第89話 貸し借りゼロの状態でいたいからさ。
「秋谷さん」
「どうしたの?」
昼休みが終わる数分前。
教室から少し出た秋谷さんを捕まえて耳打ちする。
「放課後、ちょっと時間ある?」
「あるけど、なんで?」
「ほら、今日ってホワイトデーじゃん」
「……オッケー」
少し間を開けてから秋谷さんは応えた。
場所はあとで連絡するから、と言って別れる。
教室に戻るとき、明空さんと入れ違いになった。
明空さんは何も言わず、僕の肩を叩いて教室から出て行った。
その後は普通に授業を受けた。
放課後。
「廊下で渡すのってどう?」
「他の生徒が通りそうでヒヤヒヤしてるね」
今、僕たちは人気の少ない廊下にいる。
部活動で使われる教室から少し離れているため、人があまり来ない。
でも、人が通る可能性は普通にある。
「ていうかさ、学校じゃない場所で渡しても全然よかったんだけど」
「ファミレスで、みたいな?」
「そうそう」
頷いてから、秋谷さんが続けた。
「で、何を渡してくれるの?」
そういって秋谷さんは少し距離を詰める。
僕は鞄の中から先日買った商品を取り出した。
「……こういう時って何か言って渡す感じなのかな?」
「どうなんだろ、渡されたことないから良く分からないかも」
「じゃあ、ありがとうございます」
そういって僕は秋谷さんに渡そうとすると、
「いや、その『ありがとうございます』ってどこから来たの?」
すぐに秋谷さんに止められてしまった。
「贈り物をするときって、何となくそう言うじゃん」
「せめて何に対しての感謝なのか言ってから受け取りたいんだけど」
商品の包装を、指でなぞる。
少し考えてから、口を開いた。
「これからもよろしくっていう意味で」
「それならいいね」
ありがとう、と言って秋谷さんは受け取った。
「いま開けても良い?」
「もちろん」
そう言うと秋谷さんは丁寧に包装を解いた。
「秋谷さんも丁寧に開けてるじゃん」
「当たり前でしょ」
贈り物なんだから、とこちらを見ずに呟く。
「へー、バウムクーヘンかぁ」
「うん」
「なんでこれにしたの?」
僕に視線を向けて、秋谷さんは尋ねてきた。
正直に言えば、明空さんが親にバウムクーヘンを買っていたのを見たから。
でも、色々な過程を踏まえて自分の意思で商品を選んだ。
「ホワイトデーの贈り物にも意味があるらしいから」
「あるだろうね」
「その中で一番良さそうなのを選んだって感じかな」
「ふーん」
ちょっと調べても良い? と秋谷さんは尋ねる。
恥ずかしかったけれど、僕は「どうぞ」と呟いた。
「あんまり深く捉えて欲しくないんだけど」
「オッケー」
商品を片手に、いつもとは逆の手でスマホを触っている秋谷さんを眺める。
「へぇー、なんか良い感じじゃん」
『長く続く幸せ』って、と秋谷さんは呟いた。
「じゃあこれは後でおいしく頂こうかな」
そう言って、秋谷さんは鞄の中にバウムクーヘンを丁寧に入れてから口を開いた。
「ところで、このあと用事ある?」
「ないけど」
「たまにはバスで帰りたいとか思わない?」
「まあ思うかな」
「なら、バスに乗っても良いってわけだ」
「そうなるね」
じゃあ、たまにはバスに乗ろうよ、と秋谷さんが提案してきた。
「もちろん」
「じゃあ行こうか」
「うん」
階段を下り靴を履き替え、校門を出てからバスに乗り込んだ。
「吉川くんの家って中学校から近かったよね」
「うん」
「じゃあ中学校までかな」
「そうなるね」
しばらくは沈黙が生まれたけど、おもむろに秋谷さんが口を開いた。
「中学校の2年と3年のときは同じクラスだったじゃん」
「そうだったね」
「……」
「え、それだけ?」
「いや、なんか言葉が上手く出てこないんだけど」
ちょっと待ってね、と秋谷さんは付け加える。
「……なんだろ、高校に入学したときとかは全然だったでしょ?」
「そうだったね」
あんまり関わりなかったでしょ? ということだと解釈して頷く。
「だから意外だなって」
「うん」
ホワイトデーにバウムクーヘンを貰えるなんて、ということだと解釈して頷く。
「……」
また沈黙が生じた。
特に気まずいと思わず、他の生徒の話声に耳を澄ませていると——
「……このタイミングで言うことじゃないっていうのは分かってるんだけどさ」
再び、秋谷さんが口を開いた。
「でも吉川くん、いつも変なタイミングに変なことを言うからいいよね?」
最低限、TPOは弁えてるつもりなんだけど。
「なんか気になること言ってる気がするけど、どうしたの?」
「私はバレンタインデーのお返し、誕生日プレゼントで済んだと思ってたんだよね」
「それ言うと思った」
僕が贈り物を選んでるときにも同じことを考えていた。
「あ、それ気づいてたんだ」
「気づいてたね」
「じゃあなんで、今回、渡してくれたの?
