深海のディナーと、魔女の胃痛
夕暮れ時。空飛ぶベルン家の庭先は、極上の海鮮の香りに包まれていた。
昼間に双子が物理で粉砕した巨大な『深淵のクラーケン』。その分厚く硬い触手が、エプロン姿のテオの手によって、まるで豆腐のようにスパスパと切り分けられていく。
彼が握っているのは、かつてベルンが銅貨で買ってきた赤錆の包丁――もとい、神話級アーティファクト『料理神の宝丁』だ。テオの完璧な魔力コントロール(火と風の複合魔術)によって絶妙に焼き上げられた海鮮串が、次々と大皿に盛られていく。
「わぁぁ! すっごく美味しい! お城の専属シェフより断然上よ!」
水着にパレオを羽織った第6王女ミリスが、クラーケンの串焼きを頬張って目を輝かせている。
「でしょー! うちのテオのご飯は世界一なんだから!」
「お肉もいいけど、たまには海鮮も最高だね!」
リーゼとロッテも大はしゃぎだ。
その少し離れたパラソルの下で、Sランクパーティーの参謀にして国トップクラスの魔術師・シルヴィアは、優雅に(しかし少し引き攣った顔で)グラスを傾けていた。
「……お久しぶりですね、シルヴィアさん。街の市場でお会いして以来ですか」
テオが、焼きたてのクラーケンのバター醤油焼きをテーブルに運んでくる。
「え、ええ。そうね、テオくん」
シルヴィアは内心、冷や汗をかいていた。かつて市場で会った時、彼女はこの12歳の少年の「一切のノイズがない、完璧すぎる魔力循環」に戦慄した。今もそうだ。彼が料理の火加減に使う魔術は、一見すると地味だが、無駄がなさすぎて魔術の深淵を覗き込んでいるような恐ろしさがある。
「はい、お待たせしました。あ、ミラ、そっちのジュースぬるくなっちゃったかな。ごめん、今氷を……」
「んーん、大丈夫。自分でやる」
テオの後ろからひょっこりと顔を出した8歳の末っ子・ミラが、自分の持っているグラスを指先でチョンと突いた。
瞬間。
周囲の空間が一瞬だけ「ピシッ」と凍りつき、グラスの中の果実水だけが完璧な飲み頃の温度まで一瞬で冷却された。氷を入れるのではない。液体の分子運動そのものを『絶対零度』の魔法でピンポイントに減速させたのだ。
「――――ッ!?」
シルヴィアの持っていたフォークが、カランと皿に落ちた。
国トップクラスの魔術師である彼女の眼が、今の一瞬の魔力行使を正確に捉えてしまったのだ。
無詠唱。無動作。しかも、王宮の筆頭魔術師が何十人もかり出されて儀式で使うような神代の氷結魔術を、ジュースを冷やすためだけに、息をするように使った……?
「あ、あなた……!」
シルヴィアは震える指でミラを指差した。同時に、彼女の脳裏に過去の記憶がフラッシュバックする。
かつてこの森の奥から感じ取った、自分以上の底知れぬ巨大な魔力の揺らぎ。テオのものだと勘違いしていたが、違ったのだ。あのバグのような魔力総量の持ち主は、この、ちんまりとした8歳の幼女だったのだ!
「ん? お姉さん、だれ?」
ミラがきょとんとしてシルヴィアを見つめる。
「あ、ミラ。この人はお母さんの昔の知り合いで、シルヴィアさん。すごい魔術師なんだよ」
テオが紹介すると、ミラは「ふーん」とシルヴィアをじっと観察した。
「……お姉さん、魔力はいっぱいあるけど、体の外に漏れすぎ。息をするたびに魔力がこぼれてるから、燃費すごく悪いよ。私の持ってる『古代魔術の禁書』、貸してあげようか?」
「っっ!!」
悪気ゼロの、純粋な天才からの辛辣すぎるダメ出し。
かつて『深森の魔女』として恐れられ、Sランクの頭脳として君臨するシルヴィアのプライドが、8歳の幼女の一言で木端微塵に粉砕された瞬間だった。
「だ、大体ね……あなたたち、おかしいのよ! 剣と拳で古代のバケモノを殴り倒す双子に、家事のために大賢者クラスの基礎力を持つ弟、挙句の果てに、神代の魔術をジュース冷却に使う妹って……! エレナ! あなた一体どういう遺伝子を残していったのよ!!」
半泣きになりながら天国のライバル(エレナ)に悪態をつくシルヴィア。
「あははは! シルヴィアも元気そうで何よりだ! ほら、このクラーケンのゲソも美味いぞ!」
唯一の一般人(を装っている最弱の神眼持ち)、ベルンが愛嬌のあるタレ目を下げて笑いながらイカ焼きを差し出してくる。
「……ええ、そうね。もう考えるだけ無駄だわ。このイカ、死ぬほど美味しいし……っ」
シルヴィアはヤケクソ気味にクラーケンを頬張り、そのあまりの美味さにさらに涙を流すのだった。
「あぁ、胃が痛い……。こんなことなら、ヴェルフェン副団長から胃薬を分けてもらっておくべきだったわ……」
「ふふっ、シルヴィアったら大袈裟ね。ほら、そんなことよりせっかくのバカンスなんだから、もっと楽しみなさいよ。……テオ、私にも串焼きのおかわりお願い!」
王国最強の騎士団長・セリアは、人類最強の余裕(と、愛弟子たちへの絶対的な信頼)をもって、すっかりこの異常な空間を満喫し、ミリス王女と一緒にテオのご飯を楽しんでいる。
かくして、天才幼女と深森の魔女の地味な邂逅は、魔女側の完全敗北(と胃痛)という形で幕を閉じるのだった。




