逃亡隠蔽人情兵士
屋敷の前に到着すると、最初に李氏様が馬車から降りた。誰かが走り寄る足音に続き、緊迫感のある声が響く。
「報告します! 下の下の下が3日前より消息不明ですっ。連絡の不備により、確認が本日となりました。これより、逃亡とみなし、捜査….」
李氏様に続いて燈実様が下車。そして私が姿を見せると、報告していた兵士は口をあんぐりと開けた。
報告している兵士の後ろには、屋敷の塀に沿って、ずらっと十数人の整列する兵士達。どの兵士も下の下の下の警備で顔見りの者。
ヤバっ。これ、警備の失敗を李氏様に伝えに来てるんじゃん。
早く謝らなくちゃ。
「すみませんっ。無断欠勤しました。馬車、乗り間違えました」
陳謝のお辞儀。
頭を上げると、塀の前で整列する兵士達がそれぞれ、目をぱちぱち、口をパクパクさせながら、何かを伝えようとしている。ん?
『にげたんじゃねーの?』
『じかんかせいでやったのに』
『なにやってんだよ』
マジか。逃げたと思われてた。しかも協力して、3日も経ってから捜査を始めようとするなんて。優しさに涙出るし。
李氏様が場を取り繕った。
「下の下の下を預かっていた。人手が足りず、早馬を出せなかった。心配させたな」
李氏様は優美に微笑む。すると、そよ風に惑わされるかのごとく、兵士達はへろ〜んとした顔に。
そのまま解散。
翌日の出勤時、当番の兵士2人が心配そうに迎えてくれた。
「大丈夫か、香香。李氏様にハードなお仕置きされなかったか?」
微笑みに惑わされても、李氏様がサディストって噂は信じている模様。
「大丈夫ですよー」
「オレら、香香は逃げたと思ったんだよ。だって辛ぇじゃん。下の下の下なんて」
「最近、イケメン猟師のにーちゃんといー感じだったしさ」
「駆け落ちかなって」
駆け落ち?! やだ、してみたい♡
下の下の下がいないことは、初日、すぐに確認されていた。迎えに行った馬車に誰も乗ってこなかったから。1日目当番の兵士は、屋敷の者に私が出かけたことを尋ねた。そのとき「逃げた」と思い。沈黙した。
兵士2人は1日目を乗り切った。しかし、2日目には当番が変わる。そこで、1日目当番の兵士達は2、3日目当番の兵士達に「実はいない」と相談。隠すことにした。だが、3日目は李氏様が帰宅する。さすがに屋敷に下の下の下がいないとバレる。ということで、やっと上司に相談。
「オレらの上司ってさ、話の分かる漢なんだよ。な」
「『代わりなんていくらでもいる。今までだってすぐ死んだ。李氏様に報告してから探そう』つって」
「口には出さねーけど、基本、香香を逃す方向だったよな」
「うんうん。香香はもう十分頑張った」
「ありがとーございますっ。気持ち、すっげー嬉しいっす」
「おいおい香香、泣いてっじゃん。顔ぐちゃぐちゃだぞ」
兵士達は「逃げろ」って思ってるんだね。もし本当に逃げたら、この人達に迷惑がかかる。きっと誰かが責任を取らされる。鞭打ち、解雇、左遷、減俸。そんなことはさせられない。
もっと嫌なヤツらだったらよかった。振り切って逃げられる。
人の温かさはヤバい。心を繋がれてしまう。
寒さ、罵倒、投石。心を無にして下の下の下の仕事に従事する。
最近の秘密兵器は耳栓。
木枯らしでパタパタと赤茶色の布がはためく。その男は、アラブ系の服を着て頭には布を被っていた。
彫りの深い顔、はっきりとした二重瞼に碧眼。
男は檻の鉄格子に手を掛け、確認するように網を指で触る。
威圧感すごっ。目力強っ。
思わず耳栓取ったし。
[奴隷か? お前はいくらだ?]
切り株にもたれ、足を前に投げ出したまま男を見上げる。
李氏様と出会ったのが「導き」ならば、この男は「撹乱」だった。




