身代わり和平条約
「は? 身代わり?」
李氏様の屋敷に外交を司る大臣がご来訪。ご指名を受けた。
碌ななことじゃないって分かる。下の下の下が仕事ってことは、李氏様、燈実様、翠蘭、私しか知らない。つまり、大臣は私のことを心底「下の下の下」だと思っている。そんな人間に身代わりをさせるなんて、汚い、キツい、危険、帰れない、厳しい、給料がない仕事。
下の下の下の服のままのため、客間中に臭気が漂っている。大臣はあからさまに眉を顰め、鼻と口を袖で覆ったまま。臭いが嫌なのか、下の下の下と同じ空気を吸うのも嫌なのか。たぶん両方。
「香香という者、西の言葉を話すそうだな」
「はい」
いったいどこからそんな話が。兵士達と大臣に接点があるとは思えない。外交を司る大臣と接点があるとすれば、同じく文官の李氏様?
一刻も早く下の下の下と離れたかったらしい大臣は単刀直入。
「我が国は、長年、西の国境辺りでの戦争に悩まされている。そこで、先日やっと、和平条約を結ぶことになった。ところが、向こうは、穏やかにことを進めたいから皇后を代表として出してくる。こちらにも女ーーー皇后か妃か皇女を出せと言ってきた」
「はい」
なるほど。西の国の言葉が分かるから通訳とか?
「香香とやら、行ってこい」
「ええ? 通訳に?」「ん、ん」
部屋の隅にいた燈実様が喉の調子を整える。
なぜ私なのかという疑問には、李氏様が答えてくれた。
「命を狙われる危険があるからだ。通訳ではなく、第七皇女として」
「はあ?!」「ん、ん」
燈実様は喉の調子を整え、大臣は計画を述べる。
「調印を行うのは西の国との国境。そこまでは行くのに何日もかかる。皇后様は体力的に難しい。そこで、皇后様の娘である瑞華 様に決まった。瑞華様は16歳。香香とやらと同じ歳」
「やはり、香香には役不足ではないでしょうか」
李氏様が難色を示す。
「調印のときだけだ。私は瑞華様が大変な長旅をする必要はないと申し上げたのだが。身内の中にあちら側の内通者がいるかもしれないとおっしゃる。単に、宮廷生活に飽きておられるだけなのだ。どうも瑞華様は自由奔放で。今回のことも旅行気分。ま、周りの者にとっては、下の下の下より瑞華様がいいだろう。とにかく、現地で入れ替わる。調印はすぐ終わる」
周りの者にとってーーーつまり「下の下の下と一緒に旅するなんて、ちょっと」ってこと。ま、そーだよね。
「調印がメインですが」
そーだそーだ。頑張って拒否って、李氏様。
「しかし、向こうの罠にまんまと嵌まるわけにはいかん」
「そちらには有能な宮女がたくさんいるはずです」
「何かあったらどうするんだ!」
出たよ、本音。なんかもう、見え見え。殺されてもいい下の下の下にやらせるって。
下の下の下は断ることなどできない。通常なら。でもさ、私はビジネス下の下の下。割に合わない。死ぬのが怖くないってのは本当でも、利用されて死ぬなんて真っ平。
「立ち振る舞いから偽物とバレますよ」
反撃してくれる李氏様を心の中で応援する私。ちょっとディスられてるのは無問題。
「あああ、向こうと同じ民族衣装にしたいくらいだ。あっちは頭からすっぽり布をかぶっていて、目しか開いていない。絶対に偽物を出してくる」
大臣は地団駄を踏む。こっちだって偽物を出すくせに。
「もし向こうが本物だったらどうするんですか?」「ん、ん」
私が素朴な疑問を投げかけた。またまた燈実様は喉の調子を整える。
「そのまま調印すればいい」
「国の信用に関わることなのに、そんな詐欺まがいのことしていいんですか?」「ん、ん、ん、ごほっごほっごほっ」
私の物言いが聞こえないほど、燈実様は咳を大きくした。




