師匠の墓標と、森の最強竜(セリア視点)
木漏れ日すら届かない、森の最深部。
私、王国騎士団長セリアは、ベルンさんたち家族と共に静かな泉のほとりを歩いていた。
師匠が眠る場所へ、遅ればせながら初めて挨拶に向かうためだ。
「……信じられないほどのプレッシャーね」
思わず、腰の双剣に手をかけそうになるのを理性が押さえつける。
泉の奥、小さな祠を覆い隠すようにして眠っていたのは、山のように巨大な緑色の竜――フォレストドラゴンだった。
私の直感が、目の前の生物の『格』を正確に弾き出している。
(強い。……もし死し合いになれば、私の神速の連撃で鱗の隙間から肉を断つことはできるだろうけれど、あの規格外の生命力と神代の魔力の前では、最終的に私が押し潰される……)
悔しいが、現存人類最強と呼ばれる私から見ても、純粋な強さで私を上回る『本物の最強』だ。
「よう、ゲルトラ。久しぶりだな」
だが、そんな絶対的な強者に対し、ベルンさんは近所の友人にでも会ったかのように呑気に手を挙げた。
『……ベルンか。そして、エレナの子供たちよ』
地響きのような重低音と共に、竜――ゲルトラが黄金の眼を開く。その眼光だけで周囲の空気がビリビリと軋んだ。
「ねーねー、ゲルトラおじさん! 今日は修行相手になってくれないの?」
「この前みたいに、尻尾の素振りで私たちの剣圧と勝負しよーよ!」
リーゼとロッテが、私より強いはずの最強竜の鼻先に飛びつき、その硬い鱗をペタペタと叩いている。
(あの双子……人類の脅威であるはずのエンシェントクラスの竜を、完全に『遊んでくれる親戚のおじさん』扱いしてるわね……)
相変わらずの脳筋っぷりに頭が痛くなるが、ゲルトラは鬱陶しそうに鼻息を吹き出しながらも、決して彼女たちを傷つけようとはしなかった。
『……ふん。相変わらず騒がしい小娘どもだ。エレナの馬鹿力ばかり受け継ぎおって。……それで? そこの騎士は』
ゲルトラの巨大な眼球が、ギョロリと私へ向けられる。
私は一歩前に出ると、背筋を伸ばし、騎士としての最敬礼をとった。
「初めまして。……いいえ、お久しぶりです。エレナ師匠の弟子、セリアと申します。幼い頃、一度だけ師匠に連れられてここへ来たことがありました」
私がそう言うと、ゲルトラは喉の奥で低く笑った。
『……覚えているぞ。エレナの後ろに隠れていた、折れそうな小枝のような小娘か。それが今や、あのバカ弟子が遺した太刀筋を極め、私の首を落とす算段を立てられるほどに研ぎ澄まされているとはな』
「……恐縮です」
『5年、かかったな』
その言葉に、私の肩がビクッと跳ねた。
そうだ。私は18歳で騎士団に入ってからの5年間、異界の超文明との防衛戦に明け暮れ、師匠が病に倒れた時も、葬儀の時も、傍にいることができなかった。その悔恨は、今も私の胸の奥にトゲのように刺さっている。
「……はい。師匠の最期に立ち会えなかった不肖の弟子です。今更どの面を下げて墓参りに来たのかと、笑ってください」
私が唇を噛み締めると、ゲルトラは深く長い溜息をついた。
『笑うものか。エレナは死の淵にあっても、最前線で戦い続けるお前のことを案じ、そして誰よりも誇っていたぞ。……お前が世界を守り抜いたからこそ、エレナの愛したこの森の静寂が保たれたのだ。よくやった、セリアよ』
「っ……」
視界が不意に滲んだ。最強の竜からのその言葉は、まるで師匠自身から頭を撫でられたかのように、私の5年間の孤独を溶かしていった。
「セリアお姉ちゃん。はい、これ」
不意に、袖を引かれた。見ると、私の大好きな12歳のテオが、ハンカチを差し出してくれていた。
「……ありがとう、テオ君。私、お姉ちゃんなのに、最近泣いてばっかりね」
私が苦笑しながら涙を拭うと、テオはお重の蓋を開け、祠の前にそっと供えた。
「ゲルトラさん。母さんが好きだった、森の木の実を使ったタルトです。一緒に食べませんか?」
『……ほう。テオ、お前の料理か』
ゲルトラは器用に爪の先でタルトを掬い上げ、口に放り込む。
『……うまい。エレナの味だ』
ベルンさんが、静かに目を細めて笑った。彼もまた、最強の神眼を持つ異世界人という途方もない秘密を抱えながら、愛する妻の墓前ではただの一人の「夫」の顔をしている。
「ねえ、ゲルトラ」
静かな空気を破ったのは、8歳のミラだった。彼女は竜の鱗をジッと見つめている。
「そのお腹の鱗、空間魔術の触媒にしたらすごくいい反応しそう。一枚ちょうだい」
「こら、ミラ! バチ当たりなこと言うな!」
ベルンさんが慌てて止めるが、ゲルトラは『かっかっか!』と豪快に笑った。
『この鱗は死ぬまでやらん! だがミラよ、お前がいつかそのバグめいた魔術でこの世界の理すら書き換えるに至った時、また来い。その時は対等の取引をしてやろう』
「えー。じゃあ、あとでこっそり剥がしに来る」
『こら!』
私は、双子たちに揉みくちゃにされる最強の竜と、それを見て笑う家族たちを眺めながら、心の中でそっと師匠に語りかけた。
(……師匠。あなたが愛したこの家族は、間違いなく世界で一番強くて、騒がしいです。でも、だからこそ……私も、私の剣で、この笑顔を絶対に守り抜いてみせます)
深森の聖域。最強の竜が守る師匠の墓標の前で、私は騎士として、そして家族の一員として、新たな誓いを胸に刻むのだった。




