62話 人
こちらでよく見る服装をした、17、8歳の少年。
リョウタ様は、ふんわりと笑った。
「ベニッピー。見違えたよ。
...強くなったんだね。本当に、誇らしい」
「…………はい」
俺のバカ!
「はい」って何だ、はいって!
驚きすぎて、嬉しすぎて、でも何かフワフワと危うい感じがして。
思考も、感情も追いつかない。
「ど、どうして...なんで、この世界に...」
なぜ、悪魔と共にいるのか。
どうして、この場にいるのか。
今まで、どこで何をしていたのか。
俺を見ても、動じない…のか。
知りたいことが多すぎて、会えて嬉しくて、もう何が何だかわからない。
思わず、背後のコダ爺やネビロス、ヒト達の存在を忘れて、彼の方に一歩踏み出そうとした、その時―――
「―――その人間を殺れ。...褒美は、望むままに」
ネビロスが呟いた。
彼女の言葉に、ハネ攻撃の余波から立ち直りつつあったヒト達がピクリと反応する。
え? 今、なんて?
リョウタ様を殺せって、ヒトに、言ったのか?
―――させるか。誰が。
残存魔力は4分の1を切ってしまったが、関係ない。
残った全ての魔力を使って、彼の前に結界を張ろうと試みた。―――が。
「......っ!!?」
できなかった。
ネビロスが投げつけた何かが俺の足元で爆ぜ、珍しい文様で描かれた魔法陣を床に構築したのだ。
その効力か、集めた魔力が発動する前に霧散する。
なんだこれ。
無視して魔法陣の上から飛び出そうとしたが、見えない透明な壁に阻まれて、外部に出られない。
壁を殴りつけても、柔らかいゴムのように反発される。
床の文様を消そうとしても、消えない。
カウラでもらった結界破壊能力は、自分が外部にいる場合に使えるものだ。内部からは、意味が無い。
それでも、膨大な魔法力を持つ俺が本気で壊そうとすれば、大抵の結界は意味を為さない…はずなのだが。
魔族と人間とドワーフ族が、じりじりとリョウタ様を囲んでにじり寄るのが見える。
「コダ爺、彼を守ってくれ!」
諦めずに床に向かって如意棒で攻撃しながら、叫ぶ。
自分が使えないから、もう仲間に頼るしかない。
建物の外では何が起きている。イズナかレイラに、この結界を破壊してもらうしかないのに。
「あいわかった! じゃ、じゃが、ちっと待て...くそぅ、ネビロス! 邪魔をするな!」
コダ爺は快く了承してくれたが、同時にネビロスが彼に向かって猛攻をかけている。
そっちを捌ききるので手一杯で、リョウタ様のほうに手が回らない。
彼を囲んだ敵は、「褒美」とやらに完全に目が眩んでいる。
各自凶器を手に持ち、どの種族が、誰がそれを行うか、牽制し合っている。
対してリョウタ様は、文字通り孤立無援だ。
武器は持っていないようで、魔法を使って防御する気配も無い。
「くそっ! 待て! その人に触れたら、絶対に許さないからな!」
視線で人の動きを止められたら、どんなに良いか。
遠くから叫ぶ俺はさぞや滑稽に映るのだろう。ヒト達は嘲笑うようにちらりとこちらを見やったが、完全に無視された。
―――何、無視してんだ。
冗談だとでも思ったか?
...思ってるな。
今の俺はただの無力な子供にしか見えないだろうし、実際、そうだ。
床の文様は、多少削って掻き消しても自動で修復されてしまう。
魔法陣って、こんな事ができたのか!?
それでもめげずにチャクラムで壁の一点突破を狙っていると、やっと少しだけ亀裂が生じた。
それを見たネビロスが舌打ちする。
「やはり...ウラリー・ブラン。手を抜いたな。そもそも結界に囚われた時点で、動けなくなるはずだった。
この代償は高くつくぞ。ヴァレフとモラクスは何をしていたんだ...」
やはりウラリー作の結界魔法陣か。
詳しい理由や状況はわからないが、とりあえず今は「手を抜いて」くれて助かった。
ミニサイズの金魚になって、空いたばかりの小さな裂け目を無理矢理潜って抜け出す。
一直線に飛んだ先では、ご主人が俺を手でキャッチして出迎えてくれた。
しかし再び、投げつけられた魔法陣の素が発動する。
一つじゃなかったのか!
