51話 海戦 ⑥
ベルタはこっそり玉手箱を抱えて、城下町の住民に紛れ込んでいた。
頑丈な公民館のような建物の中で、避難してきた他の住人たちと一緒に心細そうな顔をしているのだ。
どこからどう見ても、普通のリュウグウノツカイである。
実際、演じるまでもなく、彼女の内心は不安であった。
(いくら紛れ込む事に全力を注ぐからといって、隠れた護衛さえ付けないのはあんまりっす!
ジゼル宰相も、ああ見えて大胆なんすよね...うう、胃が痛いっす...)
エーギル侵攻の元凶を、今自分が隠し持っているかと思うと周りの市民にも申し訳ないような気がしてくる。
彼女の仕事は、とにかく最後までバレずに玉手箱を隠し持つこと。
そして、もし敵に知られてしまった場合には、自分の判断でその場に最適な行動をとること。
(もう、何すか「最適な」って! 無茶っす、ストレスっす、おえぇぇぇ…
あ、そうだ。一応、逃げ出しても戦ってもおかしくないように布石は打っておこう)
そう考え、さっそく行動に移す。
「いーやぁーーっ! もう、エーギル怖いっすーー!! 不安で狂いそうっすー!」
突然叫んで、プルプルと震える手で短剣を構えて見せた。
「お、おいお前さん……大丈夫だって、サメはともかく敵兵は手荒な事してこねえよ...多分…今度こそ…」
周りの市民が、一瞬ぎょっとしながらも、宥めてくれる。
だがそう言いながらも、実に説得力が無い。
ここはヴォルカの城下町である。先日襲撃があったこともあり、全員一つや二つの武器防具は持ってきている。
だから、情緒不安定そうな若い女性が急に短剣を取り出しても、全くおかしくはないのだ。
「いやいやいや、エーギルの兵士なんか、絶対に信じないっす。
見かけたら脱兎の勢いで逃げだす事、間違いなしっす。...ね、そうなったら誰か一緒に逃げません?」
血走った目で、オロオロと落ち着きなく泳ぎまわるベルタ。
半分以上本気で言っているので、見事な迫真の演技であった。
―――このように。
ベルタの心的負荷はさておき、彼女の臨機応変さに信をおいたジゼルの判断は、結果的に見ると最良だった。
◇
イズナは、ジゼルの護衛の一人として、彼女の元にいた。
ついこの間、当時の宰相を失ったばかりだと聞いている。ゆえに、既に十分な戦力の護衛に守られていたが、念の為だ。
しかしそれも理由の一つではあるが、やはりヒトである彼が海中で長時間動き続けて戦うのは厳しいものがある。
レイラに魔法を即席で叩き込まれたお陰で、一応なんとかなってはいる。
が、やはり彼女ほどの魔力は無いので、同じように空中で飛行を続けて……のような戦法はとれないのだ。
しばらくは何事もなく、各戦局の詳細情報を聞いては細かく指示を出すジゼルの傍でぼんやりとしていたイズナ。
しかし、ある気配を感じて、ピクリと動きを止めた。
「宰相さん。まだ穏やかですけど、お客様です。複数名すね」
「――わかりました。おいでになるまで、待ちましょう」
敵に観察されている事を、それとなく告げた。
事前に符丁などを決めていた訳ではないのだが、顔色を変えることも無く一瞬で真意を理解し、応じるジゼル。
他の護衛たちには、今のやり取りを理解した者もそうでない者も居るようだ。
少しして、廊下の方で何かが壊れたような大きな音が聞こえた。
室内に一斉に緊張が走り、扉の前に走り寄って警戒する者と、ジゼルや他の文官の傍によって辺りを窺う者に分かれる。
ややあって、突然窓から鋭いナイフのような金属片が、いくつも飛び込んできた。
全員の注目がその武器へと向いた一瞬の隙をついて音もなく開かれる、扉。
侵入してきた何者かに気づいた護衛1、2名はどうやってか瞬時に無力化されて昏倒し、勢いを止めることなくジゼルの元へとまっすぐに向かう敵。
彼女に短剣を突き付けるまであと一歩、の所まで迫った敵だったが、その凶刃はイズナによって蹴り上げられた。
こういう事態に慣れていた彼は、最初から護衛対象以外に目を向けていなかったのだ。
よって、それ以上の事――つまり侵入者の相手は他の護衛に任せ、再びジゼルにぴったり張り付くイズナ。
彼が一瞬でも宰相から離れたら飛び込もうと考えていた窓の外の敵も、それを見て諦めて去っていった。
◇
「なによアイツ、ヒトじゃないの! なんで海底に居るのよ」
「それはともかく、どうだった? 玉手箱は、あの部屋にありそうだったか?」
「...たぶん、無いと思う」
要塞から少し離れた場所で、3人になってしまったエーギルの「玉手箱奪取班」は、ヒソヒソと話していた。
宰相を殺すのではなく、その場で人質に取って玉手箱の在り処を問い、仮に答えなくても反応や視線の動きから情報を得るのが目的だった。
3人のうち一人はジゼルの視線や表情から目を離さなかった。そしてその結果、おそらくあの参謀本部の室内に箱は置かれていないと推測する。
「自分の身の安全以外のことは、頭からすっぽ抜けてたって線は?」
「無くはない。けど、自分だったら同じ部屋には置かない」
