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二十(第二十七話)



 ナユタナが二日間の出来事を話し終えるころ、ユトロもバルクの肉を食べ終えていた。

 そして、サルヴァからの言伝を、ダランから聞かされた。


 出資者として名を連ねてほしいというメルグリスの話には興味が湧かず、コルベの工房造りの話の方が、よほどユトロには面白かった。


「ユトロも風魔法で手伝ってくれぬだろうか」

「よかろう。楽しそうだ」


 ナユタナが喜ぶと、その笑顔にユトロも嬉しくなった。

 跳獣の肉を食べ終えたナユタナは、ユトロの土産の酒を大事に抱きしめている。

 ユトロはナユタナが渡したペリカ酒を、硝子の酒器に注いでいた。


「して、メルグリスには、どのように返事を?」

「名は貸さん。放っておけ」


 何の得にもならない話だとユトロは思った。

 そもそもユトロは、メルグリスの商いに金を出した覚えはない。

 支払った百万グローネは、ナユタナの価値を示したに過ぎなかった。


 向かいの席で不愉快そうに眉を寄せるユトロを見て、ナユタナは納得した。

 サルヴァが魔法の香水を用意する意図を察したのだ。


 鼻の利くユトロであれば、快く承諾しただろうか──

 サルヴァの言葉に乗せられるユトロの姿を思い浮かべ、ナユタナはふふと笑った。

 ナユタナが笑う意味を知らず、ユトロは再び笑顔に戻った。


 それからユトロはダランとナユタナに手伝ってもらい、真っ暗な浴み小屋で湯浴みをした。

 体を拭き、新しい服と靴に着替える。


 ナユタナは水魔法を使い、たらいでユトロの服と靴を洗った。

 露台に戻ってそれらを干し、ユトロが風魔法でいくらか乾かす。


「朝になったら棚にしまってくれ」

「うむ……部屋で休んでいったらどうだ?

