65話 旅
「俺を嵌める作戦を考えたのは、お前か?」
「...そうだ」
「そっか」
最初にそうやり取りをしたっきり数時間以上黙って、俺はバハムートの背に寝転んで、空を見上げていた。
青かった空は朱色になり、深い藍色に転じていった。
そして現在は漆黒の帳を背景に、一面に光る点が広がっている。
どんどん流れ去る星を眺めながら、ぽつりと聞く。
「なぁ、どこに行くんだ?」
「ふむ...夜だからな。取り合えず、治安の悪い街の繁華街にでも行くか」
決めてなかったんかい。
というか、どこの悪い先輩の台詞だよ。
何時間かぼんやりと転がっているうちに、抑えきれなかった怒りは一旦落ち着いた。
今はただ、奴らと悪魔、コイツへの憎しみが残っているだけだ。
ヒトの本性が、みな奴らと同様なのかを確認しに行く。
大丈夫、ちゃんと目的は見失っていない。
やがてバハムートは、下降を始めた。
行く先には、暗い地表に点々と集合した光が見える。街だ。
「降りろ」
と言われたので、街の中にふわりと舞い下りる。
すると彼も、人化して下りてきた。
「ヒトの姿になるの、嫌いじゃなかったのか?」
「不必要な変化はしないだけだ」
なるほどな。
俺も最初はそうしていたし、サトリも確かそうだったな。
それに巨大なクジラのまま市街に入ったら、そこに居るだけで災害だ。
彼の言った通り、治安の悪そうな街である。
降り立ったのは、酒瓶の破片や汚い布が捨てられた路地。
だが、この通りが特別に不潔そうな場所というわけではないだろう。
もう少し賑やかな大通りの方へ出ようとしたら、バハムートに止められる。
「ここで待てば、そのうち向こうから来る。
オレは離れている」
「? わかった」
バハムートが背を向けて歩き去っていくと、その道のさらに先からガラの悪そうなチンピラがゲハゲハ笑いながらやってきた。
酔っ払いの一人が何かいちゃもんを付けようとしたようだが、比較的素面っぽい奴が仲間を止める。
そして謝るのかと思ったら、あろうことか彼に向かって唾を吐きかけた。
...え。
何だアレ。5匹のアリンコが、クジラに喧嘩を売りはじめたんだが...。
死にたがりか?
しかしクジラは寛大な態度で小さき者を無視すると、悠々と歩き去る。
なぜか嫌悪の表情を浮かべたアリ達は、追っていって絡んだりはしないようだ。
そして道の先に人間のふりをした金魚を見つけると、喜んで群がってくる。
甘い砂糖にでも見えたか。
「嬢ちゃん、どうした? 服に血が付いてるぜ。さっきの男に殴られたのか?
(良いカモ見っけー)」
「珍しい服装だな。異国から来たのか? おれ達が案内してやるよ。
(今日はツイてるな。博打に負けた金を取り戻せそうだ)」
やはり高級砂糖だと思われていたようだ。
正直に答える。
「お前たちみたいな奴らの首を刎ねた時の血痕だよ。
案内役はもう居るから、要らない」
男達はきょとんと固まったが、すぐに爆笑した。
「あひゃひゃひゃひゃっ!
