人間最後は色か欲
男は肩を震わせながら、ふらふらと歩いて雑草の生い茂る中に消えた。
「今のヤツはな、ホントに優しい子なんや。ジジイとババアと両親を看取った。兄弟も嫁もおらん。ずっと1人で頑張っとった。年寄りの世話しながら2軒分の田畑耕して」
「あの方は、ここから離れるのですね」
李氏様は雑草に覆われた田畑が続く大地を眺める。
「ここが桃源郷とは。……傍から見れば、いいとこなんやろうな」
牛歩爺は笑わなかった。
饅頭を食べ終わった私達は、年寄りの郷を後にした。
木立の中、雲嵐と2人、荷馬車に揺られる。
私の身近には年寄りがいなかった。だから老いが想像できない。1日でも長生きするのが幸せかどうかも。
「オレん家? 祖母は亡くなった。祖父は元気。物忘れがすげくて、耳遠いのに、弓の腕は衰えてねーの」
雲嵐は長銃だけど、お祖父ちゃんは弓なんだ。
「さすがだね」
「うん。尊敬」
「私ね、道案内してるとき、両替もしてて。両替する店にさ、印鑑持ってくるおじーちゃんいた。印鑑ってね、証文とかに使うの。『家族に金が盗られんように持ち歩いてる』って毎日毎日みんなに見せびらかしてて。認知症」
「歳とるとなー」
「両替商のオヤジが、人間最後は色か欲って言ってた。印鑑のおじーちゃんは欲って」
兄が戦争から帰ってこなかったときから、必死に金を貯めた。金は頼りになった。わんこと同じくらい。国境を何度も往復して顔と手は日に焼け、脚は筋肉質になった。
両替商に出入りするようになって、印鑑のおじーちゃんを見た。それは人を信じられない悲しい姿だったのかもしれない。でも「人間最後は色か欲」って聞いてから考えた。
年老いて自分が訳分かんなくなっちゃったときに、知らない男の人に抱きついちゃったりするよりはマシ。
色<金銭欲となるよう常日頃からお金のことを考えようって思った。
今までだったら欲だったと思う。でも今は。色>欲になってるかも。ってよりも、雲嵐>その他。
「色か欲、か。はは」
「やっぱ、温泉、入りたかったなー」
一緒に。
メインルートに戻る道すがら、温泉の案内表示を恨めしく眺める。ここで李氏様一行と分かれようよーーー言いたくても恥ずかしくて言えない。
前方の李氏様の馬車に、心の中でドカンと大砲をぶっ放す。
雲嵐はそれでいーの?
二人っきりで旅をしたいんじゃないの?
雲嵐が悪戯っぽい目で私を見る。馬の足音がだんだん遅くなり、荷馬車が止まった。前を走る馬車がどんどん離れていく。
♡
「猪鍋、食べたくない?」
と雲嵐は長銃を持つ。
温泉じゃないの?
「食べたい」
「いるよ、ここ。さっき、匂いと気配感じた」
場所は李氏様達が温泉に入っていた近く。
「狩るの?」
「うん。待ってて。ガオ、行くぞ」
ガオはすたっと荷馬車から降り立つ。
ぼーっと待っていると銃声が2発聞こえた。しばらくすると、雲嵐が猪を担いで来た。やったー猪鍋。
食後、2人で温泉へ。
「香香、足元気をつけて」
すっかり夜。
「見えないね」
暗い。
どきどきのわくわく。
アオーン
アオーン
狼の遠吠えが聞こえた。
アオーン
ガオが遠吠えを返す。
ざばーっ
いきなり立ち上がる雲嵐。
「!」
真っ裸でそんな。大胆。い、いよいよ? 私は隙間のある手で目を隠したふり。でも、そんなことしなくても大丈夫。暗くて何も見えないから。
「香香、ヤバイ。ここ、狼いる。服着て」
「え」
「オレ、浮かれてた。山賊や熊だっていそうなのに」
「ひえ〜」
大変。
大急ぎで服を着て、逃げるようにメインルートに戻った。
「香香。オレ」
「なぁに?」
「好きすぎ」
唇の柔らかさを確かめるようなキスで、心の震えを探る。肌を滑る指。どこまでが許されるのか瞳に問われ、瞬きで返す。
雲嵐、夜に溶けそうだよ。




