秀吉の側面攻撃
秀吉の動きは、鮮やかだった。
三千の兵を率いて、浅井軍の正面ではなく、側面に回り込む。浅井軍は徳川軍との戦いに集中していたから、側面の警戒が手薄になっていた。
そこへ、秀吉が突いた。
「左翼から織田の援軍だ」
浅井軍が混乱した。
正面の徳川軍と戦いながら、側面からの攻撃にも対応しなければならない。兵力を分散せざるを得ない。その結果、両方向への対応が中途半端になる。
徳川軍が勢いを取り戻した。
家康は、この機を逃さなかった。
前進を命じ、浅井軍の正面に圧力をかける。正面と側面、両方から押される形になった浅井軍は、じりじりと後退し始めた。
紘一は、戦場の動きを少し離れた位置から見ていた。
医療班を前に出したおかげで、負傷者の後送が速くなっていた。担架が往復するたびに、処置できる人数が増える。
ある担架が運び込まれてきたとき、乗っていた兵の顔を見て、紘一は足を止めた。
昨夜、焚き火で話をした若い兵の一人だった。腹を槍で突かれている。
「わかった、今すぐ見る」
傷の深さを確認した。腹部貫通ではない。槍先が腹の横を掠めた形だ。血は多いが、内臓への損傷は、おそらく軽い。
「運がいい。助かる可能性が高い」
その言葉に、兵がかすかに笑った。
「田邊様……命大切に、って言ってたのに……やらかしました」
「やらかしたが、生きてる。それで十分だ」
処置を終え、後方の安全な場所へ移送する。若い医師に引き渡しながら、「絶対に死なせるな」と小声で言った。
若い医師は、今度は顔色を変えずに頷いた。さっきよりも、目が落ち着いていた。
戦いの中で、人は変わる。
兵も、医師も。短い時間の中で、何かが成熟していく。
***
一方、織田軍と朝倉軍の正面では、柴田勝家が指揮する部隊が優勢を保っていた。
朝倉軍は浅井軍ほどの精鋭ではなく、押されると陣形が乱れやすい。勝家の部隊は、その乱れを見逃さず、中央を突破した。
朝倉軍の陣形が崩れた。
これが決定的だった。
一方の軍が崩れれば、もう一方への圧力が倍増する。浅井軍は、朝倉軍の援護が期待できなくなり、孤立した形になった。秀吉の側面攻撃と徳川軍の正面圧力を、一軍で支えなければならない状況だ。
午後になって、浅井軍も後退を始めた。
戦いの趨勢は、決した。
後方の医療班陣地に、その変化が伝わるまで少し時間がかかった。
伝令が走ってくる。「浅井、退いています。朝倉はすでに壊走」
紘一は手を止めずに言った。「わかった。引き続き対応してくれ」
勝っても、負けても、医療班の仕事は変わらない。
戦いが終わりに近づくほど、重傷者が増える傾向がある。勝ちが決まったと思って追撃に出た兵が、退却する敵の最後の抵抗で傷を負うことが多いからだ。
そして今日も、案の定そうなった。
午後遅く、突然重傷者が三名、ほぼ同時に運び込まれた。
「退き口の敵の槍で」
「腹を刺された、腸に達してるかもしれない」
紘一は一瞬で状況を判断した。
腹部貫通の疑いがある者を最優先。ほかの二人は吉田と若い医師に任せる。
「吉田、右の二人を頼む。清水はそっちについてくれ」
「わかりました」
腹部の傷の兵は、顔色が悪い。痛みで意識が朦朧としている。紘一は素早く腹を確認した。傷口は斜めに入っていて、腸への到達は免れている可能性がある。内出血が問題だが、今できることをする。
戦いが終わっても、終わらない時間がある。
それが、医療班の戦いだった。




