1話:なんで先輩が、同じクラスなんですか?
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四月。春休み明けの朝は、眠い。いつだって眠いけど、休み明けは格別だ。二週間かけて仕上げた夜型の生活リズムが、たった一晩で戻ってくれるわけがない。
あくびを噛み殺しながら校門をくぐると、昇降口の前に人だかりができていた。どうやら、壁にクラス分けの紙が貼り出されているらしい。
今日から、俺――椎名朔也は二年生になる。
「うわ、離れたー!」
「やった、一緒じゃん!」
あっちこっちで悲鳴やら歓声やらが上がっている。クラス分けひとつで、よくそこまで盛り上がれるものだ。
人の隙間に体をねじこんで、紙を見上げる。一組、二組……自分の名前を探すだけなのに、とにかく文字が多い。
三組の欄を、上から順番に目でなぞっていく。
安藤、石井、上田、加藤、くお……って、これ女子の列か。
隣の列を読んでいた。危ない。男子の列に目を戻して、さ行のあたりまで一気に飛ばす。
椎名。
あった。探すのはそこでやめた。
昇降口の脇の長机には、同じ内容のプリントが山積みになっていた。でも、クラスさえわかればもう用はない。誰と一緒かなんて教室に行けばわかるし、そもそも名前を探したくなるほどの知り合いがいない。
……言ってて悲しくなってきたので、この話はここまでにする。
さっさと教室に行こう。人だかりから抜け出した、そのときだった。
「――朔也くん、みーつけた」
背中に、やわらかい衝撃が来た。
首にまわされた腕。ふわっと香る、甘いシャンプーの匂い。視界の端で、長い黒髪が揺れている。
「……は?」
固まった俺の耳元で、くすっと笑う声がした。
「おはよう。春休み、ちゃんといい子にしてた?」
この声は、知っている。というか、この学校で俺をこの呼び方で呼ぶ人は、一人しかいない。
錆びた機械みたいにぎこちなく首を回す。腰まで届く黒髪が、俺の肩の上をさらりと流れていった。近すぎてピントが合わない距離に、見慣れた顔がある。
周りのざわめきが、さっきまでとは違う種類のものに変わった。
すれ違いざまに二度見した男子が、そのまま前の人の背中にぶつかる。女子のグループが、ひそひそと顔を寄せ合う。
学年一位の成績で、廊下を歩くだけで男子の首がそろって同じ方向に回る人。校内に美人ランキングでもあれば、毎回上位に名前が載りそうな人。
その人が、朝の昇降口で、俺の首にぶら下がっている。
久遠寺紗月。
ひとつ上の学年の、先輩だ。
近い。いや、近いなんてもんじゃない。背中ごしに体温が伝わってくるし、首筋に髪が触れてくすぐったい。耳がじわじわ熱くなっていくのが、自分でもわかった。
違う。これは別に、そういうのじゃない。背後からいきなり抱きつかれたら、誰だって心臓くらいうるさくなる。防犯上の、正しい反応だ。……たぶん。
「せ、先輩。……近い、です。物理的に」
「そう? 久しぶりだから、つい」
「ついじゃ、ないです。みんな見てますって」
「見せてるんだよ?」
この人は朝から何を言ってるんだ。
どうにか腕をほどいて距離をとると、先輩は唇をちょっとだけとがらせた。その顔をまともに見ていられなくて、俺は足もとに目を落とす。
「あれ? 朔也くん、耳赤いよ?」
「……赤くないです」
「ふふ、かわいい」
「かわいくないです」
先輩はまるで聞いていない顔で、今度は俺の頭に手を伸ばしてきた。
「朔也くん、寝ぐせついてる。ほら、じっとして」
「いいです。自分でやるんで」
「だーめ」
身をよじって逃げようとしたら、袖をつままれたので、なぜか止まってしまった。
髪をなでる指は、やけに優しかった。おかげで、耳の熱がいつまでたっても引いてくれない。
勘弁してください、ほんとに。
結局、寝ぐせを直されたまま廊下を歩くはめになった。先輩は当たり前みたいな顔で、俺の隣を歩いている。
「朔也くんも、二年生か。なら、先輩なんだね」
「まあ、一応」
「後輩にいじわるしちゃだめだよ?」
「しませんよ。そもそも関わらないんで」
「ふふ、朔也くんらしい」
すれ違う生徒が、いちいちこっちを見てくる。まず先輩を見て、次に俺を見て、最後に「なんでこいつが」という顔になる。全員、きれいに同じ順番だった。それは俺が一番聞きたい。
階段を上がって、二年生の階に着いた。三組の教室は廊下の一番奥だ。そこまで来て、俺はさっきからずっと引っかかっていたことを、ようやく口にした。
「……あの、先輩」
「なあに?」
「なんでついてくるんですか。先輩の教室、上の階でしょ」
三年生の教室は、ここのひとつ上だ。二年の階に、先輩の用事なんてないはずだった。
先輩は答えなかった。代わりに口もとに人差し指を当てて、いたずらっぽく目を細める。そのまま、三組の扉に手をかけた。
ガラッと扉が開いて、教室の中にいた何人かがこっちを振り向く。先輩はその視線をまるで気にせず、くるりと俺のほうに向き直った。
「だって、私、今日から朔也くんと同じクラスメイトだもん」
……は?
同じクラス? 先輩と、俺が? 先輩は三年で、俺は二年で、だから同じクラスになんてなるわけが――。
「……え、いや、先輩。何言って」
「名簿、見なかった?」
先輩は制服のポケットから、折りたたまれた紙を一枚取り出した。昇降口の長机に積まれていた、あのクラス分けのプリントだ。
「はい、どうぞ」
目の前でプリントが広げられて、二年三組の欄の一行を、先輩の細い指がとんと叩いた。
女子の列の、上のほう。
久遠寺紗月。
三回まばたきした。消えなかった。こんな名前の人が、この学校に二人いるとも思えない。そして隣の男子の列には、椎名朔也。さっき昇降口で見つけた、俺の名前。
同じ枠の中に、並んでいた。
「ね? ちゃんと書いてあるでしょう?」
顔を上げると、プリントの向こうで、先輩がぱっと顔を輝かせていた。
「……なんで」
それしか出てこなかった。
先輩はプリントをたたむと、片手を扉にかけたまま、教室に一歩踏みこんだ。窓から差しこむ春の光の中で、長い黒髪がさらりと揺れる。教室の男子が何人か、ぽかんと口を開けたまま固まった。
「これから一年間、よろしくね。朔也くん」
いつもどおりの、余裕たっぷりの笑顔だった。
ただ、扉にかけたままの指先だけが、ほんの少し白くなっていた。
……ていうか、同じクラスなら、それってもう先輩なのか?




