鋼鉄の騎士は胃薬を飲む ―ヴェルフェンの受難―
今から5年前。28歳のヴェルフェンは、王都の誰もが認める「王国騎士団の未来」だった。
端正な顔立ち、研ぎ澄まされた剣技、そして何より冷徹で合理的な判断力。団内でも「次期副団長は彼で決まりだ」と噂される、まさにエリート街道を突き進む最強の一角だった。
彼にとって、騎士団の規律と統率は絶対であり、すべては計算通りに進む。そう信じていた。
――あの日、彼女が入団してくるまでは。
「初めまして! セリアです! 今日からよろしくお願いします!」
現れたのは、眩しいほどの笑顔を浮かべた少女だった。
しかし、彼女が初めての模擬戦で見せたのは、規律など微塵も感じさせない、世界の理を書き換えるような「規格外の暴力」だった。
ヴェルフェンは、新人指導の一環として手加減した突きを放った。
しかし、セリアはそれを「避ける」のではなく、自分の剣を振るうことすらない速度で、ヴェルフェンの剣を指先一つで弾き飛ばした。
「あ、すみません! 力加減が分からなくて!」
「……いや、いい。次だ」
ヴェルフェンは冷や汗を流しながらも、努めて冷静さを装った。
しかし、その後の訓練で事態は深刻化する。
セリアは、騎士団の演習場に設置された訓練用の『鋼鉄のゴーレム』を、ただの素手で木っ端微塵に破壊したのだ。破片が飛び散り、演習場の壁が崩落する。
「やっちゃいました……。でも、これくらいならすぐ直せますよね?」
「直せるわけがないだろう! あれは特注の魔導兵器だぞ!」
ヴェルフェンは必死に報告書を書き上げた。
『入団者セリア、訓練用ゴーレムを物理破壊。損害見積もり金貨50枚。修正を要求する』
しかし、この報告書は序の口だった。
翌週、セリアが独断で隣国の国境まで「ちょっと迷子を送り届けてきます!」と走り出し、その道中で偶然遭遇した『Aランク魔物の群れ』を、帰りの時間までに全て叩き斬って帰ってきたのだ。
「ヴェルフェンさん! 魔物を倒してきたので、討伐証明のサインをお願いします!」
「……お前、昨日言った『門限までに帰ってこい』という命令をどう理解した?」
「はい! 倒しきってから帰ってきました!」
この日、ヴェルフェンは生まれて初めて、激しい胃の痛みに襲われた。
自分の計算(合理的な指揮)など、彼女の前では無意味だと悟った瞬間だった。
(この女は、俺の管理できる器じゃない……。いや、王国という枠組み自体が彼女には狭すぎるんだ)
その後、セリアが「最強の騎士団長」として登り詰めるにつれ、ヴェルフェンの役職も「彼女の暴走を止める役割」から「彼女が暴走した後の後始末と、崩壊した演習場の修理手配」へとシフトしていった。
28歳の頃の、あの冷徹でクールだったヴェルフェンの面影はどこへやら。
今や彼は、33歳という若さにして、王都で一番胃薬の銘柄に詳しい男として、今日も今日とてセリアの無邪気な報告(またどこかを更地にした報告)を聞きながら、溜息交じりに胃薬を口に放り込んでいるのである。
「副団長、今日も胃薬ですね」
「……ああ、セリア。お前が演習場で『ちょっと本気を出した』だけで、また演習場が消し飛んだという報告を受けてな」
かつて最強の騎士を目指した男は、今や王国の平和(とセリアの機嫌)を守るために、己の胃を削り続ける聖人君主となったのだった。




