一時和平の模索
包囲が三ヶ月を過ぎた頃、信長は本願寺との和平交渉を打診した。
紘一がそれを聞いたのは、明智光秀から直接話を聞いたときだった。
「信長様が、和平の使者を本願寺に送ることを決められました」光秀は言った。「田邊殿、あなたもその話し合いに関わってほしい、とのことです」
「私がですか」
「信長様は、田邊殿が宗教的な問題について、感情的にならずに話せる人物だと見ていると思います」光秀はそう説明した。「また、医療活動を通じて、本願寺の関係者とも接点があるかもしれない、という判断も」
医療班を前進させていた際、本願寺から出てきた降伏希望者を保護したことがあった。その中に、本願寺に近い場所に住む商人が何人かいた。間接的な接触ではあるが、確かに糸口はある。
「わかりました。やれることはやります」
和平交渉は、難航した。
顕如は、基本的に信長との和平を望んでいなかった。本願寺側の要求は、「信長が仏法の守護者として振る舞うこと」「寺社への攻撃をやめること」という条件で、信長にとって受け入れがたい内容を含んでいた。
信長の要求は逆に、「本願寺が全国の門徒一揆を停止すること」「信長の政策に干渉しないこと」というもので、本願寺側には受け入れがたい。
双方の要求の間に、大きな溝があった。
だが、紘一が注目したのは、本願寺の中でも意見が割れていることだった。
顕如は強硬派だが、年長の一部の僧侶の中に、現実的な話し合いを望む声もある。戦いが長引けば、城内の物資が尽きる。信者たちの生活も苦しくなる。それを憂える人々が、いた。
「中間派の存在を信長様に伝えるべきです」紘一は光秀に言った。「今すぐ和平は無理でも、内部に亀裂があることを把握しておけば、後の交渉に使えます」
「同感です」光秀は頷いた。「ただ、信長様が中間派の存在に期待しすぎないよう、慎重に伝える必要もある」
「その通りです。すぐに結果が出るとは言わず、長期的な戦略として持っておくという形で」
光秀と紘一は、その方針で信長に報告した。
信長は黙って聞いてから言った。「好きにしろ。だが、期待はしていない」
その言葉通り、この時期の和平交渉は実を結ばなかった。
だが、糸口だけは残った。
***
その一方で、紘一には別の動きがあった。
本願寺から出てきた降伏希望者の中に、一人の老僧がいた。
名を「道善」といった。
七十歳に近い、小柄な僧だ。医療班に保護されてきたとき、体が弱っていた。食料が不足していて、数週間ろくに食べていないという。
紘一は道善を診て、食事と休養を与えた。
「城内は、どんな状況ですか」紘一は、数日後に道善が回復してきたとき、慎重に聞いた。
「……食料が、かなり厳しくなっています」道善は言った。「顕如様は、まだ戦うとおっしゃっている。だが、長くは続かない」
「そうですか」
「あなたは、なぜ敵方の私を、丁寧に治療してくれるのですか」道善は紘一を見た。「不思議でなりません」
「傷ついた人を治すのが仕事です。敵か味方かは、関係がない」
道善は、しばらく沈黙した。
「織田信長は、仏敵だと聞いています。あなたは信長の家臣では?」
「家臣には近いですね。だが、私自身は信長様の戦い方すべてに賛成しているわけではありません」
「では、なぜ仕えているのですか」
難しい問いだった。
「信長様が天下をまとめれば、戦のない世が来ると信じているからです。今は多くの人が死んでいる。信長様の支配が広がれば、その数が減っていく。そのために、今の痛みがある、と」
道善は考え込んでいた。
「……それは、顕如様が仰ることと、根は同じかもしれません」老僧はぽつりと言った。「平和のために戦う、という言い方では、どちらも変わらない」
「その通りです。だから、難しい」
二人は、しばらく黙っていた。
答えは、出なかった。
だが、この老僧との会話が、紘一の心のどこかに残った。