 一刻ほどしたら、私が起こしてやろう」


 ナユタナの言葉に、ユトロは少しだけ休むことにした。

 少しでも長く、彼女のそばにいたいと思ったのだ。


 ダランの姿は、いつの間にか消えていた。


「ナユタナよ、あれは何だ?」


 書き物机に散らかる紙を、ユトロは見つめる。


「私の記録だ。この地に来てからのことを書いている」

「ほう、見せてくれ」


 ナユタナは寝台から椅子へひらりと飛び移り、紙の束を抱いてユトロに届ける。

 橙を灯し、ユトロは紙を敷布の上に広げた。

 小さな森人の文字を、男は愛おしく感じる。


「絵がうまいのだな」

「地竜の姿を描いたら、ダランが喜んでおった」


 ナユタナは得意げな顔で、器へ酒を少し注いだ。


 雑多な記録に目を通し、人族と月光についての考察に目を止めたユトロは、興味深げにそれを読んだ。

 細かな文字は苦手なユトロであったが、ナユタナの書くものは、不思議と楽しく読み進められた。


 夢中になって読んでいると、隣から寝息が聞こえた。


 ユトロは手元の紙を束ね、机へ戻す。

 ナユタナの手から酒瓶と器をそっと取り、棚に置いた。

 衣を直してやり、毛布を掛ける。


 横になったユトロは、彼女の寝顔を見つめながら、まぶたを閉じた。

 静かな安らぎが胸に満ち、そのまま深い眠りへと沈んでゆく──



「……様……ユトロ様……ユトロ様!」


 肩を揺すられて目を覚ますと、ダランがひどく慌てていた。


「そろそろ行かれたほうが、よろしいかと。

 邪魔をしてはと、部屋を覗かぬようにしていたのですよ」


 飛び起きたユトロは窓を見る。


 外はいまだ深い闇に沈み、暁はまだ遠い。

 ナユタナはぐっすり眠っており、ユトロはほっとして、静かに荷物をまとめた。

 靴を袋に入れて背負い、手足を魔法で獣の形に変える。


「ナユタナを頼んだぞ。

 気に病んでいたら、俺はきちんと目覚めたと伝えろ。

 どうせ間に合うのだからな」


 露台に出たユトロは、音もなく夜の影に消えた。


 男が去ると、ダランはナユタナのだらしのない寝顔を見た。

 これまでのユトロなら、予定の時刻を過ぎたことに、ひどく腹を立てていただろう。


 ナユタナという娘の資質は、侮れぬ。

 ダランは、その見立てをひとり胸に沈めた。



 △ ☽ △



 北へ一直線に向かったユトロは、スカルデンの町に着くと、宿屋へ荷物を置きに行った。

 次の目的地まで、そのまま下見に出ようとしていた。


 鍵番に宿札を見せると、先に二つ折りの紙を手渡された。

 開いてみると、バルグロスからの書き置きだ。

 宿に戻ったら自分の元へ来るようにと指示がある。


 手紙が預けられたのは昨日の夕刻だと言われ、ユトロは裸足のまま靴を履き、バルグロスの部屋へ向かった。


 書き置きに示された部屋の前でユトロが耳を澄ますと、中の者はすでに寝ているようであった。

 念のため、小さな音で戸を叩く。

 そこまでして出てこなければ、引き返すつもりでいた。

 だが──


「あんたがユトロか。遅くまでどこへ行っていた」


 声のする方へ振り向くと、背の高い黒肌の女が立っていた。

 女は持っていた灯でユトロの顔を覗く。


「石鹸の香りがするな……ふん、遊んできたというわけか」


 戸が開き、起きてきたバルグロスが二人を出迎える。


「マルヴェナ、ユトロに声を掛け遅れたのは私だ。

 怒らないでやってくれ」


 ユトロは女が特級弓使いのマルヴェナだと察した。



「紹介が遅れたな。

 彼女は遠征隊の副隊長、スヴァレク領の特級冒険者マルヴェナだ。

 翼竜討伐の指揮を執る。

 先行して報告を残してくれていた者でもある」


 バルグロスがユトロをマルヴェナに紹介している間、ユトロは机の報告書へ目を通した。

 バルグロスの説明で、彼女が翼竜被害の地から戻ってきたのだとわかった。


 その部屋は話し合いに使うための個室で、机と椅子が二脚あった。

 ユトロとマルヴェナが椅子に座り、灯を置いた机を挟んでバルグロスは寝台に座っていた。


「替えの服を用意しているとは感心する」


 バルグロスは場を和ませるように微笑み、ユトロの装備に目を向けた。

 汚れのない服に気付いていたマルヴェナは、着替えの時間も待たされたのだと苛立った。


「次の宿泊地はスヴァンか?」


 ユトロは地図を見て、そう確認した。


 その低い声を聞き、マルヴェナは一瞬、身を強張らせた。

 額に冷や汗が流れ、身体の奥から湧き上がる恐怖を抑えると、ユトロへ警戒の目を向ける。


 バルグロスはマルヴェナのその様子に、咳払いをした。


「──ああ。だが、今朝はユトロが見に行く必要はない。

 今日の道の状態は、マルヴェナからすでに報告を受けているからな。

 これから休むのだろう。引き留めて悪かった」

「うむ……よければ、討伐の予定地を教えてもらえぬだろうか。

 何日後に到着するのかを知りたい」


 この先も屋敷に戻れるのかを、ユトロは確かめておきたかった。

 ナユタナが腹を空かせてはならないからだ。


 バルグロスは構わないと頷き、地図を指し示した。


「翼竜被害の地はクナールという小さな村だ。

 マルヴェナが戦いに適した広い平地を見つけた。

 弓と魔法の部隊がそこへ誘い込み、討伐戦となる予定だ」


 問題なく進めば明後日には戦いの予定地に着くという。

 その場所は、ユトロが以前見た翼竜の巣からずっと南にずれている。

 ダランの見立て通りであった。


「今日は野営をするのか?」

「ああ。今日から暫くは野営が続く。

 とはいえ、翼竜戦の後に、一旦この町へ戻って宿を取るから安心してくれ。

 ギルドへの成果報告もあるが、黒竜戦へ向けた物資の調達も必要だからな」


 先日の野営を思い出したユトロは、今日から屋敷へ戻れぬやもしれぬと悟る。


 ここから先は山岳地帯であり、天候も読めぬ。

 討伐の後に再びこの町へ戻るとなれば、日程はさらに延びる。


 ユトロの苛立ちに部屋の空気が微かに揺れ、バルグロスとマルヴェナは何事かと男を見つめた。


「……すまない。部屋へ戻る」


 ユトロが席を立つと、マルヴェナが肩を掴んだ。


「待て。スヴァンまで、いつも通り道を見てこい」


 その命令に、バルグロスが立ち上がった。


「何を勝手な──」

「再確認だ。雨が降っていたからね。

 道の状態が変わっているかもしれない。

 あんた、足が速いんだろう? 出発までに戻ってきな」


 マルヴェナはユトロを見定めようとしていた。

 この挑発への返しで、男の質が知れると踏んでいる。


「行かなくていいぞ、ユトロ。

 マルヴェナよ、隊の者に無駄な体力を使わせるな。

 今は皆、任務中なのだぞ」


 事を荒立てたくないバルグロスは、マルヴェナの命令を取り下げる。

 しかし、ちょうど体を動かしたいと感じていたユトロは、女へ笑みを向けた。


「ありがたい。明け方までに戻ってこよう」


 余裕を見せるユトロに、マルヴェナは頬を引きつらせた。



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