武田勝頼の台頭—新たな脅威の出現
1574年の春、甲斐の国では、新しい当主が本格的に権力を握り始めていた。武田勝頼だった。
勝頼は、武田信玄の四男として生まれた。本来であれば、家督を継ぐ立場ではなかった。
信玄の嫡男は、武田義信だったからだ。
だが、義信は、父・信玄と対立し、廃嫡され、自害に追い込まれていた。
そして、次男と三男は、他家に養子に出されていた。
結果として、四男の勝頼が、武田家を継ぐことになったのだ。
1573年4月、信玄が病死した。
勝頼は、その時、三十歳だった。若く、野心的で、父に劣らぬ武将としての才能を持っていた。
だが、同時に、父の巨大な影に苦しんでもいた。
武田信玄は、戦国最強の武将と謳われた男だった。その戦術、その統率力、その威厳。
すべてが、伝説となっていた。勝頼は、その偉大な父の後を継いだ。
そして、家臣たちからは、常に比較された。
「殿は、信玄様とは違う」
「信玄様なら、こうはされなかった」
そのような声が、勝頼の耳に入ってくる。勝頼は、それに苦しんだ。
そして、父を超えようと、焦っていた。
勝頼には、もう一つの問題があった。それは、武田家内部での立場の弱さだった。
勝頼の母は、諏訪氏の出身だった。武田家の正室ではなく、側室だった。
そのため、一部の家臣たちは、勝頼を正統な後継者と認めていなかった。
勝頼は、この状況を打破するために、武功を立てる必要があった。
家臣たちに、自分の力を示す必要があった。そして、父を超える必要があった。
勝頼が最初に目を向けたのは、織田信長だった。
信玄は、生前、織田領への侵攻を開始していた。三方ヶ原の戦いで、織田・徳川連合軍を破っていた。
だが、その後、病に倒れ、甲斐に引き返す途中で死去した。
勝頼は、父の遺志を継ぐことを決めた。織田信長を倒す。それが、勝頼の目標となった。
1574年の冬、勝頼は、家臣たちを集めて、軍議を開いた。
甲斐の躑躅ヶ崎館の大広間に、主要な家臣たちが集まった。
山県昌景、馬場信春、内藤昌豊、原昌胤。武田四名臣と呼ばれる重臣たちだった。
彼らは、信玄の時代から仕えている、歴戦の武将たちだった。
「皆、よく聞け」
勝頼の声が、広間に響いた。
「来年、我らは、織田領を攻める」
家臣たちは、ざわめいた。一人の重臣、山県昌景が、口を開いた。
「殿、織田信長は、強大です。姉川で浅井・朝倉を破り、比叡山を焼き、足利義昭を追放しました。今や、畿内を完全に支配しています」
山県の声には、慎重さがあった。別の重臣、馬場信春も、同意した。
「山県殿の言う通りです。信長は、侮れません。慎重に、進むべきかと」
だが、勝頼は、首を横に振った。
「恐れるな。我らは、武田だ。父上が築いた、最強の軍だ。織田など、恐れるに足りない」
勝頼は、続けた。
「父上は、三方ヶ原で、織田・徳川を破った。だが、父上は、病に倒れた。天下を取れなかった。わしは、父上の遺志を継ぐ。そして、父上を超える。織田信長を倒し、天下を取る」
勝頼の目が、輝いた。家臣たちは、勝頼の決意に、圧倒された。
反対する者は、いなかった。こうして、武田勝頼の、織田領侵攻が決まった。
勝頼は、まず徳川家康の領地を攻めることにした。
徳川は、織田の同盟者だった。徳川を倒せば、織田への道が開ける。
そして、徳川の兵力は、織田より少ない。攻めやすいと判断した。
1575年5月、武田軍は、出陣した。総勢、約一万五千。武田の精鋭たちだった。
特に、武田の騎馬隊は、戦国最強と言われていた。約五千の騎馬を擁し、その突撃力は、圧倒的だった。武田軍は、三河に侵入した。そして、長篠城を包囲した。
長篠城は、徳川領の重要な拠点だった。城主は、奥平貞昌。わずか五百の兵で、城を守っていた。
武田軍、一万五千に対して、城兵、五百。圧倒的な兵力差だった。
奥平貞昌は、必死に抵抗した。だが、城は、いずれ落ちるだろう。
貞昌は、徳川家康に、援軍を要請することにした。
だが、問題があった。城は、完全に包囲されている。
使者を、どうやって城から出すか。貞昌は、一人の若い武士を呼んだ。鳥居強右衛門という男だった。
「強右衛門、お前に、頼みたいことがある」
「何でしょうか、殿」
「城を脱出して、家康様に、援軍を要請してくれ。命がけの任務だ。だが、お前しかいない」
貞昌の声は、真剣だった。鳥居強右衛門は、即座に答えた。
「承知しました。必ず、やり遂げます」
強右衛門の目には、決意があった。
その夜、鳥居強右衛門は、城から脱出した。
武田軍の包囲網を、巧みにかいくぐり、徳川領に向かった。
そして、何とか、徳川家康のもとに、たどり着いた。
「殿、長篠城が、武田に包囲されています。奥平様が、援軍を、お願いしています」
強右衛門は、息を切らしながら報告した。家康は、すぐに決断した。
「分かった。すぐに、信長殿に連絡する」
家康は、織田信長に、使者を送った。
「信長殿、武田が、長篠を攻めています。援軍を、お願いします」
信長は、この知らせを受けて、即座に決断した。
「分かった。すぐに向かう」
信長は、家臣たちに、出陣の準備を命じた。そして、紘一にも、連絡した。
「田邊殿、また頼む。医療班を、率いてきてくれ」
紘一は、岐阜城で、この知らせを受けた。
紘一は、もう六十二歳になっていた。転移してきた時から数えれば、四十五年が経っていた。
外見は若いままだったが、心は確実に年を重ねていた。
そして、長年の能力使用による疲労も、蓄積していた。だが、紘一は、断らなかった。
「承知しました。すぐに、準備します」
紘一は答えた。