だが、もう大丈夫だろう。
さっきは鬱陶しいだけの結界だったが、今度は内部にいる俺たちを守ってくれるものになるはず―――
そう思った、のだが。
投げられたナイフがあっさりと透明な壁を貫通した。
慌ててリョウタ様の手の中から飛び出し、体当たりをして叩き落とす。
素通りさせるのは物理攻撃だけではなかったようで、魔法の攻撃も次々と向かってくる。
人化して、棒やチャクラム、素手で全ての攻撃を叩き止めながらも焦る。
どうして、内部に入っても魔力が霧散しないんだ。
俺が彼の近くに来たからだろう。さっきまでは碌に手を出さなかったヒトたちが、今度は容赦なく攻め立ててくる。
「なんだこの結界!?」
「知らんのか? ブランが、特殊な術式を扱える一族だということを。
対象者を限定して発動させる名前入り魔法陣も、その一つだ」
名前入り!?
この妙な紋様の中に、俺の名前が入っているのか。
その部分だけ重点的に消せば、解除できるかもしれない。
そう考え、床に描かれた模様をじっと見る。
―――あった。『ベニッピー』。
同じように魔法陣の紋様を見ていたリョウタ様が、微笑んだ。
「よかった。最後まで、気づかれなくて...。
多分、これを作った人が手を抜いて不完全になったんじゃない。
知らなかったんだよ、君の本当の名前を」
「―――え……」
...そういえば、すっかり忘れていた。
以前に鑑定魔法を使った時、俺の名前の後にくっついていた、ワンフレーズを。
リョウタ様が、さらりと頭を撫でてくれる。
「その表情を見るに、理由はわからないけど…知っていたみたいだね。
本名を隠しておくのは正解だよ。ベニッピー・ジャスパー君。
でないとオレみたいに...相手に逆らえなくなっちゃうから」
ウラリーも知らなかった、俺の名字。
自分が忘れていたのもあって、たぶんガルにも言っていないと思う。
それなのに知っているということは...つまり。
「ふふ。仮称だったみたいだけどピッタリだから、ご主人権限で正式に命名したんだ。気に入ってくれた?」
―――ご主人様がくれた名前だった。
コクコク、ブンブンと頷く俺をおもしろそうに見た彼は、すぐに表情を引き締める。
いつまでものんびりと話していたいが、残念ながらそんな余裕は無い。
彼を殺すための凶刃が、360°全ての方角から放たれているのだ。
...奴らめ、大人しく牽制し合っていればよかったものを。
ネビロスが苛ついたように頭を振る。
「もういい。『リョウタホシノ、その場を離れろ』」
その言葉を受け、リョウタ様が一瞬固まった。
そして、悔しそうな悲しそうな顔をしながらもゆっくりと歩き出す。
―――しまった、なんて事を!!
「ま、待って!!」
咄嗟に彼の腕を掴んだが、リョウタ様の足は止まらない。
彼だけが透明な壁を突き抜け……俺は、その場に置いて行かれた。
そこに、「ヒト」が嬉々として群がる。
彼らの…ヒトという種族の獣にしか作れない、欲に眩んで輝く、生き生きとした表情で。
彼の姿が。
見えなくなる。
「待て! やめろ、頼むから! やめてくれ!!
コダ爺っ!」
「ぬぉぉぉっ!」
コダ爺がネビロスの攻撃を無視してムキムキマッチョに変化して、ヒトだかりの中に突っ込んでいく。
魔法で敵を吹っ飛ばし、ちぎっては投げているが、何しろ相手の数が多い。
なかなか中心に辿り着けない。
俺も、床の名前部分を削りつつ、先程と同じようにチャクラムで穴を空けようと試みている。
だが今度はネビロスが、そんな俺の邪魔をする。
彼女の魔法が如意棒の軌道を変え、チャクラムを叩き落とす。
「なっ...何しやがる!
どうして、直接リョウタ様を殺さない!?
