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二十九(第三十六話)



 夕刻を前に、崖の巣に残っていた翼竜の駆除も完了した。

 卵は殻を素材として回収され、雛は肉として処理された。

 解体もおおかた終わり、夜明けの移動を前に、ひとときの休息に入った。

 皆が休む間も、ユトロは黙々と働き、まとめた素材をクナールの荷車へ静かに運んでいた。


 月形の緑の徽章を着ける者たちは、明日より王都へと帰還する。

 太陽を象った青の徽章を着ける黒竜討伐隊は、物資調達のため、帰還者の隊とともにスカルデンまで同行することになった。

 月は速やかな退避の印、太陽は迎え撃つ者の証とされている。


 バルグロスはユトロに休むよう命じようとしたが、男の姿はどこにも見当たらず、マルヴェナに託して先に眠った。



「今回は楽しい任務でした。これで僕は帰還かぁ」


 カイルスは班の仲間と火を囲んでいた。

 サリネや魔法使い、数名の戦士も加わっている。


「スカルデンまで、まだ数日はあるだろ」

「まぁそうですけど、目的は果たしましたし」

「せっかくだ、黒竜戦までついてこいよ」

「この地の翼竜を貫けなかったんです。足手まといになるだけですよ」


 多くの弓使いたちは、カイルスと同じ気持ちだった。

 マルヴェナやミスティンの成果を目にし、自分たちには届かぬ現実を突き付けられていた。


 南方の翼竜を退治した経験から遠征に参加したカイルスなどは、北方の厚く硬い皮の翼竜には歯が立たなかった。

 これ以上ついて行くのは恥でしかないと、カイルスは感じていた。


「レフタとティアは、特級に昇格するかもしれないな」

「ミスティンさんのようになるまでは、まだまだ時間がかかるでしょうね」

「まさか掘り鍬の技が弓に活きるとはな……」


 二人の弓使いはこの戦いで気術を扱えるようになっていた。

 待避壕を掘るうちに魔力の錬成を体で覚えたのだが、そのことを知る者はまだいない。


「気術って、魔素を使うのか?」

「魔素は呪文の詠唱なしには扱えんと聞くが」

「詠唱と言えば、坊さんの結界はすごかったな」


 今回の立役者はフェノルだという声が上がり、一同はその話で沸き立った。


「あのような巨大な結界を、どうやってお一人で張られたのか」

「魔法使いと僧侶では、力の出どころが違うのだろうか」

「魔力ではなく、信仰の力だと聞きますね」

「教会には懐疑的であったが、彼のような方がいるなら見直されるべきだろう」


 フェノルへの称賛が賑やかに続く中、サリネは焚き火の影をぼんやりと見つめていた。

 火の粉が風に流れ、遠くへ消えてゆく。


 カイルスは、サリネがこの話題に喜んで加わると思っていたため、その様子を不思議に思った。


「サリネさん、フェノルさんの話だよ」

「え……? ええ……も、もう、いいんです……」


 憧れの火が、風にさらわれて消えたかのようなサリネの様子に、カイルスはそれ以上踏み込まなかった。



 サリネは明け方前、ユトロから呼び出されていた。


 フェノルと共に人気のない林の奥へ連れてこられ、そこで妙な依頼を持ちかけられたのだ。


「この討伐で俺が魔法を使ったら、お前が使ったことにしてほしい」


 もし了承してくれるなら、今使っている杖よりも上質な素材を渡すと言われた。


 フェノルが光の魔法で辺りを柔らかく照らしていた。

 サリネはかすかな違和感を覚えたが、杖の素材と聞いて意識を会話へ戻した。


 ユトロは腰の袋から緑竜の鱗を取り出し、サリネに差し出した。

 掌ほどある大きな碧い鱗を手にした瞬間、サリネはそれが今の杖とよく似た感触をしていることに気付いた。


「緑竜は緑の馬のような姿をし、翼を持たず風を操る竜だ。

 風魔法で足場を作り、空を駆けている。

 今はその鱗しか持っておらんが、家に戻れば角もある。

 それをお前にやろうと思うのだが──」

「や、やります!」


 サリネは前のめりになって答えた。

 鱗一枚で今の杖と同じ感触があるのなら、角はそれ以上に違いない。

 彼女はその素材を思い浮かべ、胸を高鳴らせた。


 ユトロはさらに、翼竜や黒竜の素材ではサリネに相応しい杖は作れないことも伝えた。

 この遠征で彼女が得られる有用な素材はないのだと。

 すでに目的を果たした気分だったサリネは、その話に肩を落とすことはなかった。


 フェノルが眉を寄せた。


「それで、私には何を?」

