64話 探
「あ……」
その名前で呼ばれ、魂が反応したような気がした。
しかしグラシャは、スッと目を細める。
「―――おれは、その時から、復讐を誓った。ヒトに、な。
それなのに、何故...その元であるおまえが、人間なぞを守護している?」
「......」
「強要されて始めたわけではないはずだ。自ら望んだから、そうなっているのだろう。
―――なぜだ? サトリ」
「...う……」
今度は現在の名前で呼ばれ、思わずサトリの目に涙が浮かぶ。
―――本人にだって、わからないのに。
彼女に、前世の記憶が完全に戻ったわけではない。
だが、それでも...グラシャが本気でシアの為に、ヒトを滅ぼそうとし始めたことはわかった。
だから、安易に「やめろ」だなんて、言えるはずがない。
事態の深刻さを悟ったイズナとレイラも凍り付き、氷点下のような雰囲気が漂い始めた頃――。
オライとウラリーが、ひょっこりと現れた。
オライは、この現状―――つまり悪魔の王であるグラシャが居るのを見て、一瞬硬直すると、くるりと回れ右をした。
何も見なかったことにするようだ。
控えていたサーガタナスが、堪らず声をあげる。
「オライ! おまえ、突然何をしに来た! それにその人間は―――」
「ああ...何てことでしょう! カシモラルが王の分身であるのは、知っておりましたけれども!
普段は何を見ても何をされてもすっとぼけているくせに、今この時に姿を現しているとは! タイミングの悪さよ!」
なにか余程ショックだったようで、内心をぶちまけた後、ハッとして口を押さえるオライ。もう遅いのだが。
彼はアルゴスでベニッピー達と会った後、悪魔の組織の離反を決意した。
もう一人の上司のような存在であるネビロスの部下「カシモラル」が、実は王の分身であり、彼らを密かに観察している事を知っていたからだ。なんという趣味であろうか。
他にも、組織の在り方(主に情報伝達関係)、将来性、目的などを鑑みた結果、「現状だと悪魔に未来は無い!」との結論に至る。
そうして悪魔の身でありながら、ベニッピー達―――彼自身が「シロ」と命名した彼らの側につく事に決めたのだ。
だが、種族が種族である。
諸手を挙げて歓迎してもらうには、信頼と手土産が必要だ。
そこで目を付けたのが、ウラリー・ブランだ。
彼女を助けて、仲間に加えてもらおう! と画策する。
ウラリーは、家族を人質にとられたような状態だった。
厳密には違うのだが、故郷から離れた場所(魔大陸)に居る時に「家族がどうなってもいいのか」と一言告げられるだけで、従わざるを得なくなる。
少しだけ抵抗できたとしても、ケヴィン達に「アルゴスの精霊の存在を隠せ」と密かに伝えるくらいが精一杯。
大人しく従いながらも急いで仕事を終わらせて帰還した彼女を待っていたのは、本当に近くで悪魔に見張られている家族の姿だった。
当人たちは知らずに平和に過ごしていたが、彼女は新たな仕事―――ベニッピー専用の、拘囚結界魔法陣の作製を命じられる。
泣く泣く従って仕事を終わらせた頃に現れたのが、オライだ。
最初から彼女に目をつけていた彼は、密かにベニッピー達の動向を見計らいながら、ウラリーを助けるタイミングを計っていたのだった。
サーガタナスの部下であり、彼の同僚でもある「ヴァレフ」と「モラクス」。
ウラリーの家族に張り付いていたその二人を倒し、彼女に感謝されつつ自身の目的を告げ、彼女にベニッピーに取り次いでもらおうと現れたのが―――
たった今、という訳だ。
「なるほど。悪魔界を裏切るつもりだな? オライ」
グラシャに面白そうに問われ、オライは腹を括った。
「ええ、そうです! お許しいただけるのでしょうか!?」
「そんな訳があるか、馬鹿者!! 今すぐ前言撤回しろ!!」
慌てて噛みついたのはサーガタナスである。
王に向かって部下がこんなことを言い出して、覚えが悪いどころの話ではない。
だがグラシャは、鷹揚に頷いた。
「いいぞ。裏切っている身内ほど、恐ろしいものは無いからな。
ただし、おまえの上司を黙らせるか納得させるかしてからだが」