おもしろい冗談を言う子だな!」
「年上を揶揄っちゃイケないぜ! 悪い子にはお仕置きだな」
腕を掴まれ、どこかに連れて行かれそうになる。
折角の機会なので、大人しく従うことに決めた。
ふと上空を見ると、気配を消したバハムートが浮かんでいた。
暗い路地を歩きながら、この連中に質問する。
「お…わたしみたいな子供が夜に一人で居るのを見つけたら、いつも捕まえて売りさばくの?」
「なんだてめぇ、まさか治安維持隊のオトリか?」
ちょっと聞いただけなのに、異様に警戒されてしまった。
気をつけねば。
「違うよ。わたし一人でもいつでも捕まえられるから、オトリなんて要らない」
「はははっ! 嬢ちゃん、標準語が苦手なんだな。「わたしが一人でいるとよく捕まるから、オトリじゃないよ」だな」
「うん?...うん、まぁ、そうかも」
わざわざ嘘をつかなくても、曲解されてしまった。
なんて都合の良い。
「お金が必要なの?」
「そりゃあそうだろ。たんまりあって困るこたぁない」
「普通に働いているだけだと、衣食住には足りない?」
「働かなくても酒や女が買えて、遊んで暮らせる方法があるんだからよ。そっちをやるだろ。
治安隊に捕まったらヤベェけどよ、逃げるのは簡単だからな」
俺が大人しくしているせいか、ペラペラと素直に答えてくれる。
参考になるよ、有難い。
背後の男の一人が、肩をグイッと掴んでくる。
「おい、コイツ味見してかなくていいのか?」
「おめぇが借金取りに追われてるから、急いでんじゃねえか。おれは別にいいぜ? てめぇだけ頭カチ割られても」
「あ、いや...すまんかった」
味見ってなんだろうな。
売り物に傷がないかの事前チェックか?
てくてくと歩き続けると、淀んだ雰囲気の汚い大きな建物の前に出た。
中に入って受付らしき場所で、お店(?)の人に引き渡される。
何かやり取りをした後、金貨数枚を受け取ってホクホク顔になった男たちは、上機嫌で俺に手を振った。
「じゃーな、嬢ちゃん。ありがとよ」
「こっちこそ、ありがとう」
一人じゃ、こんな知らない場所に来れなかったよ。
俺も微笑んで、軽く手を振り返した。
お店の人――禿げた初老の男はこちらをじろっと見ると、「ついてこい」と一言告げて、歩き出した。
黙ったまま、ついていく。
地下への階段を降り、また昇り、クネクネとした廊下を進むと、沢山の牢屋が並ぶ空間に出る。
「入れ」
と言われたので、示された房に大人しく入ってみた。
背後でガチャンと鍵を閉められ、シン……と静寂が訪れる。
「......。」
あれ。俺、今何してるんだっけ。
目的は……そうだ、人間観察だった。
自分が知らない面を見ようとして、バハムートに乗ってきて――そういや、この街ってどこにあるんだろうな。
もうこの場に居てもしばらくイベントは起こりそうにないので、さて出るか……と動き出したら、同じ房の奥の隅っこから声がする。
「あなたはどうして、ここに来たの……?」
「わっ!?」
驚いた。
気配も魔力も感情も希薄過ぎて、そこにヒトがいると気付かなかった。
魔法で柔らかい明かりを作り出して照らしてみると、石の床の隅に小さくなって座っている少女がいた。
まだ心臓をバクバクさせながらも、聞かれたことに答える。
「えっと...ヒトを滅ぼすかどうかの判断材料に、世界を回り始めたばかりで...」
「? そう……。望んで来たってこと?」
「まあな。もう出るけど」
変な答えを聞いても、動じないな。
さっきの男たちみたいに、端から信じていないってわけでもなさそうなのに。
少女は顔を上げた。
やや汚れた顔と服に、凛とした希薄な気配。
澄んだ白目の中の、曇った瞳がアンバランスだ。
「どうして、滅ぼそうと思ったの?」
「...まだ、滅ぼそうとは思ってないよ。ただ、そう思うように仕向けられて、見事に嵌まっただけだ」
すぐに牢を出るのはやめて、床に腰を下ろす。
「ヒトが、居なくなってもいい種族なのかどうか、これから判断する」
「あなたには、それを為すだけの力があるのね」
少し羨ましそうに言われる。
「一人じゃ無理だろうな。だが、言えば喜んで協力してくれそうな連中がいるから。
