表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/30

二十一(第二十八話)



 スカルデンを北へ向けて走りながら、ユトロはマルヴェナの報告書を思い返していた。


『西ノ斜面ノ岩肌、

 上面乾キタル如ク見ユレド、下層ニ水ヲ含ム。

 雨後ハ崩落ノ(オソレ)アリト心得ヨ』


 その場所に着いたユトロは、枯れ枝に布を巻きつけて目印を付けた。

 マルヴェナの指示である。


 地面に耳を当て、地中の音を探ると、確かに地がゆるんでいるのを感じた。


『北ノ尾根ヲ越エタル先ニ、霧ノ立チ籠ム谷間アリ。

 午後、風向キ変ズレバ、視界ノ半バ失ハル』


 続いて谷側に、等間隔で印を立てる。

 谷底にはすでに霧が立ちこめており、太陽の位置から見ても、午後には風が変わると予測できた。

 報告書の記述に、齟齬はなかった。


『スヴァン寄リノ沢筋ニ、青霧鳥(セラヴィ)ノ巣アリ。

 近辺、獣ノ氣多シ』


 そこは岩の多い山間で、沢沿いに低い林が続いていた。


 帰りの手土産にちょうどよい狩場だと踏み、ユトロは沢に仕掛けを置く。

 木の皮に爪痕のような傷を見つけ、辿ってゆくとシュローデの抜けた角を拾う。

 獲物の目星をつけると、再び道を進めた。


『スヴァン—スカルデン間、雪馬(ノルク)ニテ半日ノ行程。

 村手前ノ峠道ニ、風除ケノ二石(フタツイシ)並ビ立ツ丘アリ。

 足ヲ休ムルニ適ス』


 印の必要はない場所と感じたが、命令に従って低木の枝に布を結ぶ。


 報告書の記述はここで終わっていた。

 マルヴェナの記録に抜けはないかと考えながら、ユトロはスヴァンの村へ到った。


 耳を澄まし、においを嗅ぐ。

 村はまだ、夜の気配に包まれている。


 微かな音を追って崖の陰へ向かうと、動く影を見つけ、ユトロは口元に僅かな笑みを刻んだ。



 夜明け頃、スカルデンの北門に戻ると、そこにはマルヴェナが待っていた。

 ユトロは印の布の残りを返す。


「お前の勝ちだ。明け方を過ぎてしまったな」

「いいや、余計なことをさせて悪かった。

 ……気が立っていたんだ」


 ユトロを待つ間、マルヴェナは頭を冷やしていた。

 ユトロの声色は故意ではないと、バルグロスに言われ、また、これが単なる腹癒せであると気付き、互いの時間を無駄にしたことを恥じた。


「マルヴェナの報告書は正確だった。

 疲れていたお前を待たせたのだ。腹を立てるのは当然だろう」


 息一つ乱れていないユトロを見て、マルヴェナは再び苛立ちを覚えた。

 まるで全てを確かめてきたかのような男の態度に、彼女は内心、短く舌打ちした。

 どうせ数か所だけ見て引き返したのだろう──



 遠征隊の馬はすべてスカルデンのギルドへ預けられ、ここからはノルクという寒冷地の荷駄用騎獣を借りて荷車に繋ぐ。


 ノルクは馬よりやや体高が低く、厚い毛皮を持つ獣である。

 雨風に耐え、首は太く、幅のある蹄は雪に沈みにくい。

 討伐の地に雪はまだないが、岩山の多い土地では脚の丈夫なノルクが重宝された。


「ユトロさん、昨日は遅くまでどちらへ行かれていたんです?」


 弓使いのカイルスがユトロに並んで歩く。

 カイルスは昨晩、バルグロスからユトロの行方を尋ねられていた。


「まさか、鳥を取ったりはしていませんよね?」


 カイルスは小声で耳打ちした。

 隊の中で鳥を食べていた者がいたらしく、僧侶に説教されていたという。


「何でも、卵はいいらしいのです。

 雄の種を受けていないものであれば、“命”に含まないとか」


 ユトロはフェノルのことだろうと思った。

 白い外套の背に描かれた金の羽を、目を細めて眺める。

 教会は鳥の事にやたら煩いと、カイルスはうんざりしていた。


 雨の夜の魔法のせいか、フェノルの周りにはサリネを含めた魔法使いたちが集まっている。

 フェノルは彼らの質問に、熱心に答えていた。



 最初の目印を通過した。


