二十七(第三十四話)
マルヴェナが焚き火へ向かうと、ユトロが待っていた。
先ほどフェノルとサリネを連れてユトロがどこかへ行くのを、マルヴェナは見ていた。
だが、休憩中の行動に口を出すことはしない。
交代したサリネの様子は気になるが、食事のときに聞けばよい。
「どうした」
「少し、聞きたいことがある」
黒竜討伐が取りやめになった場合に、損害が出るのか──ユトロがマルヴェナに尋ねたのは、想定にしても現実味に欠ける話だった。
場違いな質問に眉を寄せつつも、マルヴェナは真面目に考えて答えた。
この先に宿泊予定はなく、しばらくは野営が続くとバルグロスからは聞いていた。
これまでの討伐未達の記録が報告書の代わりとなっており、バルグロスはその積み重ねをもとに慎重な計画を立てていた。
少数の先行隊を送れば、戻らぬ可能性が高いと見ているためだ。
またバルグロスは、翼竜討伐後にスカルデンで物資を補充する予定を立てている。
翼竜戦ののち帰還となったとしても、すでに手配済みの物資は帰りの野営で消費できる。
よって、損害は出ず、結果として予算が余る可能性もある──マルヴェナはそう説明した。
「……つまり、問題はないということだな?」
「まあ、そうだな。
ただし、ギルドからの命令がない限り、討伐が中止になることはないぞ。
目の前に、黒竜の屍でも転がっていれば別だがな」
「ふむ……」
半ば冗談めかして返したマルヴェナに、ユトロは静かに礼を言い、見張りの持ち場へ向かった。
男がなぜこんな質問をしたのか、マルヴェナには見当がつかない。
フェノルとサリネのことも気にはなるが、今はやるべきことが多い。
マルヴェナは両手で頬を軽く叩き、気持ちを引き締めた。
火番を近くの見張りに任せ、討伐戦に向けた最終確認を始める。
待避壕の数は十分か、その位置に問題はないか、崖際に設けた杭と縄は安全に使えるか。
竜除けの草を焚き、すべてを見届けてから、冷たい息を吐く。
黎明になると、林の闇に焚き火の明かりがぽつぽつと灯り始め、あちこちで鎧の触れ合う音が響く。
冒険者たちが次々に目を覚まし、丘には戦の気配が満ちゆく。
やがて──決戦の刻を迎えた。
それぞれが持ち場につき、息を合わせた。
マルヴェナが声を張り上げる。
「魔法の合図の後、谷底の部隊が巣への攻撃を一斉に開始する!
腰の縄を今一度確かめろ!
前へ出る者は必ず命綱をつけよ!
弓使いは飛ぶ敵を討て、戦士は石の投擲および接近した敵を叩け!
──これより翼竜討伐を開始する!」
その声に、丘じゅうから力強い鬨の声が返った。
岩山のあわいから光が差し込み、灰色の世界を少しずつ色づかせてゆく。
人の影が見分けられるほどの明るさになると、魔法使いの合図が放たれ、戦の朝がついに幕を開けた。
「カイルス、どっちが多く落とせるか勝負しようぜ」
「いいね。銀貨を一枚出そう」
「俺も混ぜてくれ!」
張りつめた空気を振り払うように、弓使いたちは勝負を始めた。
次々と参加者が増え、最多の撃墜数を挙げた者が、全員から銀貨を受け取ることになった。
昨夜の竜除けの効果か、明けの空は静かに澄んだ青をたたえ、獲物の姿はまだない。
崖の縁で構えていた誘導班が、谷底へ向けて矢を放つ動きを見せた。
翼竜の鳴き声が響き、谷底から一体目が飛び出す。
人よりも大きく、翼を広げれば九マールにも達する巨体が空へ躍り出た。
弓使いたちは構えていた矢を一斉に放った。
二体、三体と続き、翼竜たちは矢の届かない高空へ舞い上がって、丘の上を旋回し始める。
その時、風を鋭く裂き、三本の矢が同時に飛んだ。
旋回する翼竜の両翼と頭を、寸分違わず貫く。
弓使いたちは口を開けたままマルヴェナを見た。
「さすが《葬弓》のマルヴェナだ」
「本当に三本同時に操って当てたぞ」
「あれ見た後じゃ、勝っても恥ずかしいな……」
