光秀との対話
姉川の戦いから五日後、紘一は明智光秀と二人で話す機会があった。
岐阜への帰路の途中、休憩で立ち寄った宿場でのことだ。他の家臣たちが食事や休息を取っている中、光秀が紘一の傍に来て静かに座った。
「田邊殿、少しよろしいですか」
「どうぞ」
光秀は、膝の上で手を組み、しばらく考えてから口を開いた。
「今回の戦いで、医療班の動きが非常に効果的でした。特に、渡渉地点での前進配置。あれは、田邊殿の発案ですね」
「ええ。負傷者を早く後送するためです」
「その判断の速さが、印象的でした」光秀は言った。「田邊殿は、戦の場でも医療の場でも、常に先を読んでいますね」
紘一はどう答えるか、少し考えた。
「先を読んでいる、というより、失敗から学んでいるんです。過去に間に合わなかった経験が積み重なって、今度こそはと動くようになる」
「なるほど」光秀は頷いた。「経験の蓄積、ですか」
「光秀殿は、今回の戦いをどうご覧になりましたか」
光秀は少し間を置いた。
「勝利は勝利です。ですが……」
言葉が途切れた。紘一は待った。
「信長様の判断の速さ、その決断力には、毎回驚かされます。だが同時に、その冷酷さにも」光秀は静かに続けた。「姉川の後、信長様は浅井・朝倉の首級を丁寧に数えていた。その目が……」
「感情がなかった、ということですか」
「いいえ」光秀は首を振った。「感情はあったと思います。ただ、それが私には理解できない種類の感情で……怒りとも喜びともつかない、何か別のもの」
紘一には、光秀が言いたいことが、なんとなくわかる気がした。
信長は、戦いを単純に楽しんでいるわけでも、単純に嫌っているわけでもない。戦いを、一つの手段として完全に道具化している。そのことに、光秀は微妙な違和感を覚えている。
「光秀殿は、信長様をどう思っていますか」
率直な問いだった。光秀は、驚いた様子もなく答えた。
「尊敬しています。この乱世を終わらせる力を持った人間は、信長様しかいないと、今でも思っています」光秀は続けた。「ただ……そのために、何でも許されるとも、思えない」
「同感です」
二人は、しばらく黙った。
宿場の外から、旅人たちの声が聞こえてくる。戦とは無関係の、日常の声。
「田邊殿」光秀が言った。「あなたは、長い間、信長様に仕えていますね。その間、信長様が変わっていったと感じますか」
これは、難しい問いだった。
紘一は少し考えてから、正直に答えた。
「変わったと思います。若い頃の信長様は、もっと人の痛みに敏感だった気がします。今は……目的を達成するための合理性が、他のものを圧倒しています」
「それは、強くなったということですか」
「強くなった、とも言えます。だが失ったものもある、と私は思います」
光秀は、その答えをしばらく噛み締めているようだった。
「田邊殿と話すと、いつも考えさせられます」
「私も、光秀殿と話すと、自分の考えが整理されます」
二人は、宿場の縁台に並んで腰かけていた。
夕暮れの光が横から射し込んで、光秀の横顔を照らしている。この男の顔には、常に何か深いものが沈んでいる。優秀で、誠実で、だからこそ苦しんでいる人間の顔だ。
紘一は、光秀の未来を知っている。
十二年後、本能寺。この男が、信長を討つ。
その事実を知りながら、今こうして並んで座っている。
これが、「歴史を知っている」ということの、どうしようもない重さだ。




