戦場の収拾
戦いが落ち着いたのは、午後の中ごろだった。
浅井・朝倉連合軍は、北へ退却していった。信長は深追いを命じなかった。罠の可能性があること、兵の疲弊が大きいこと。その判断は正しかったと、紘一も思う。
だが、戦場に残ったものは、重かった。
姉川の北岸一帯に、双方の死傷者が横たわっていた。
数えることが怖くなるほどの数だった。後の記録では、織田・徳川側が千五百ほど、浅井・朝倉側が三千近くを失ったとされる。合わせて四千五百。その数の重さは、数字では伝わらない。
紘一は医療班全員を動かして、生存者の救出にあたった。
倒れている者の中には、まだ息がある者もいる。声をかけながら、一人一人確認していく。
「生きてるか」
「……ここだ……」
かすれた声が聞こえた。草むらの中に、一人の兵が倒れていた。足を骨折している様子で、自力では動けない。
「今助ける。動くな」
副木を当て、固定する。二人がかりで担架に乗せて後送する。
その傍らに、もう一人倒れていた。
敵の兵だった。浅井家の紋所の入った鎧をつけている。生きているか確認しようと近づくと、目が開いた。
「……殺すのか」
低い声だった。怯えと、どこか諦めが混ざった声だ。
「殺さない」紘一は言った。「傷を見せてくれ」
兵は、驚いた顔をした。
敵の兵でも、治療する。それが紘一の流儀だった。戦が終われば、敵も味方もない。目の前にいる傷ついた人間を、できる限り救う。
「……なぜ、敵の私を」
「あなたも人間だ。それ以上の理由はない」
兵は、黙っていた。
紘一は手早く傷の確認をした。肩と脇腹に傷がある。深刻ではないが、放置すれば化膿する。
「少し痛むが、我慢してくれ」
処置をしながら、紘一は兵の顔を見た。
二十代半ばくらいだろう。近江の農村出身か、あるいは小さな武家の出か。この男にも、帰りを待っている家族がいるかもしれない。
「名は何という」
「……権助です」
「権助、今日の戦は終わった。しばらくはここで休め。傷が癒えたら、帰れる」
権助は、また黙っていた。
だが、その目に何かが変わった気がした。
***
夕方、信長が紘一を呼んだ。
本陣に入ると、信長と家康が向かい合って座っていた。主だった家臣たちが居並ぶ中、紘一も末席に加わった。
「今日の戦果を確認する」信長は言った。
伝令が次々と報告を上げていく。死傷者数、捕虜の数、回収した武器や旗の数。数字が積み重なっていく。
家康が言った。「信長殿、貴殿の援軍がなければ、我らは崩れていた。礼を申す」
「徳川殿の粘りがあってこそだ」信長は答えた。「今日は共に勝った」
そのやり取りは、紘一が見ていた信長の中では珍しい部類だった。家康に対して、信長が素直に感謝に近いことを言っている。この二人の信頼関係は、実は深いのかもしれない。
信長が紘一に目を向けた。
「田邊殿、今日の医療班の動きは見事だった。渡渉地点での配置も良かった。負傷者の後送が速かったと報告が入っている」
「ありがとうございます。吉田と若い医師たちが動いてくれました」
「そうか」信長は少し間を置いた。「だが、一つ聞きたい」
紘一は静かに待った。
「渡渉のとき、川底に大きな平石が何個か現れた。事前に置いておいたのか」
「事前に下見をしたとき、使えそうな石を幾つか川底に運んでおきました」紘一は答えた。
「一人でか」
「数名の供と」
信長は少し考えるような顔をしてから、頷いた。
「手が込んでいる。好きにしろ」
それだけだった。詮索はしない。信長は、結果を見る男だ。過程に疑問はあっても、成果が出ていれば、それ以上は踏み込まない。
紘一は内心で安堵した。




