二十六(第三十三話)
討伐予定地では、丸一日の“休息日”とはいえ、待避壕作りは続いていた。
休む班と斜穴を掘る班に分かれ、作業は夜通し交代で行われた。
マルヴェナは、ふと胸の奥で落胆を覚えていた。
ユトロに対し、つい過分な期待を抱いていたためである。
ユトロが彼女に告げたのは、斬新な策ではなく──「お前のやり方で進めろ」という、あまりに素っ気ない一言だった。
「マルヴェナさん、お疲れ様です」
「……カイルスか」
やって来たカイルスに、温かい湯を手渡された。
「マルヴェナさん、お酒はいける口でしたよね?」
「ああ。ん……美味いな。何の酒だ?」
「ユトロさんがお湯に混ぜたそうです。ペリカ酒と言ってました。
飲めない人もいるからって、注意はしておいたんですが」
勝手な真似をする男だ、とマルヴェナは苦笑した。
「さっきからユトロさんが集めているあの石……
あれは、投擲用なんでしょうか」
皆が待避壕を作る中、ユトロはどこへともなく姿を消しては、袋いっぱいの石を抱えて戻ってくる。
ユトロが運んで来る石は、投擲用に用意されたものよりも大きい。
それを、崖から遠い林の木陰へ積み上げていた。
「あいつのことは好きにさせておけ。
既に十分な働きをしてくれたからな」
マルヴェナは小さく首を振り、ユトロへの期待をそこで手放した。
「こんなカッチカチの地面に穴を掘れとか、無理だろぉがよ」
「文句を言わないでくださいよ、ジルヴァンさん。
林へ逃げ込むには距離がありますし……」
冒険者たちは待避壕作りに苦戦していた。
この丘の地面は硬く、まるで岩のようであった。
竜除けが焚かれていて比較的安全とはいえ、翼竜の巣穴のそばで行う夜間作業だ。
進まぬ穴掘りに、あちこちから不満の声が上がる。
特級冒険者の戦士ジルヴァンは、ついに面倒になり、掘り鍬を剣のように握った。
そして気を溜め、一気に土を叩き割る。
ドオォンッ!
──地を揺らす轟音とともに、大穴が穿たれた。
谷から翼竜の鳴き声が上がり、ばさばさと数匹が飛び出す。
周囲の者は慌てて林へ退避し、バルグロスは焚いていた竜除けを火ごと空へ放った。
真っ暗なその一帯からギャアッと悲鳴が響き、翼を羽ばたかせて逃げる音が遠ざかる。
丘は静まり返った。
突然の事態に、マルヴェナとカイルスは目を見張った。
「林へ退避せよ! 班ごとに点呼を取れ!」
連れ去られた者がいないか、バルグロスは人員を林へ寄せた。
「大丈夫だ。誰も連れていかれてはおらん」
ユトロがやって来て、湯を入れた鍋をバルグロスに差し出す。
「ユトロは夜目が利くのだったな。で、これは……?」
「体が温まる。お前の班で飲め。
せっかく全員集まったのだ、少し休んだほうがよかろう」
バルグロスは礼を述べ、そのまま小休憩とした。
「ジルヴァン、お前、なんてことをするんだ」
「すまねぇマルヴェナ。
だってよ、土が固ぇんだもんな。まったくよぉ」
「斜穴ではなく、大穴になりましたね……」
ジルヴァンと共にいた若い戦士デオンは呆れていた。
顎髭の大男は頭を掻いて謝った。
マルヴェナはため息を吐いた。
「大穴の中に斜穴を作れば、むしろ安全な待避壕になる。
ただの斜穴では引きずり出されるかもしれんが、翼竜は両翼より狭い場所には入れまい」
「足、挫かねぇか?」
「そう思うなら、自分で穴を埋めるんだな」
確かにこの丘の土は固く締まり、待避壕を掘るには難しい土地だ。
しかし、岩山続きのこの山岳地で、条件を満たすのはここしかない。
しかも巣の真上だ。
「お前のさっきの技は、魔法か?」
「あん? どうだろうなぁ。
“気術”って言われてるが、俺も魔法との違いはわかんねぇんだ。
ただよ、魔法ならふつう、呪文がいるだろ?