「うむ。貴殿には防御結界で翼竜を逃さぬようにしてほしいのだ」

「僧侶の私に、戦いへ参加しろとおっしゃるのですか?」


 素材の話に浮かれていたサリネは、ユトロの頼みごとを思い出し、今になってその内容へ首を傾げた。

 ぼんやりとフェノルの握る聖杖の先の光を眺め、二人の会話に耳を澄ました。


「殺生を行うのではない。

 貴殿は翼竜を閉じ込め、これ以上弱き者に害を及ぼさぬようにするのだ。

 俺はここから目立たぬよう、翼竜を残らず仕留めよう。

 一匹とて撃ち漏らさねば、その感謝は貴殿へ向かうはずだ。

 然れば、人々の信仰もいっそう深まろう」


 ユトロの奇妙な提案に、フェノルは顎を撫でていた。


「……しかし、私は翼竜が苦手なのです。

 あれらは野蛮な獣でございましょう。

 翼とは名ばかりの指の皮膜ではありませんか。

 なぜウルラ様は皮膜などで飛ぶことを、お許しになったのか……」


 ぶつぶつとぼやくフェノルに、サリネはふっと目を細めた。

 鳥の話になるとこの僧侶は、周りが見えなくなるようだった。


 しかし今、ユトロは不穏なことを口にしなかっただろうか……

 サリネは二人の会話へ再び意識を向けた。


「俺の術で、翼竜から身を守れるならどうだ。

 加護で守られているとでも言えば、貴殿の参戦に文句も出まい」

「ほう……そのようなことが?」


 サリネは耳を疑うように、フェノルを見つめた。

 ユトロのおかしな企てに彼が乗り気であることに、胸の奥が冷たくなるのを感じた。

 それから二人の声の大きさが気になり、この話は誰にも聞かれてはならないのではと、サリネは周囲を見回した。

 遠くに野営の焚き火が見えたが、誰かに覗かれている気配はなかった。

 ここに来てからユトロは小声で話すこともなく、サリネもフェノルも普通に会話をしていた。


 頭上の木の葉が音もなく風に揺れるのを見て、サリネははっとした。

 夜風の音も、光の揺らぎも、見えない壁に遮られているのだ。

 サリネはそこが、結界の内側であると、ようやく気付いた。

 おそらく光も声も、外へは届いていない。

 いつの間にかフェノルが、結界を張っていたらしい。


 そして、彼が詠唱をしていなかったことに思い至った。

 フェノルの聖杖の先に灯る、魔法の光を見つめた。


「あ、あの……なぜ私が、魔法を使ったことに……?

 ゆ、ユトロさんは、魔法を……つか、使われるのですか……?」


 急に恐ろしくなり、サリネの声が震えた。

 新月と魔素の関係を教えてくれたユトロなら、魔法を使っても不思議ではない。

 しかし、おかしなことに巻き込まれているのではないかと、不安が膨らんだ。

 信頼していたフェノルにすら、今は戸惑いを覚えていた。


「うむ。俺は魔法を、こうやって使う」


 ユトロが軽く息を吸った瞬間、空気がざらりと震えた。

 周囲の魔素が男の周りへと吸い寄せられるように集まり、肌に微かな圧をもたらした。

 魔素が魔力へ変わり、魔力が魔法を構築してゆく気配があり──


 その刹那、風が爆ぜた。


 ユトロは詠唱もなくサリネの体に突風を吹きつけた。

 足もとの落ち葉が飛ばされ、結界を吹き抜けた。

 サリネの頭から帽子が飛ばされ、後方に湧き出た小さな風の渦がそれを受け止めると、ユトロのもとへ運ばれた。

 男は得意げに帽子をくるくると指で回し、彼女の頭にそれを戻した。


 どうだと言わんばかりのユトロに、サリネはきょとんとしていた。

 頭の帽子を確かめたサリネは、思わず一歩後ずさり、混乱の中で必死に考えた。


 強い突風から小さな旋風まで、いとも容易く作り出していた。

 突風は前から吹き、旋風は後ろから、まるで意思を持つかのようにユトロのもとへ帽子を運んだ。

 二つの魔法を、ほとんど同時に使うなど、呪文の詠唱が追いつくはずがなかった。


 だが──ユトロは無詠唱であった。


 サリネはその事実を受け止めきれず、瞳を揺らした。


 もしも、思った場所へ思った瞬間に、大きさも威力もすべてを意思のまま自在に作り出せるのであれば……

 呪文を組むための計算が不要であるならば……


「──それと、ここの結界は俺が作ったものだ」

「“風の盾”を応用されたのでしょうか。面白い使い方をなさいますね」


「へ……?」


 常識を覆す光景に、サリネの胸は強くざわついた。

 だが、彼らの落ち着いた様子に、サリネの恐怖はむしろ拍子抜けするように薄れていた。

 もはや、頭がついてゆけぬ。


「お、お二人は……無詠唱で、魔法を……?

