第58話 ベクシンスキーの絵って3回見たら死ぬっていう噂が、
芸術の授業では作品鑑賞が行われていた。
音楽:
夜野さん
クラシック音楽を聴くのが趣味です、なんて言ったらかっこ良さそう。
そんなことを考えながら音楽に集中する。
今日はクラシック音楽を聴いた感想を書いてを提出する必要がある。
後で文章にするため、とりあえず思ったことを書き留める。
「これ、どうやって文章にしよう」
私の呟きは音楽にかき消された。
書き留めた内容:
第一楽章
・明るい感じ
・ここ好き 2:30
・6:40 ~ チェンバロの独奏
・チェンバロの人楽しそう
・ずっとチェンバロ
・よく見たらちょっとヘッドバンギングしてない?
いつの間にかチェンバロを演奏している人の感想になっていた。
ていうか、感想がほぼ動画のコメント。
今聴いているのは、ヨハン・セバスティアン・バッハによるブランデンブルク協奏曲の第五番。
第一楽章の途中にあるチェンバロの独奏が有名らしい。
チェンバロはそこまで目立つ感じじゃないのに、独奏しているのがすごいみたい。
少女漫画で言えば「いつも隣にいて何とも思わなかった幼馴染が、ある日を境にかっこよく見える」っていう感じかな。
音楽の先生は思ったことを書けばいいと言われた。
だから私はチェンバロを演奏している人に焦点を当てて感想を記入した。
授業終わり。
感想を提出すれば退室してよいと説明を受けた。
「お願いしまーす」
「はいはい」
先生は私の感想を軽く読んで苦笑いを浮かべていた。
それには気づかない振りをして音楽室から出て行こうとすると、後ろから先生と生徒の声が聞こる。
「寺田くんはちゃんと聴いていた?」
「もちろんですよ!」
私の記憶が正しければこの生徒は授業中ずっと寝ていた。
「じゃあ一番印象に残ったパートはどこ?」
先生が試すように質問をした。
「『今日はクラシック音楽を鑑賞します』って言ったところです!」
「私の説明ってプレリュードじゃないんだけど…」
最初しか聞いてなかったのね、と先生。
「それ以外の箇所は覚えてなかったので、先生の説明に対する感想を記入しました!」と寺田くんは言ってから提出し、すぐに音楽室から出て行った。
…先生の説明に対する感想ってなに?
書道:
楠本くん
今日の書道の授業は初唐の三大家の作品を鑑賞する、というものだった。
何の作品を鑑賞するか分からないけど、服が墨汁で汚れないのであれば大歓迎だ。
当たり前だが書道の先生は書道部の顧問。
幽霊部員であるものの一応書道部ではあるので、こういうときに当てられることが多い。
だから他の授業以上に真面目に受けている。
「初唐の三大家というのは、欧陽詢、虞世南、褚遂良の3人で、楷書の名人として評価されていますが、作品を見て受ける印象は異なると思います」
30ページを見てくださいと言われたので、そのページを眺める。
そこには3人の作品が並んでいた。
この流れは「この作品を見てどう思いましたか?」って言って当てられるヤツじゃん。
これまでもその展開はあった。
スマートに応えられるよう、教科書の隅にこの三人から受ける印象を書き込む。
欧陽詢の『九成宮醴泉銘』
受ける印象: 線が鋭くて細い→髪型ツインテールのツンデレ
虞世南の『孔子廟堂碑』
受ける印象: 線が丸くて上品な感じ→髪型ロングヘアの面倒見の良い先輩
褚遂良の『雁塔聖教序』
受ける印象: 軽やかで動きがある感じ→髪型ショートボブの元気な幼馴染
やばい。
吉川に影響されすぎて、何か分類しようとするとラブコメのヒロインに例えてしまう癖が出てしまった。
もっとまともな感じにしないと…
「楠本くんはこの3人の作品を見てどう思いましたか?」
え、全員の印象を応えないといけないの?
「そうですね…」
呟きながら時間を稼ぐ。
どうしよう、ヒロインの顔しか浮かばないんだけど。
「まず、欧陽詢については最終的に選ばれないけど、根強い人気がありそうって感じで…」
「選ばれないっていうのがどういうことか分かりませんが、人気というか評価はされてますね」
書道の先生はフォローを入れてくれた。
助かる。
「次に虞世南も欧陽詢と同じで選ばれる可能性は低いんですけど、ワンオンワンなら選ばれるかもしれません」
「ワンオンワンってバスケみたいですね、えっと…」
フォローを入れようにも、俺の説明の意味が分からなくて困っている様子だ。
俺も自分で何を言ってるか分かってないけど。
とりあえず、前の二つと同様にラブコメだったらこのヒロインは選ばれる可能性はあるか、という観点から感想を述べる。
「褚遂良はアレですね、自分の想いに早く気づくことができれば選ばれる可能性が高いと思います」
「…」
先生黙っちゃった。
俺は気にせず教科書をぱらぱらとめくる。
そこには王義之の『蘭亭序』が。
「先生すいません、さっきまでの感想は、ぱっと思いついたことなんですけど、」
「まぁそれでいいんですが」
「王義之の作品を見て、これは先生にもわかってくれると思うんですけど」
25ページですね、と先生は該当箇所を示す。
俺は一呼吸置いて口にする。
「これは絶対選ばれますよ」
「そのさっきから出てくる選ばれるとか選ばれないってところがわからないんですけど…」
王義之は間違いなく勝ちヒロイン。
ラブコメ主人公が告白するのは初唐の三大家じゃなくって王義之に違いない。
あれ、これってなんの話だったっけ?