「寛大なお言葉、感謝いたします!」
「―――っっ! オライィィ~~ッ!!」
恐ろしい形相で飛び掛かってきたサーガタナスをオライがひょいと躱し、二人による戦闘が唐突に始まった。
事態の急展開に唖然としながらも、とりあえずウラリーを安全圏へと避難させるレイラ。
この現状を、建物の中へと告げに行くか迷うイズナ。
まだぼんやりと座り込んだままのサトリに戦闘の余波がいかないように、気を配ってやるグラシャ。
サーガタナスは再び、自分にだけ不可視の術式を展開する。
しかしオライは構わずに、当たりをつけて弓矢を引き、何本もの毒矢を同時に放つ。風の魔法で速度を上げられた矢は、そのうちの数本が相手に突き刺さった。
すかさず解毒魔法で毒を無効化しつつ、狩人の足場を緩めにかかるボノボ。
だが、オライはとっくにそれを読んでいる。
全て綺麗に躱しつつ、予想不可能な場所に着地してみせる。
「あなた、好きですよねぇ、泥んこ魔法」
「ほざけ! 貴様も毒矢などと、いつまでも古臭いスタイルを好むよなぁ!!」
思わず言い返したサーガタナスだが、頭に血が上ったせいで、今は自分の声が誰にも届かないことを忘れている。
「あなたのことですから、解毒魔法でも使ったのでしょうけど...無駄ですよ?」
浮島と浮島の間を飛び回りながら、オライは楽しそうに告げる。
「私のコレは、確かに毒矢ですが...解毒魔法の使用で、更に威力を増す毒です」
「な―――っっ!?」
相手が動きを止めたのを察知して、彼も止まった。
「無駄な事をするはずないじゃないですか、あなたの部下が。
こんな簡単な手に引っ掛かるなんて...本当に、今まで何も見ていなかったんですねぇ」
サーガタナスの不可視の術式が解ける。
紫色に変色し始めた自分の掌を見て、愕然とするボノボ。
「ありがとうございます。
こんなこともあろうかと、貴方の部下になっておいて正解でした」
「ぎ...ぎざ、まぁ...!
ゆ、許ざ、n―――」
サーガタナスは血を吐きながら、ゆっくりと倒れ伏して絶命した。
それに手を合わせて黙祷した後、オライはグラシャに向き直る。
「いかがでしょうか? 確かに、黙らせました」
「うむ。離反、合格だ。新天地にて、しかとやれ」
「ははっ!」
思いの外、すんなりと事が運んで満足したオライであった。
悪魔たちの冗談のようなやりとりを、レイラとイズナは毒気を抜かれたように呆れて眺める。
「寛容にも程があるね...」
「臣下の裏切りを認める王って、聞いたことがないな...」
彼らに資質を疑われつつある悪魔の王だが、別に彼がバカとか無能というわけではない。
ただ、結構な気分屋なだけであり、今はサトリ(シア)にいい所を見せたかっただけだ。
もし王の機嫌が悪かったら、オライは瞬殺されていた。
それを見抜いて博打に出た彼も、なかなかの酔狂者である。
―――と、こっちの騒動も一段落したところで、内部から二度目のベニッピーの気配...今度は圧倒的な負の感情が、流れ出てきた。
グラシャ以外は動揺し、慌てて扉の中へと駈け込もうとする者もいたが、ニヤリと笑んだ彼がそれを手で制す。
「ネビロスが、予定通り上手くやったな。
おまえ達は全員、ここで待っていろ。殺されたくなければ、決して中に入るな」
そう言い残し、グラシャは一人建物内に入っていったのだった。
ややして、溢れ出る殺気を抑えきれていないベニッピーが出てゆき、その後すぐにネビロスを伴ったグラシャも去っていった。
帰り際、サトリに
「あいつが第二のおれになるかどうかは、おまえ次第だな。
おれを止めたければ、どうして自分が人間を守っているのか、思い出してみろ」
と告げていく。
皆がそれを呆然と見送った後でコダマが中から出てきた。
そしてオライとウラリーの話を聞いて、リョウタがこの場に居た謎が解けたり、未だ鎖を填められたままのフェンリルをどうするかとガチャガチャやったりしていたのだった。
そこにガルトニクスが合流し、今に至る。
◆
「な―――なんという、事でしょうか...っ!