 バルグロスは山寄りを歩くよう、隊の列を細くした。

 マルヴェナは、荷車の通過する様子を真剣に見守っていた。


「マルヴェナさんは、僕の恩師なんです」

「恩師……?」


 ユトロの視線の先にマルヴェナがいたので、カイルスは彼女から弓を習ったことを話した。


「僕が冒険者を志すと決めると、父がギルドから弓の師を雇ってくれたのです。

 その時に来てくださったのが、マルヴェナさんでした」


 その頃のマルヴェナはまだ上級冒険者であったが、弓の腕は確かで、カイルスは良い師に出会えたことを喜んだ。


「マルヴェナさんは三本の矢を同時に飛ばし、三つの異なる場所へ正確に当てるのです。

 しかも彼女の矢は、シュローデの首を飛ばせるほど強い。

 僕には、とても届かぬ域の方です」


 ユトロはカイルスの話から、マルヴェナは魔力を使っているのだと考える。


 人族にとって武器は、体外魔素を集めるのに適した道具となる。

 特級冒険者の多くは、人の域を超える力を持つと聞くが、それは魔力による強化と思えた。

 魔法を使える者が少ないためか、人族は呪文が必須であると考えている。

 だがユトロには、無意識に魔法を使っている者がいるように思えた。


 二つ目の印に到着する前に、辺りは濃い霧に覆われていた。


 そこでフェノルがまたも仰々しい詠唱を行い、魔法で前方の霧を払うと、周囲の者たちは再び男を称賛した。

 簡単な風魔法であったが、威力の大きさに皆驚いている。


「手の込んだ印を付けてくれたのだな」


 やって来たマルヴェナが、ユトロの仕事を褒めた。


「お前の命令に従ったまでだ」


 ユトロがそう返すと、マルヴェナはため息を吐き、ようやく笑顔を見せる。


「悪かったよ。あんたはいい奴だ。カイルスの友だったのだな」

「ユトロさんは親切な人だって、僕はちゃんと言いましたよ」


 マルヴェナに握手を求められたユトロは、握って返した。

 ユトロの掌の感触に、マルヴェナは不思議なものを感じる。


「変わった手をしているな」

「そうか」

「……触り心地が、少しな」


 失礼なことを言った気がして、マルヴェナは軽くユトロの背を叩いた。

 それから彼女は再び隊列に目を向けた。


「フェノルという僧侶は、魔法使いより役に立っているのだな」


 列に注意を注ぎながら、マルヴェナはカイルスへ尋ねる。


「嵐の時に、大きな結界で皆を守って下さいました」

「バルグロスも言っていた。

 今まで見た魔法の中で、最も大きな結界だったと」

「詠唱がとにかく凄いのです。

 僧侶という職を疑わしく思っていましたが、彼は本物なのでしょう」


 鳥への執着がなければ、フェノルは今より称えられたかもしれない。

 しかしフェノルの魔法は、ユトロの目には、特別なものには映らなかった。


 沢沿いの道を進み、休憩に適した丘まで来る。

 そこでマルヴェナは、低木に結ばれた印を見つけ、ユトロがここまで来たのだと知る。

 男は岩の上で寝転び、すっかり眠り込んでいた。


「……カイルス」

「どうしたんです?」


 湯を沸かしていたカイルスに、マルヴェナは困惑した顔で声をかけた。


「ユトロは足が速いと言っていたが──

 ノルクで半日の距離を、一刻もかけずに走るなど、そんな馬鹿な話があるか……?」


 スヴァンまでまだ少しかかるにしても、異常な速さではないかと、マルヴェナは顔を強張らせた。

 スカルデンへ戻ったユトロは、息一つ乱していなかったのだ。


 カイルスは王都で身をもって知ったユトロの速さを思い出し、首を傾げた。

 カイルスにとって、マルヴェナの弓の腕は神業で、到底届かぬ域にある。

 そして、ユトロの足の速さもまた、それと同じ領分のものだろうと思っている。


 マルヴェナにはその感覚がわからぬようで、ただただ困惑していた。

 カイルスはそんな彼女を珍しく思い、温かく笑った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