美術:
吉川くん
「僕の初恋は間違いなく絵画だったね」
「そんなことある?」
今日の美術の時間は、教科書に掲載されている作品を鑑賞して感想を書くというものだった。
美術室じゃなくてもできるから、という理由で芸術の時間だが教室にいる。
美術の先生が感想用紙をプリントするために教室から離れているタイミングで、深山さんと話をしていた。
「そしてその相手はコレ!」
僕は教科書を深山さんに見せる。
「そんなに気軽に見せられるものなの?」
もちろん、と僕は頷く。
別に知られても問題ないし。
「この絵画、見たことあるかも」
深山さんは周囲を確認してからそう呟いた。
僕の初恋の相手はフェルメールの『真珠の耳飾りの少女』だった。
「なんでそんなに好きなの?」
「僕が好きだったのは正確に言えば『真珠の耳飾りの少女』じゃなくって、」
「うん」
「生徒が描いたのかもしれない『真珠の耳飾りの少女』の模写だったんだよね」
まだ下書き段階の、と付け加える。
「じゃあ本物を見てもそこまで、って感じ?」
そういって深山さんは黒い背景の中、振り向いた瞬間を写し取られた少女を指でとんとんと叩く。
「まぁそうかな」
実物は見たことないけど、と僕は呟いた。
「いつ見たの?」
深山さんは教科書をめくりながら尋ねる。
おそらく感想を書く作品を決めているのだろう。
「中学二年生くらいだったと思う」
「初恋にしては意外と遅めだね」
深山さんはどうなの、と聞くのは流石に野暮か。
そうかもね、と肯定してから話を続ける。
「掃除の時間は美術室の少し先のところだったんだよ」
「うん」
「だから美術室を通るときに、生徒の作品がちらっと見えたわけ」
「覗き魔みたい」
人聞きの悪いことを言うなぁ。
まぁ似たようなものかも。
「そのときに目を奪われたのが、『真珠の耳飾りの少女』の模写だったんだよ」
「…ふーん」
曖昧に深山さんは相槌を打つ。
「それを見てから数日は掃除の時間より少し前に行って、その絵を眺めてたね」
「誰が描いたか知らないのに?」
「描いた人を知るよりも、その作品を見ることの方が重要だと思ってね」
家に帰ってインターネットでフェルメールの真珠の耳飾りの少女に関する記事を読み漁った。
「それで?」
「それでって?」
「なんでその下書き段階の模写が好きだったのかなって」
「ちゃんと説明するのは難しいんだけど…」
そういって僕は腕を組む。
10秒くらい考えてから呟いた。
「その模写に色が入ると、なんか熱が冷めちゃったんだよね」
「熱が?」
深山さんはこちらに顔を向けて尋ねてきた。
「見てもなんか違うなって」
僕は目の前の『真珠の耳飾りの少女』を見る。
調べればすぐに出てくる、誰でも知ってるような名画。
僕が好きだったのは、自分と描いている人だけが知っているような特別さだったのかも。
「だから僕は初恋から約1週間で失恋したんだよね」
絵画だったからよかったと思う。
「前は好きだったけどなんか違うな」程度で済んだし。
深山さんが「そうなんだ」と呟くのとほぼ同じタイミングで美術の先生が教室に戻ってきた。
感想を記入する紙が配られたので、僕は『真珠の耳飾りの少女』に関する感想を記入する。
中学校の頃に調べていた情報も添えながら書いたので、先生に褒められた。
昼休み:
深山さん
今日は秋谷さんが1-Cの教室に来た。
明空さんも一緒だ。
吉川くんの初恋の話が頭の中から消えないまま、スマホを片手に昼ご飯を食べる。
フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』。
モデルは不明。
肖像画とは異なり、17世紀のオランダの少女をモデルにしたと考えられているようだ。
ミステリアスな表情などから「北のモナリザ」とも呼ばれているらしい。
「どうしたの深山さん、『真珠の耳飾りの少女』を見て憂いを帯びた表情をしてるけど」
やけに詩的な表現。
明空さんはスマホの画面をちらっと見て尋ねた。
「絵画を見てさ、恋することってあり得る?」
「普通の人と同じような感じで好きになることはないかもだけど…」
秋谷さんはそういって、少し上を見上げる。
「私、ベクシンスキーっていう人の絵画見てすごいなって思ったよ」
「ベクシンスキー?」
「うん、知らない?」
検索してみた。
「なんかすごいね」
とりあえず感想を口にする。
秋谷さんって、高校生が読まなさそうな本を読んでるって明空さんが言ってたな。
なら納得かも。
明空さんは笑みを浮かべながら自分のスマホでベクシンスキーの絵画を見ている。
この作品たちを笑うことってある?
「不気味さと幻想的な感じが両立するってすごいなって思ったんだよね」
だから5,000円近くする画集も買った、と秋谷さんは言う。
めちゃくちゃ気に入ってるじゃん。
あと、これはそこまで重要じゃないんだけど、と言って秋谷さんは続ける。
「ベクシンスキーの絵って3回見たら死ぬっていう噂が、」
「めちゃくちゃ重要じゃん」
秋谷さんの言葉を最後まで聞かずに応える。
むしろその話を最初にしてほしかった。
どうせ死ぬんだったら、どういうプロセスで死に至るのか科学的に証明して欲しいよね、と明空さんは唇を尖らせて呟く。
そこを気にしてるわけじゃないんだけど。
秋谷さんは「もう私、ベクシンスキーの絵画は100回以上見てるから大丈夫だよ、チェーンメールと似たようなものだって!」と気にしていない様子だった。
絵画がチェーンメール扱いされるのもどうなのかな。
…本当に大丈夫だよね?