何故今まで、言いなりにして、生かしておいた!?」
「......」
「おい!!」
こちらは無視するくせに、ネビロスはヒトだかりに向かって声をかける。
「何が欲しいか、先に聞いておこう」
「金! 10人が一生遊んで暮らせるくらいのだ!!」
「協力してくれるって言ったよな!? やっぱりそいつら売り飛ばしてぇから、捕まえるのを手伝ってくれ!」
「欲しいのは酒と女だが、それを買うにも金だよなぁ、要るのは」
「おれは博打とイカサマを成功させる運の良さが欲しい!!」
ふざけんなよ。だが、つまり全員カネが欲しいんだな!?
「わかったよ! もう俺、売っていいから!
勝手に山分けしてくれ、だから今は...」
気を引こうして叫ぶも、誰も振り向かない。
―――駄目だ、全く聞こえてねぇ。
物理で止めなくちゃ無理だ。
膨れ上がる焦燥感に、自分の内側の表面がピキパキと音を立て、視野が狭まっていく。
無意識の衝動に任せるままに魔法陣の文様を睨みつける。
すると唐突に床の魔力の流れが停止して、透明なゴムの壁が四散した。
「は...?」
驚いて立ち尽くすネビロスを無視して、駆け出しつつ如意棒を思い切り伸ばそうとした瞬間。
彼らの動きが、急に緩慢になった。
そのすぐ後にコダ爺がヒトだかりの中心に到達し、ぴたりと動きを止める。
それを見た俺の足も、2、3歩進んでから、勝手に止まってしまった。
周りの者が邪魔で、中央がよく見えない。
やがて、彼らは言い合いを始めた。
「―――だ? ――を刺したのは」
「俺の攻撃だな」
「いや違う、おれじゃあなかったが、こいつ…つまり人間だったぜ」
「適当な事言ってんじゃねーよ。明らかに、――はその前の魔族の魔法だったじゃねえか」
耳障りで不快な音声が、ふわふわと頭に侵入してくる。
なんの話をしてるんだ?
どうして急に、醜い争いをはじめた?
さっきまで、あんなに仲良く攻撃していたのに。
変なヤツらだな。
「......。」
ネビロスが、窺うようにこっちを見てくる。
「――――――ベニ坊……」
姿はよく見えないが、ヒトだかりの中心にしゃがんだコダ爺の声で、脳が勝手に認めてしまった。
絶対に、認めるつもりのなかったことを。
また、どこかでピシリと音が鳴った。
「......」
だけど自分の心の声は何も、聞こえてこない。
今、どんな感情なんだろう。
何に対して、何を思っている?
―――不味いな。
前回は、目の前に明確な敵がいた。
それに矛先を向ければ収まった。
だけど、今回は。
...知ってしまった。悟ってしまった。
コイツらが、特別な個人であるわけじゃないだろう。
俺とも、彼とも面識は無かったはずだから。
この種族の生き物が。
この性質が、おそらく―――。
なるほど。
バハムートも、ヒトに対してこんな想いを抱いているのだろうか?
今まで、理由を知ろうともしなかったな。
そしておそらく、彼らも...
その時、入り口の扉が開いた。
入ってきたのは、強者の気配を放つ一人の男。
ネビロスが呆然とした後、慌てて礼をとったのが視界の端に映る。
彼はこちらを真っ直ぐに見る。
俺も、ぼんやりと見返した。
「おれは、グラシャ=ラボラス。悪魔の王だ。
昔、おまえと同じく、大切な者を失った。
……ヒトによって、な」
「……よく、言えるな。
お前たちが、仕組んだのだろう...全て」
俺の怒りの矛先が、ヒトにだけ向くとでも思ったのか?
このタイミングでのこのこと現れて、よくも、いけしゃあしゃあと...
グラシャはその言葉を想定していたようで、頷く。
「そうだな。この方針に変えたのは、ごく最近の事なのだが…まあいい。
重要なのは、おまえがヒトの本性を知ったということだ」
「......」
言い返すことはない。
彼は淡々と、言葉を紡ぐ。
「見てこい、奴らを。今までと違う、目線でな。
...結論を急ぐ必要はない」
身体が勝手に動いて、頷いた。