―――もっとも、俺を嵌めた奴らだけど」
今度は、こちらが問う。
「お前も、ヒトが嫌いか?」
「嫌い」
即答された。
微弱だった感情の波が、少しだけ強くなる。
「嫌なヤツラには、全員消えてほしいと思うわ。本当に、害悪にしかならない連中もいるから。
でも...」
彼女の瞳が、俺をまっすぐに捉える。
「そうなったら絶対に、良いヤツの中から嫌なヤツが生まれる」
「......」
「だから、いっその事滅ぼすのも、良いのかもしれないわね」
「...そう、だな」
この少女は、自分が死んでもいいのだろうか。
「でもそうなったら、お前も死ぬぞ?」
「構わない」
薄い気配にそぐわない、強い答えが返ってくる。
「幸せな人、お金持ちの人。私とは、全く交わらない次元の存在。
私の世界は、ずっと、こう。
だから……こんな世界なら、滅んでしまえばいい」
俺は頷いた。立ち上がる。
「ありがとう。参考になった。
もう行くけど…お前も出るか?」
房の鉄格子を魔法で捻じ開けながら、少女に聞く。
金魚になればそのまま出られるのだが、なんとなく、彼女の前では人の姿でいたかった。
「いい。ここに居る」
「そうか。じゃあな」
少女に手を振って、建物の外に出た。
そして上空に飛び上がって、先程のアリンコ5人組を探す。
―――いた。
さっきとは別の路地裏を進む彼らの前に降り立つ。
そして空から降ってきた俺に驚いている奴らに、問う。
「俺のお代はどこだ?」
「なっ―――!?」
「そこか」
思考を読んだので、すぐに分かった。
良かった、まだ使われていなかったか。
男のうちの一人がまとめて持っていたようで、彼の懐の金貨に魔力を通し、スッと抜き去る。
ふわふわと飛んでいく金貨を目にして、咄嗟に手を伸ばす奴、逃げ出す奴、俺を捕まえようとする奴にわかれる。
金貨を確保して、さっきの店まで再び飛び立った。
正面から堂々と入り、目を剥くオジサンに金貨を渡すと、すぐに店を出る。
そして、上空でクジラ形態で待機しているバハムートの上に戻った。
先程気になった事を、一つ聞いてみる。
「お前、嫌われる呪いでもかかってるのか?」
「そうだ」
「!? まじか……」
冗談だったのだが、まさか本当にそれが掛かっていたとは。
アリンコの態度が変だと思ったのだ。
ああいう本能で動いていそうな奴らならば、バハムートみたいにヤバい気配を放つ者とすれ違ったら目を逸らしてスルーすべき所だろうに、素面の者まで絡みにいっていた。
そしてその後に浮かんだ感情は…嫌悪。
「お前のヒト嫌いって――」
「それも理由の一つだ」
彼は事もなげに答える。
自分を嫌ってくる奴らを嫌いになるのは当然か。
「バハムートって、種族名だろ。名前は無いのか?」
「...忘れた」
なら、しょうがないな。
「俺さ、さっき、不幸そうな女の子に教えてもらったんだ」
寝っ転がりながら、動く星空を眺める。
彼は黙って話を聞いてくれるようだ。
「ヒトにも、色々あるんだって。思想や心根だけじゃない、自分じゃどうにもならない環境があるんだな」
そんな当たり前の事でも、知らなかった。
...いや。そんなに興味が無かったから、知ろうとしたことが無かった。
なんとなくはわかっていたけど、実際に見るとまた違う。
「だから同じ種族でも、一括りに呼ぶのは違うと思うんだ。
今まではお前の呼び方、バハムートでいいと思ってたんだけど」
やっぱり、変だよな。
他のバハムートさんに失礼だ。何処にいかほどお住まいなのかは知らないけど。
「不自然だから、勝手につけた名前で呼ぶわ」
「......」
よし。
無言は肯定と見做す。
「――俺な。色を由来にした宝石の名前をつけてもらっていたんだ」
別に、宝石名前仲間が欲しいとかじゃないぜ。
ただ、どうせなら...。
こいつの眼、意外と柔らかい色をしていたんだよな。
身体は真っ黒だが。
「これからは、本翡翠って呼ぶ。
お前は、俺の家族の仇だ。その人に貰った大切な名前と同種の名前をやるよ。
忘れないように、な」
俺もお前も、彼のことを。
俺が、お前と彼のことを。