王は、ベニッピーさんがこうなる事を予想した上で、私の離反を軽く許可した、ですと...っ!」
正に、悪魔の所業―――と、頭をわしゃわしゃと掻き混ぜて嘆くオライ。
「今からでも、戻ればいいじゃろう」
「いえ!! もうこうなった以上、とことん彼の側につきます! ええ、例え彼がヒトを滅ぼすことにしても、悪魔に協力し始めても、ベニッピーさんに付きますとも!」
一番はっきりと、わかりやすく心を決めたのがオライである。
イズナは、ボケッと遠くを見つめている。
「エルフ族もヒトっすからねー。隠れ里すけど、ベニッピー君になら見つかっちゃいますねー」
「どうして、既にそっちの前提になってるあるか! ベニッピーを信じるあるね!」
怒るレイラに、イズナは問う。
「信じてるからだよ。もし自分だったら、どうしていた? レイラ」
「......」
彼女は言葉に詰まる。
「ああぁぁぁ、やっぱり最初に私が、毅然と突っぱねなかったのがいけなかったのですーーー!!」
ウラリーは叫んで、突然立ち上がる。
「滅ぼすなら人間だけにしてほしいと、お願いしにいきましょう!」
「そんな阿呆な...いや、じゃが折衷案も悪くはない、のかのぅ...?」
コダマが、彼女の迷走案に影響され始める。
「ヒトが居なくなったら、地上は正に人外魔境...海洋生物の進化が促進されるな...」
悟りきった神のような表情で、現神の鎖をいじる先代神。
「ヴォルカ王、昔は同じような状況で、なんとかできたあるね?
今回はどう思うあるか?」
「ちょっと無理かな...。オライの話を聞くに、悪魔は前回の失敗を踏まえて、相当色んな方面から手を打っているみたいだし。
やはり―――ベニッピー次第だね。彼が敵に回ったら、もう潔く諦めよう」
その答えを聞き、レイラは考え込む。
皆の会話を聞きながら、サトリは膝を抱えて座り、物思いに耽っていた。
彼女の視線の先には、清められたリョウタの亡骸がある。
グラシャも以前、遺骸は無くとも―――彼女をこんな風に、想ったのだろうか。
もし、自分の油断や失敗によって、大切な者が死んでしまったら?
直接手を下した者を憎む心は、自分を憎む強さの裏返しなのでは?
―――否、違う。
ベニッピーは油断したわけではなかったようだし、グラシャだって、当時は幼かったと言っていた。
やはり、純粋にヒトを嫌ったのだ。
ならばどうして、彼女は生まれ変わった先で、人間を守った。
―――本当に、守っていたのは人間だったのか?
「...違う、かも……」
彼女が守りたかったのは、純朴なエマームの人々。
最初から人間を守っていたら、彼らが寄ってきたわけではない。
彼らが先に居たから、彼女は守ったのだ。
仮にエマームの地にいたのが、現在そこで折り重なった死体になった者たちのような人間だったら、決して手を貸すことは無かっただろう。
エマームの民と彼らは、何が違う。
性格? 資質? 出身地? 育ち? 学? 環境?
―――環境?
あの地は人も物も集まる平野部の大きな街から隔絶されている上に、山崩れや気候の急変、食糧調達など…大変なことが多い。
厳しい自然環境の中で暮らすには、皆と協調する必要があり、自然と心根も真っ直ぐに伸びてゆく。
外部から移住してきた者達を見ていても、皆そうだった。
それは、つまり。
「そう、だわ...滅ぼす必要なんてない。全員が、嫌なヤツじゃないもの。
でも、今のままじゃ駄目だわ。彼らを納得させる理由が無い」
サトリは、ゆっくりと立ち上がった。
瞳には力が戻り、集まる視線も気にしない。
「なら。強制的に、変えてしまえばいいわ。ヒトの、心根を。
―――自然の脅威に代わる、敵をつくって!!」




