。


 大切な人の声を聞くこと。


 その一つ一つが、平和の中でしか守れない日常なのだと、十二人はそれぞれの胸に刻んだ。


広島ナイト――牡蠣とお好み焼きと夫婦漫才合戦


 平和記念公園を後にした一行は、広島市内の店で夕食を取ることになった。


 静かに祈ったあとの食卓だからこそ、家族で同じ料理を囲める時間が、いつも以上にありがたく感じられた。


 最初に運ばれてきたのは、殻付きの焼き牡蠣だった。


 湯気とともに磯の香りが広がる。


 祥子が一口食べた瞬間、目を大きく見開いた。


「あっつ! でも、牡蠣とろける!」


 隼も慎重に口へ運び、何度もうなずいた。


「これは……全国遠征したい味ですね」


「何の全国大会に出るつもり?」


 祥子が尋ねる。


「牡蠣です」


「競技名が牡蠣なん?」


「予選は焼き牡蠣、準決勝はカキフライ、決勝は土手鍋です」


 拓実が身を乗り出した。


「俺、出るわ」


「選手側なんですか」


「食べる方なら自信ある」


 翼も箸を上げる。


「俺も代表入り狙える」


 光子は牡蠣を眺めながら言った。


「翼くん、これプリプリすぎん?」


「ほんまやな」


 拓実が牡蠣を持ち上げ、得意げに続ける。


「俺のサーブぐらい伸びとる」


 優子がすぐに手を振った。


「はい来た。無駄にかっこいい例え!」


「伸びる牡蠣はちょっと怖いけどね」


 光子が付け加える。


「打ち返したら汁飛んでくるで」


 翼が言う。


「牡蠣をラケットで打つな!」


 祥子のツッコミが飛ぶ。


 隼が拍手した。


「祥子さんも仕上がってきましたね」


「誰のせいやと思っとるん」


 続いて、鉄板の上へ広島のお好み焼きが運ばれてきた。


 薄い生地、たっぷりのキャベツ、豚肉、麺、卵が重なり、表面にはソースと青のりがたっぷりとかかっている。


 六人の子どもたちは、目を輝かせた。


「でっかい!」


「ケーキみたい!」


「切って切って!」


「ぼくいっぱい!」


「わたしも!」


「うばぁ!」


「最後のは注文なん?」


 優子が灯乃を見る。


「うばぁサイズ!」


「店員さんも分からんわ」


 大人たちが取り分け、子どもたちは夢中で食べ始めた。


 陽翔は一口食べるたびにうなずき、結音は麺を慎重に箸で持ち上げる。


 燈真は熱さに苦戦しながらも食べるのをやめず、彩羽は口の周りにソースをつけていた。


 悠翔が大きな一口を食べようとした瞬間、中の麺が切れず、口元から長く垂れた。


「悠翔、止まって!」


 拓実が箸で麺を切ろうとする。


 悠翔はそのまま顔を左右に振った。


 麺も一緒に揺れる。


「振り回さんで!」


「新しい獅子舞みたいやね」


 光子が笑う。


「広島お好み焼き獅子舞」


 優子が名付ける。


「縁起物なん?」


 翼が言う。


「ソースが飛ぶけん、あんまり近づいたらいかん」


「縁起物として致命的やろ」


 隼のツッコミに、全員が吹き出した。


 やがて話題は、今日一日の出来事へ移った。


「一番すごかったん、やっぱり新山口やね」


 祥子が言う。


「SLより声が大きい家族なんて、そうそうおらんよ」


「汽笛が二回鳴ったもん」


 光子はまだSLが返事をしたと信じている。


「偶然です」


 隼が即答する。


「絶対返事たい」


「偶然です」


「隼くん、夢がないね」


「夢と事実は分けて考えましょう」


 優子が腕を組んだ。


「でも、乗客の人も手振ってくれたよ」


「それは皆さんの声が大きすぎて、反応せざるを得なかったんです」


「ほら、反応した」


「SLじゃなくて乗客です!」


 拓実は大笑いしながら隼の肩をたたいた。


「おまえ、今日だけでツッコミのスタミナだいぶついたな」


「鍛えたくて鍛えたわけじゃありません」


「明日はもっといけるな」


「明日もあるんですか」


「旅は続くけんね」


 隼は箸を置き、天井を仰いだ。


「僕、家に帰る頃には別人になってそうです」


 祥子が隣で笑う。


「大丈夫。前より声が出るようになっただけやから」


「その変化が一番怖いんです」


 翼が牡蠣を食べながら光子を見た。


「でも、今日の光子は、いつもよりちょっとおとなしかったな」


「どこが?」


「鹿にギャグせんかった」


「子どもたちに任せたと」


「世代交代したんや」


「うちは監督」


 優子が割り込む。


「私は総監督」


「じゃあ、俺らは?」


 拓実が尋ねる。


「夫夫コンビ」


「夫婦やなくて?」


「男二人やけん、夫夫」


「新しい漫才コンビみたいに言うな」


 光子が翼を見つめ、わざと甘い声を出した。


「でも、うちの旦那も今日だけはイケメンやったね」