「ならお前は、負けでいいぞ」
撃ち落とされた翼竜が隊の頭上へ落下し、モルバスが大剣で弾き飛ばした。
「くっちゃべってねぇで、どんどん撃ち落としやがれッ!」
「俺たちにも仕事を寄越せってんだ!」
怒鳴られた弓使いたちは気を引き締め、慎重に狙いを定める。
急降下してきた翼竜に矢が刺さり、怯んだところをモルバスが叩き潰した。
「クソッ!」
「危ない!」
さらに一体が襲いかかり、放たれた矢は厚い皮に弾かれる。
矢を放ったカイルスは、目を疑った。
南で退治した翼竜と皮の質が違うと悟り、額に冷たい汗が滲む。
そこへ──ひゅ、と石が飛び、翼竜の頭を砕いた。
どさりと地に落ちた死骸を見て、モルバスは林を睨みつける。
「クソッ! またあいつか!」
悪態をつくモルバスに、弓使いたちは苦笑した。
カイルスは、あの石がユトロのものだと気付いている。
「モルバス、前を見ろ! 何を苛立っている!」
「仲間を煽らねぇでも、勝手にどんどん来るじゃねぇか……よっと!」
バルグロスがモルバスを叱り、ジルヴァンは飛び込んできた翼竜を受け流して剣で突き刺す。
ジルヴァンの言う通り、空にはまだ無数の翼竜が舞っていた。
二十名ほどの弓使いが丘から矢を放ち、十数名の戦士が石を投げ、地へ落ちた翼竜に剣でとどめを刺してゆく。
マルヴェナは一体ずつ正確に貫き、特級弓使いミスティンも見事な連射で敵を落とした。
だが翼竜の数は減る気配がなく、むしろ空を埋める影は増していた。
上級弓使いの矢のほとんどは皮を貫けず、矢を受けた個体も高空へ退避してしまう。
しばらく交戦が続いたのち、前線の戦士を狙っていた翼竜たちが上空へと退き、攻めかかる気配が消えた。
「こりゃ逃げちまうんじゃねぇか?」
「ですが、二、三十体は落としましたよね」
「それじゃ少ねぇな。もう三十は落としたいところだ」
「気を緩めるな! 今のうちに足場を整えろ!」
マルヴェナの声で、戦士たちは死骸を担ぎ後方へ運ぶ。
地上を窺う翼竜たちの背後で、手負いの個体が逃げようとした。
しかし、見えぬものに阻まれたかのように進路を失い、そのまま押し戻される。
ほかの翼竜も同じように弾かれ、谷へと追いやられていった。
「天の座に在すウルラよ、聖き秩序の御名において請い奉る……
いま荒ぶる翼を鎮め、迷いしものをその途へ還したまえ。
光は境を成し、風は裁きを告げる。
穢れし影よ、聖障を越えることなかれ──
ここに示すは、天の理なり。退け、退け、退けよ!」
林にいたはずのフェノルが、いつの間にか丘へ出ていた。
展開された防御結界が、翼竜を次々に弾き返す。
「やるじゃねぇか、おっさん。
こいつはまた、でっけぇ結界だな」
「フェノル殿!
貴殿には隊の医務を任せているのだ。下がっていてほしい!」
バルグロスが退避を命じる。
「いいじゃねぇか。
おっさんの魔法は普通じゃねぇんだ、手伝ってもらおうぜ?」
ジルヴァンは乗り気だが、バルグロスは渋る。
フェノルはギルドの冒険者ではなく、教会から派遣された治癒師である。
「ご安心ください。
ウルラ様の守りを賜る私に、悪しき翼竜は近寄りません。
医療班も今は足りております。
ですので、少しだけお手伝いをさせてください」
「……しかし」
なおも渋るバルグロスを前に、フェノルは静かに聖杖を掲げた。
途端、頭上に迫っていた翼竜が怯えたように退いた。
「僧侶フェノルは、林におります。
ここに立つのは、通りすがりの魔法使い。
……それでよろしいでしょう?」
丘の空では無数の翼竜が舞っている。
しかし不思議なことに、フェノルの周囲には一体も近づけなかった。
「……危険と判断すれば、担いででも連れて行くぞ」
「ええ、それで結構です。
──天の理により、荒ぶる翼を退けよ」
バルグロスへ襲いかかった翼竜を弾き飛ばし、フェノルは本格的に討伐の補助へ加わった。