 ユ、ユトロさんは、それを隠したいから……わ、私に?」


「俺は魔法が皆より上手いことを知られたくないだけだ。

 無詠唱が知れて困るのは、俺ではなく、此奴であろう」


 ユトロの言葉に隣を見ると、フェノルは穏やかに微笑む。


「私はただ、聖句を唱えているのです。

 聖句はウルラ様を敬い称えるためのもの。

 ウルラ様への信仰心に、偽りはございません」


 つられて笑顔になりかけたサリネは、はっとして俯いた。

 信仰心から魔法の前に聖句を唱えている──フェノルのその主張に、サリネは眉を寄せた。


 無詠唱で魔法が使えるのに、呪文であるかのようにして、フェノルは聖句を唱えている。

 信仰深い者が、そのように聖句を扱うだろうか……


 フェノルの穏やかな様子に、サリネの疑問はかえって深まった。


「な、なぜ、隠すのです……?

 フェノル様も、ゆ、ユトロさんも……」


 呪文の詠唱が魔法の絶対条件だと、サリネは信じてきた。

 魔法使いなら、誰もがそう教えられてきたからだ。

 だが目の前で、戦士と僧侶が無詠唱で魔法を使っている。


 その事実に困るのは──


 自分たち、魔法使いなのでは……?


 サリネは息を呑んだ。

 その戸惑いを見透かしたように、ユトロは頷いた。


「うむ……そうだな。

 協力してもらうのだ。サリネにはきちんと話そう──」



 その日、サリネは困惑のうちに夜を過ごした。

 だが、夜半過ぎに聞いた話により、胸を締めつけていた不安は、すでに薄れていた。

 そして朝になり、緑竜の杖のことを思い浮かべたサリネは、気力を取り戻していた。


 しかし翼竜討伐を終えた今も、ユトロの代わりに魔法を使ったと説明する機会は、まだ訪れていない。

 ユトロは林に隠れて参戦したため、投擲にサリネが補助魔法を使ったとする必要もなかった。


 ユトロの投擲は、人の技とは思えぬ威力と正確さであった。

 連携したフェノルの巨大な結界に至っては、人族では到底及ばぬ域にあった。


 ユトロの秘密を聞かされたサリネは、人族が力に乏しい種であることを、否応なく思い知らされていた。

 ユトロは、異種族の血を引くのだと言っていた──おそらくフェノルもまた、そうなのだろう。


 ユトロは、人として生きるために己の能力を隠したいのだという。

 ユトロやフェノルにとって無詠唱魔法は当然であり、人族が呪文なしに魔法を構築できないことこそ、不思議であるかのようだった……


 カイルスの隣で焚き火にあたるサリネは、どこか空虚な気持ちで火を見つめていた。


 異種族とは、人族よりも遥かに優れた存在なのだろうか。

 魔法に関しては、人族とは比べることすらできぬ領域だ。

 彼らの魔法が基準となれば、人族の魔法使いは何を誇ればよいのだろうか。


 サリネの知る異種族と言えば、鍛冶族だ。

 町では必ず彼らの工房を見かけ、その技は人族では到底真似できない。

 考えてみれば、鍛冶族の加工技術もまた、魔法である。


 精麗族は、呪文の詠唱を詩歌で行うと聞く。

 彼らの魔法も、人族とは比べものにならない。

 魔法で空を飛べるのは、精麗族だからだと、そう思っていた。


 海沿いの町には水中を泳ぐ鱗人が暮らし、森には小柄な森人が息づき、空には翼人が舞い、大地を風のように駆ける者たちもいると聞く。


 どの種族にも、人族より優れた力があるように思えた。

 異種族であるからと、そう思っていた特別なものはみな、魔法による特性なのかもしれない。


 サリネはふと、疑問を抱いた。

 これから討伐に向かう竜族もまた、ウルラの子とされる種族である。


 無詠唱魔法は、竜族が使うことで知られていた。

 強大な力を持つ種族であるため、それを不思議とは誰も思わない。

 炎の息を吐く彼らは、体内に魔素を蓄える器官を持ち、魔物のように核を有している。


 人族の生活を脅かす竜族は、ユトロやフェノルにとっても同じ存在なのだろうか。

 二人からすれば、人族ほどの脅威ではないように思える。

 だが彼らは、黒竜を倒すためにこの遠征に参加している。


 竜族とは、他の種族にとっても、共通の敵なのだろうか……



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