「今日だけ言うな!」


「昨日は?」


「昨日もや!」


「明日は?」


「明日もや!」


 優子が手をたたいた。


「三日連続イケメン宣言、いただきました!」


 拓実も乗る。


「記録更新に期待がかかります」


「何の記録や!」


 翼が立て続けにツッコミ、子どもたちまで大笑いする。


 笑いすぎて涙を流す者。


 お好み焼きを食べながらむせそうになる者。


 意味は分からなくても周囲につられて笑う者。


 十二人の食卓は、店の中でもひときわにぎやかだった。


 けれど、その笑いは騒々しいだけではなかった。


 夕暮れの平和記念公園で感じたものを、それぞれが胸の中に抱えていた。


 家族全員がそろって笑える夜。


 その時間がどれほど尊いものかを、誰もが少しだけ深く理解していた。


風呂上がりの爆笑通信・次世代スペシャル


 宿へ到着した頃には、子どもたちはさすがに疲れていた。


 それでも大浴場へ入ると元気が戻り、男湯では陽翔、燈真、悠翔が湯気の向こうで列車ごっこを始めた。


「温泉列車、しゅっぱーつ!」


「走るな!」


 翼と拓実と隼の声が重なる。


 一方、女湯では結音、灯乃、彩羽が湯船に並んでいた。


 光子と優子は肩まで湯につかり、ようやく一息つく。


「今日も濃かったね」


「朝、宇部新川から出たんよね」


「二、三日たった気がする」


 祥子はタオルを頭に乗せながら笑った。


「隼なんて、一日でツッコミ芸人みたいになったよ」


「本人、たぶん脱衣所で反省しとるよ」


 その予想は半分当たっていた。


 隼は男湯の脱衣所で、鏡を見ながら小さくつぶやいていた。


「何で僕、あんなに大声出したんやろ……」


 背後から拓実が答える。


「才能や」


「違います」


「認めた方が楽になるで」


「認めません」


「その否定の速さも才能や」


「逃げ道をふさがないでください」


 入浴を終え、浴衣姿になった十二人は、宿の広い和室へ集まった。


 布団を敷く前に、光子がスマートフォンを取り出す。


「はい、今日の締めやりまーす!」


 優子が卓上スタンドを置き、配信の準備を始める。


「爆笑通信、次世代スペシャル!」


「まだやるんですか」


 隼が部屋の隅から尋ねる。


「むしろ、ここからが本番たい」


「今日一日、本番が多すぎません?」


 配信開始のボタンが押された。


 画面に視聴者数が表示され、ものすごい勢いで数字が増えていく。


 光子と優子が並んで手を振った。


「みなさーん、こんばんはー!」


「今日は十二人旅やったよー!」


「新山口でSLを見送りました!」


「そして、SLよりうちらがうるさかったです!」


 コメント欄が一気に流れ始める。


《待ってました》


《声量モンスター十二人》


《SLの汽笛と張り合ったって本当ですか》


《駅にいた人の投稿見ました》


《新山口駅がライブ会場になってた》


 光子は画面を指さした。


「ほら! 駅におった人がおる!」


 優子がコメントを読み上げる。


「《汽笛が鳴ったあと、子どもたちの声でホームがもう一回揺れました》」


「揺らしてない!」


 隼が後ろから叫ぶ。


「はい、今日の主役が出ました」


 光子がカメラを隼へ向ける。


「錦帯橋で公式ツッコミデビューした、宮村隼くんです!」


「勝手に公式にしないでください!」


 コメントがさらに加速する。


《隼くんツッコミデビューおめでとう》


《声が通る》


《爆笑発電所の採用決定》


《祥子ちゃんとのコンビ名は》


《隼くん逃げて》


「最後の人だけ分かってる!」


 隼が画面へ訴える。


 祥子も隣へ座らされる。


「なんでうちらまで巻き込まれとるん!?」


「でも楽しかったです!」


 二人の声が重なり、視聴者から大量の笑いコメントが送られた。


 続いて、子どもたちの今日の名場面が紹介された。


 陽翔と結音は、SLへ向かって手を振る様子を再現する。


「いってらっしゃーい!」


「ばいばーい!」


《ふわもちぷにすけ、かわいすぎ》


《この二人の声ならSLも返事する》


 燈真は錦帯橋で走ったことを正直に話した。


「走ったら、隼くんに怒られた」


「怒ったんじゃなくて止めたんです!」


《隼くん正しい》


《隼くん保護者代表》


 悠翔はフェリーを「海の電車」と呼んだ話を披露した。


「海の電車、しゅぽしゅぽー!」


《海の電車かわいい》


《フェリー会社さん、採用してください》


 彩羽は宮島で見た鹿について、


「ギャグ、わらわんかった」


 と報告した。


《鹿が強すぎる》


《宮島の鹿、爆笑発電所を完封》


《無表情ディフェンス》