「...それもそうね」
そう。もし、今自分たちが行ったような事が想定されていたなら、そんな危ない橋は渡らないだろう。
「おまえたちだったらどこに隠す?」
「海底の砂底深くに埋めるか...誰かにこっそり持たせて逃がすか...一番強い、王に持ってもらうか...」
「でもいくら王って言っても、ヘルフリート様と戦っているのよ? うっかり蓋が外れるかもしれない物を持ち続けるかしら?」
「そうだな。やはり、戦わない者が隠し持っている確率が高そうだ。
地に埋めるのが一番安全かもしれないが、どうしても気になって見たり守ったりするうちに、知られてしまうかもしれないし、な」
色々と相談した結果、誰かがこっそり抱えて持っているという結論に至った。
既に泳いで遠くに離れた可能性も捨てきれなかったが、そうであったらもう追いつけない。一旦、その線は捨てる。
木の葉を隠すには森の中、という事で。
その誰かは「一般市民に紛れ込んでいる」仮説の元に、3人は行動を開始した。
◇
ベルタが避難している公民館の扉が開いた。
武器を構えて入ってきた3人の一般敵兵を見るなりすぐ、彼女は決めた。
逃げるっす! と。
長年エーギルのスパイを任されてきたベルタの観察眼は伊達ではない。
「ぎゃあぁぁぁ、エーギル兵ーーっ! 私はか弱い一般市民、敵意は無いのでお許しをーーーっっ!!」
叫び、扉へと猛進した。
短剣を、不慣れそうに振り回しながら。
「お、おい待て! 逃げることは許さんぞ!」
慌てて手を伸ばしてきた相手を、「ヒィィ!」と悲鳴を上げながら無駄のある大袈裟な動きで躱し、続く二人にも「お見逃しを~~っ!」と懇願しつつ頭を抱えて、脇をすり抜けた。
外に出ても、気を抜かない。
「えっと、えっと、敵の居ない方...向こうっすね! 自分の命は自分で守るっすよ!」
敢えて足踏みして留まり、後ろから追ってきた相手の手をギリギリで逃れ、一目散に要塞と反対の方角を目指して泳いでいった。
彼女が逃げ去った公民館内では、中に居た市民全員の簡易的な持ち物検査が行われていた。
当然だが、目的の物は出ない。
敵一般兵に扮した「箱奪取班」の女は、舌打ちした。
「ここも違ったわね。あといくつくらいあるのかしら? 大型の避難所」
「もっと小型の集会所か、普通の民家の可能性もあるな」
「さっき逃げた女みたいな奴…他にも何人かいたけど、全員そのまま追わなくて良かったの?」
「こっちはたった3人だ。いちいちとっ捕まえていたら、キリがねえ」
男は、周囲の市民を見回した。
「逃げた女、いつもあんなイカれた怖がりなのか?」
「は...いえ、この辺りの住人ではなかったようで、普段の事は知らないのですが...その、皆さんがいらっしゃる前から、とても情緒不安定そうな様子ではありました...」
「……変ね。居住区画ごとに、予め避難場所が決められていたのでしょう? ―――ねえ誰か、あの女の知り合いは居る?」
問われ、住人たちは不安そうに周りを見回した。
誰も、手を挙げない。
「...ね。ひょっとして...当たりだったんじゃない……?」
「―――くそっ! 手分けして探すぞ!」
「了解」
3人は、公民館を飛び出した。
◇
ベルタは、全速力で泳いでいた。
(と、とりあえず一難去ったっす! でもバレた可能性も、バレなかった可能性もあるっす。
そのどちらでもいいように、振舞うっすよ!)
つまり、もう今の姿は見せられない。
彼女は人目の無い所で人化して、普通の強そうなヴォルカ兵に扮した。
人化できる魚は、強力な証。
案の定、指揮官の統制が無くなって好き放題に暴れていたエーギル兵たちが、彼女を目に留めて群がってきた。
敵の首級を討って、手柄を挙げようというのだろう。
箱を抱えたまま相手をするのは大変面倒だが、背に腹は代えられない。
適当にあしらって撹乱しつつ、助力を求められそうな相手を探す。
するとやがて前方に、ヘロヘロになったハンフリーを発見した。
人化を維持できなくなったようで、普通の兵士に見える。
通り過ぎざまに彼の身体を引っ掴んで泳ぎ去るベルタ。
「大丈夫っすか、兵士長」
「……超元気だ。問題ない」
口では強がっているが、彼女に回収されるがままな程度には消耗している。
高い防御力を誇るルイスを相手に、なんとか彼を戦闘不能に追い込む事には成功したのだが、ルイスの敗北を見るや否や周囲の見物敵兵が死に物狂いで襲い掛かってきて、逃亡を余儀なくされたハンフリーだった。
「それよりお前は何してんだ?」
「それがっすね、今――――、...!?」
置かれた状況を軽く話して、彼の助言を得ようとしたベルタだったが、突如目の前に現れたソレを目にして固まった。
彼らの前方に、凄まじい圧と共に上から降ってきて、そのまま海底を目指す巨大な黒いクジラ―――。
その後すぐに、それを追うガルトニクスが現れる。
やや遅れて、現在遊学中のはずの次期王が追随していった。
唖然として見送り、顔を見合わせた二人は、慌ててその後を追った。




