長い長い雲嵐の話
逃避行。後ろから回された手綱を操る腕。躍動する筋肉に包まれる。耳元で聞こえる「はあっ」という掛け声。時折背中に体重をかけられ、心臓が跳ねる。
自分がか弱くて何もできない小さな女の子になった気分。心が砂糖菓子のように甘くてふわふわ温っかい。このまま、好きって気持ちだけで生きていけたらいいのに。
人がいない山の中で馬から降りた。ガオが飛びついてくる。ひとしきりガオとぐーぐーもふもふしてから立ち上がると、雲嵐に抱きしめられた。
「おかえり、香香」
「ただいま」
やっと。長かった。
私が帰る場所は央の国。雲嵐の腕の中。
央の空も山の木々も歓迎してくれている気がした。
あ。
下の下の下の檻で会っていたときのように、雲嵐の背には長銃がある。
「ね、ひょっとして、さっき撃ったの、雲嵐?」
「うん。手は撃ってないはず」
私は頭の中で、兵士が手を押さえて蹲っていた様子をリプレイ。確かに。血は全く出てなかった。弾が当たった衝撃で手が痛かったのかもしれない。
「ありがと。雲嵐」
「みんなが協力してくれたから。北へ逃げろって言われてさ」
「うん。ここ、私が道案内してたや……」
「ま」は雲嵐の口に呑み込まれた。何度もキスを繰り返し、また抱きしめられる。雲嵐の背中に回した腕に力を込め、それに応える。
きりが……、
……
……ないね。
それから沢で馬とガオに水を飲ませた。雲嵐と私も給水。
元住んでいた家は、追手が探しに来るかもしれない。その前に住んでいた、山の中腹にある小屋へ行った。恐らくは木こりが休憩や道具置き場に使っていただろう小屋。周りに岩があり、見つかりにくい。
もう5月の終わり。朝晩は少し寒いかもしれないけれど、なんとかなる。
土のままの床に筵を敷いて並んで座る。
雲嵐の持っていたちまきを食べた。木の実も。
何度もキスを繰り返しながら、雲嵐は言った。
「どこから話そう」
傍らには横になって寛ぐガオ。
「じゃ、最初から」
と小さく笑ってリクエスト。
雲嵐は、ガオといつものように下の下の下の檻の所へ行った。誰もいなかった。見張りの兵士も、見物人も。10日後くらいに訪れても誰もいない。雲嵐は、街の入り口で検問をしていた顔見知りの兵士に尋ねた。
「下の下の下は療養中って聞いて」
病気にされてるし。ま、長期だったら病気だよね。
兵士達から、下の下の下は李氏様の屋敷に住んでいると聞き、雲嵐は李氏様の屋敷を訪れた。が、家主は仕事で長期不在だと言われた。私に関しては、最近見かけた者がなく、「気を落とさないで」と暗い顔をされた。
最悪の想像をして愕然としていると、ガオがくんくんくんくんと道路の匂いを嗅ぎ始めた。そして、方向が分かったかのように迷いなく歩を進め、雲嵐を振り返った。
匂いが残っているなんて。下の下の下のときとは違って綺麗な服を着ていた。それに、馬車に乗ったのに。日にちが経ってても分かるんだっけ?
!
思い出した。下の下の下の仕事を休んでから湯圓ババアに仕込まれてた期間があったんだ。日は経ってないかも。
「半信半疑だったけどさ。でも『ここでガオについて行かなかったら、オレ、一生後悔する』って気がして」
「ありがとう、雲嵐。ありがと、ガオ」
すーすーと寝息を立てているガオの体にそっと触れた。よほど疲れているのか、ガオはぴくっと耳を動かしただけ。
街を出ると、西の国境へのルートはほぼ1本。雲嵐は馬でガオを追いかけた。途中、猪や野ウサギを狩り、それを売って米などの食料を調達した。時には種蒔きや雑草抜きをして馬の干し草をもらったり、民家に泊めてもらったりした。
「お家の人は心配なさってるよね」
「うん、たぶん。でも、香香の姿を確認するまでは」
その言葉に胸が熱くなる。