 そして最後に灯乃が、画面の中央へ進み出た。


「みなさん、いくよー!」


 優子が嫌な予感を覚える。


「灯乃、ちょっと待って」


「せーの!」


「うんばぁーー!」


 画面いっぱいに灯乃の顔が映った。


 コメント欄が完全に崩壊した。


《出た》


《腹筋死んだ》


《灯乃ちゃんのうばぁで今日の疲れ吹き飛んだ》


《鹿が逃げた理由これか》


《天神さま、これの上達をお願いされたんですか》


 優子は畳の上へ倒れ込んだ。


「天神さま、ごめんなさい!」


 光子も腹を抱える。


「もう十分上手やった!」


 祥子は笑いすぎて涙をぬぐい、隼は壁にもたれながら首を振る。


「お願いですから、これ以上の上達を目指さないでください」


 翼と拓実は子どもたちを集め、配信の締めに入った。


「今日は山口から広島まで、よう旅したな」


「いっぱい笑って、いっぱい勉強した一日でした」


 光子と優子が再びカメラの前へ戻る。


「新山口のSL、防府天満宮、錦帯橋、宮島、広電」


「そして、平和記念公園にも行ってきました」


 先ほどまで笑いで埋まっていたコメント欄に、静かな言葉が増えていく。


《子どもたちと一緒に平和を考える旅、素敵です》


《笑える日常を守らないといけませんね》


《家族で広島へ行きたくなりました》


 光子は少しだけ表情を引き締めた。


「今日、みんなで笑えたことも、家族で旅できたことも、平和やけんできることです」


 優子もうなずく。


「楽しかったね、で終わるだけやなくて、ここで何があったのかを忘れんこと。それも旅の大事な意味やと思います」


 子どもたちは大人たちの周りへ集まった。


「また来ようね」


 結音が言う。


「みんなでね」


 陽翔が続ける。


 最後は十二人全員で画面へ向かって手を振った。


「ばいばーい!」


「また見てねー!」


「おやすみー!」


 そして、締めを任された灯乃が大きく息を吸った。


「うばぁーー!」


 隼が即座に叫ぶ。


「最後までそれなんですか!」


 そのツッコミを最後に、ライブ配信は終了した。


 画面が暗くなった直後、部屋の中には再び大きな笑い声が響いた。


 やがて子どもたちは布団へ入り、旅の疲れに引かれるように、一人、また一人と眠り始めた。


 陽翔と結音は、SLの話をしながら眠りについた。


 燈真と灯乃は、錦帯橋でどちらが速かったかを言い争いながら、途中で声が途切れた。


 悠翔は拓実の腕を枕にし、彩羽は光子の隣で小さな寝息を立てていた。


 大人たちは照明を少し暗くし、眠る六人を見守った。


「今日は、よう笑ったね」


 光子が静かに言う。


「よう叫んだしね」


 優子が付け加える。


「新山口駅の人、びっくりしたやろな」


 翼が笑う。


「でも、SLの見送り、楽しかったな」


 拓実が言った。


 祥子は隣で眠りかけている隼を見る。


「隼も、だいぶ家族になじんだね」


 隼は目を閉じたまま答えた。


「なじんだんじゃなくて、抵抗する体力がなくなっただけです」


「まだツッコめるなら元気やね」


 光子が言う。


「明日も頼むね、ツッコミ責任者」


 隼は布団を頭までかぶった。


「聞こえません」


 その言葉に、大人たちは声を抑えて笑った。


 山口から広島へ。


 SLの汽笛に負けない声で始まり、受験の神様へ欲張りな願いを届け、錦帯橋で新たなツッコミ役が誕生し、宮島の鹿にギャグを完封され、広電の車内を即席のコント会場へ変えた一日。


 そして夕暮れには、平和記念公園で静かに手を合わせた。


 笑いと祈り。


 騒がしさと静けさ。


 そのどちらもが、この十二人の旅だった。


 忘れてはいけない過去を胸に刻みながら、今日という日を精いっぱい笑う。


 眠りについた子どもたちの顔を見つめながら、光子と優子は思っていた。


 この子たちが大人になっても、家族と笑い合える世界でありますように。


 誰かの声を兵器の音がかき消すのではなく、子どもたちの笑い声が街いっぱいに響く世界でありますように。


 もっとも、その願いがかなった場合、新山口駅では再びSLより大きな声が響く可能性が高い。


 それでもいい。


 汽笛と笑い声が張り合えるのは、列車が安全に走り、家族が安心して旅のできる平和な日常があるからなのだ。


 広島の夜は静かに更けていった。


 十二人分の寝息が並ぶ部屋の中で、灯乃が寝言のようにつぶやいた。


「うばぁ……」


 隼は布団の中から、かすかな声で返した。


「寝ても言うんかい……」


 その夜最後のツッコミは、誰にも拾われないまま、畳の上へ静かに消えていった。

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