「やっぱり、ホワイトデーならお返しとしてもらった方が嬉しいじゃん」
バレンタインデーにチョコを貰って嬉しいのと同じ感じで、と付け加える。
「じゃあ私からもらったヤツも?」
「もちろん嬉しかったね」
「それは良かった」
一か月越しに聞けたよ、と秋谷さんは小さな声で呟いた。
言わなかったっけ?
「でも私にとってこのバウムクーヘンは、ひとつの『借り』みたいな感じなんだよ」
「そんな感じで捉えられるのもアレだけど」
「私、吉川くんとは貸し借りゼロの状態でいたいから」
「なるほど」
まぁ、秋谷さんって奢られるのとか基本イヤっていう感じだし。
「だから、何かしらの形でこの借りは返させてもらおうかな」
ちょうどそのとき、中学校前のバス停に着いたので、僕たちはそこで別れた。
お弁当とかで好きな食べ物があれば、私は最後まで取っておくタイプ。
家に帰りついてから、すぐ宿題を片付けて夜ごはんを食べてお風呂に入り、あとは寝るだけという状態にした。
ベッドの上に置いていたバウムクーヘンを、机に移す。
さっきもしたけど、もう一度、スマホで写真を撮った。
包装も付けた状態で写真を撮っておけばよかったかな。
でも今から包装を自分でつけて写真を撮るのはちょっと違う。
すぐに諦めて、私はバウムクーヘンを取り出した。
甘さ控えめのバウムクーヘンだった。
私の好みを意識して、吉川くんは選んでくれたのかもしれない。
マナーは悪いかもだけど、部屋にあったティッシュをお皿替わりにして取り出した。
ホワイトデーにおけるバウムクーヘンの意味は『長く続く幸せ』。
層が重なっていることから、積み重ねた時間だったりこれからも続く長い関係を示しているらしい。
どういう意味ででバウムクーヘンにしたのか、正直良く分からない。
でも、マイナスの意味ではないだろうから、めちゃくちゃ嬉しい。
バウムクーヘンを食べる。
甘さ控えめという言葉通り、甘くなかった。
全部で7個入り。
「割り切れないというところにも意味があったりするのかな」
そんなことを考えながら、バウムクーヘンを1つ食べ終えた。
翌日の3月15日。
「深山さん」
「なに?」
深山さんはこちらを見る。
休み時間。
ちょうど移動教室だったので、残っている生徒はほとんどいない。
「ホワイトデーって昨日だったじゃん」
「そういえばそうだったね」
「深山さんから2月15日にチョコレートを貰ったから」
そういってギフトショップで買った商品を深山さんに渡す。
「ホワイトチョコ?」
「うん」
深山さんからもらった同じメーカー、そして同じ種類のチョコレートだった。
「お返し的な感じでね」
どうもどうも、と言って深山さんはそのチョコレートを受け取てくれた。




