織田・徳川連合軍の集結—圧倒的な兵力差
紘一は、医療班の準備を始めた。医師たちを集め、医療物資を確認した。
そして、事前に、いくつかの絵を描いた。
医療物資の絵。包帯、薬草、針、糸。戦場で必要になるものを、丁寧に描いた。
そして、万が一の時のための絵も、いくつか描いた。煙幕を作り出す壺の絵。鈴の絵。油の壺の絵。これらの絵を、大切に保管した。
神崎家にも、召集がかかった。広信は、兵を三百名、出すことにした。
「田邊さん、今回も、お願いします」
広信は言った。広信は、もう五十七歳になっていた。前線で戦うには、年を取りすぎていた。
「分かりました。広信様は、神崎領を、お願いします」
「はい」
紘一が出発する前、広基が、紘一を訪ねてきた。広基は、もう十一歳になっていた。利発な少年に成長していた。
「田邊様、武田との戦い、気をつけてください」
広基の声には、心配があった。紘一は、広基の頭を撫でた。
「ありがとう。必ず、無事に帰ってくる」
「はい。田邊様、俺、将来、田邊様のような人になりたいです。人々のために、働く人に」
紘一は、広基の言葉に、感動した。
「広基、その気持ちを、大切にしてください。人々のために働く。それが、領主の、本当の務めです」
「分かりました」
紘一は、広基と別れ、出陣した。織田軍に合流するために、三河に向かった。
1575年5月、織田信長は、大軍を編成した。総勢、約三万。
美濃、尾張、京都周辺から、兵を集めた。主要な武将たちも、すべて参加した。
柴田勝家、羽柴秀吉、明智光秀、丹羽長秀、滝川一益。織田家の精鋭が、揃っていた。
織田軍は、三河に向けて、進軍した。途中で、徳川軍と合流した。
徳川軍は、約八千。合わせて、約三万八千の大軍となった。
対する武田軍は、約一万五千。数の上では、織田・徳川側が、圧倒的に有利だった。
だが、武田軍は、質で優れていた。武田の騎馬隊は、戦国最強と言われていた。その突撃力は、凄まじかった。三方ヶ原の戦いで、織田・徳川連合軍を、蹴散らしていた。
信長は、この武田の騎馬隊を、どう封じるかを、考えていた。正面からぶつかれば、騎馬隊に蹴散らされる。何か、対策が必要だった。
信長は、岡崎城で、軍議を開いた。主要な家臣たちが、集まった。
柴田勝家、羽柴秀吉、明智光秀、丹羽長秀、滝川一益。そして、徳川家康。紘一も、参加を許された。
信長が、地図を広げた。
「武田の騎馬隊は、強い。三方ヶ原で、我らは、騎馬隊に敗れた。正面からぶつかれば、我らが不利だ」
家臣たちは、頷いた。武田の騎馬隊の強さは、誰もが知っていた。
「だから、騎馬隊を、無力化する」
信長は続けた。信長は、新しい戦術を提案した。
「鉄砲を、大量に使う。そして、馬防柵を作る。騎馬隊が、突撃できないようにする」
家臣たちは、驚いた顔をした。鉄砲は、当時、まだ新しい武器だった。
威力はあるが、装填に時間がかかる。一発撃ったら、次を撃つまでに、約三十秒かかる。その間に、敵が接近してくれば、無力だった。
「信長様、鉄砲だけでは、騎馬隊を止められないのでは」
柴田勝家が言った。
「その通りだ。だから、馬防柵を作る」
信長は頷いた。
「木で柵を作り、馬が飛び越えられない高さにする。そして、柵の後ろに、鉄砲隊を配置する。騎馬隊が、柵に阻まれている間に、鉄砲で撃つ」
明智光秀が、質問した。
「信長様、鉄砲は、何挺用意されますか」
「三千挺だ」
信長は答えた。家臣たちは、驚愕した。
「三千挺、ですか」
「そうだ。そして、三段構えで撃つ。一段目が撃ったら、二段目が撃つ。二段目が撃ったら、三段目が撃つ。その間に、一段目が、再装填する。これで、連続して、撃ち続けられる」
家臣たちは、信長の戦術に、感心した。
「さすが、信長様」
「見事な作戦です」
信長は、続けた。
「馬防柵は、長篠城の近く、設楽原に作る。ここに、陣を張る。そして、武田軍を、誘い込む」
信長は地図を指差した。紘一は、信長の作戦を聞いて、感心した。綿密に計算されている。武田の騎馬
隊の弱点を、完全に突いている。
「信長様の戦術は、進化している」
紘一は思った。だが、同時に、紘一は、不安も感じた。この戦いで、多くの人が死ぬだろう。武田の兵も、織田・徳川の兵も。紘一は、心の中で、祈った。
「できるだけ、犠牲が少なくありますように」