俺のはそういうもんじゃねぇしな」
掘り鍬を左右に振りながら、ジルヴァンはユトロへ答える。
「勢いを落とし、静かにやればうまくいくと思うが」
ユトロは掘り鍬を借り、ジルヴァンの構えを真似て土へ当てた。
スッ、と音もなく切れ込みが入り、筋に沿って掘り鍬を差し込むと、土の塊がぱくりと持ち上がる。
地面に綺麗な穴が開いた。
「おぉ……おいおい、お前、どうやった?」
「うむ、こうだ。薄く“気”を纏わせ──」
ユトロは魔力を“気”と言い換え、もう一度静かに土を切ってみせた。
ジルヴァンは面白がって真似をし、数回のうちに音を立てず切れるようになる。
「おぉ! お前のことは“先生”と呼ぼう。こりゃ便利な技だな」
「すごいですね! 私にも教えてください!」
デオンは興奮し、ユトロから同じ技を習う。
マルヴェナは、ユトロが容易く“気術”を再現したことに驚いた。
だが周囲の者たちは次々と掘り鍬を構えて真似を始め、ついにはバルグロスまで参加している。
「マルヴェナさんが使っているのも、“気術”なんですか?」
「いや、私のは……そういうものではないと思うが……」
カイルスに勧められ、マルヴェナも渋々参加した。
弓を射るときに使う力を掘り鍬の先に薄く纏わせる──形状の違いゆえ難しいが、時間をかけてどうにか力を乗せる。
静かに横へ引くと、地面がぱくりと切れた。
「ほら……やっぱりマルヴェナさんのも、“気術”じゃないですか」
マルヴェナは掌を見つめ、体の奥から高揚が湧くのを感じた。
ユトロの技は、できる者とできぬ者がはっきり分かれた。
試す者が増えるにつれ、特級冒険者には共通して再現でき、上級冒険者の中にも成功者が現れ始める。
特級昇格を口にする者まで出始めた。
先ほどまで苦行そのものだった穴掘り作業を、皆が競うように行った。
△ ☽ △
夜半が過ぎる頃には月もすでに沈み、穴を掘り終えて休む者が増えた。
火番をしていたカイルスは、ユトロがどこかへ消えてゆくのを見送った。
弓の手入れを終えると、カイルスは鞄から白鉱石を取り出し、布で磨く。
スカルデンの露店で購入した、質の良い鉱石だ。
「き、綺麗な白鉱石を、購入されたんですね……」
振り向くと、サリネが隣に立っていた。
「やあサリネさん。見張りですか?」
サリネの所属するバルグロスの班は、深夜から早朝は戦士が担当することが多い。
この時間帯にカイルスが彼女と顔を合わせるのは、初めてだった。
「は、はい。明日はいよいよ……討伐ですね……」
「緊張しているんですか?」
「い、いえ……今回は特級の方々や、フェノル様がいらっしゃるので……
だ、大丈夫ではないかと……」
サリネはフェノルをすっかり信用していた。
カイルスは、男の過剰な愛鳥心が少し苦手である。
「サリネさんは、杖の素材のために遠征隊へ参加されたんでしたっけ」
「は、はい……この杖は、お借りしている物、なのです。
なので、この杖と同じくらい良い物を……つ、作りたくて……」
忘れ物のこの杖を使うようになってから、魔法が上達し、上級冒険者になれたのだとサリネは語る。
他の杖では、中級ほどの力しか出せないという。
「フェノル様のお話だと……この杖には風の力が宿っていて……
わ、私は、その力を扱うのに適している、らしいのです……」
「風の力? 風の魔法のことですか?」
雨の日に、サリネが衣服を乾かしてくれたのをカイルスは思い出した。
「ええ……おそらく。か、風の魔法が、一番得意ですので……」
カイルスは薪を動かして空気を送り、沸かしていた湯を器に入れてサリネに渡した。
礼を言って受け取ったサリネは、腰の袋から香草を取り出して入れる。
「そういえば……フェノルさんとサリネさんの魔法の呪文って、違いますよね。
同じ魔法でも、人によって違うんですか?」
カイルスの疑問に、サリネは小さく頷いた。
「み、導きの句、想いの句、放ちの句……
この三つの句で、呪文は魔法になると言われています。
呪文は、自分に合う言葉で組み立てていて……
も、文言が違っていても、構わないのです。
フェノル様の詠唱は、深く敬う祈りの詩のようで……
とても……美しいです……」
うっとりする彼女に、カイルスは苦笑を漏らす。
しばらく雑談を交わし、サリネは見張りへ戻っていった。
そろそろ夜番の交代になる頃、ユトロが戻ってきた。
男はバルグロスの班へ向かい、寝ていたフェノルを起こし、さらに近くのサリネを呼び寄せて三人で林に入っていった。
ユトロが特定の者に声を掛けるなど珍しく、カイルスは不思議に思った。
しばらくして三人は戻り、ユトロはカイルスのもとへやってくる。
「交代だ」
「はい……フェノルさんたちと、何をしていたんです?」
「討伐の話だ」
それだけ言って、ユトロは夜番を引き継ぎ、カイルスは休憩へ入った。
サリネはマルヴェナと交代していた。
見張りに就いたユトロは焚き火の前に留まり、この時刻の火番であるマルヴェナが来るのを静かに待った。
横になったカイルスは、サリネのことが少し気に掛かった。
三人で戻ってきたときの彼女の様子が──
酷く困惑しているように見えたからだ。




