好き
雲嵐とガオは、2週間に1度くらい檻の前に来る。猪、鹿、熊の肉、肝や油を売りに来るらしい。他にも牧場の馬を届けに来たり。ガオは嬉しそうに駆けて来る。今では鉄格子に体を擦り付けてぐーぐー甘える。めっちゃ可愛い。
『香香』
『雲嵐、ガオ』
目を合わせるのが恥ずかしい。わざわざばさばさに乱した髪が呪わしい。雲嵐の優しい目に少しでも綺麗に映りたいのに。
『ガオがさ、ここへ来るって分かったら、すっげーそわそわしてんの。な、ガオ。香香のこと、大好きだよな』
ずぎゅーん
殺られた。笑顔の「大好き」。
それでも逃げるための情報を仕入れた。
『どこに住んでるの?』
『南の方の山。馬で来る』
『街って入るとき、門があったり警備の兵がいたりするの?』
『メインの通りはそーゆーのあるけど、そうじゃないとこもある。オレは道じゃないとこから入ってる。顔覚えられてて、軍への勧誘メンドいから』
『あはは。軍、嫌なの?』
『人殺すの嫌。それにオレ、人といるより、ガオや羊や馬といる方が楽しくてさ』
ガオをもふもふしながら喋る。雲嵐は、ヤジを飛ばされても堂々と檻の前にいる。
「香香、推しがいると楽しいだろう」
李氏様は悪戯っぽく笑う。
楽しくなんかない。辛い。檻の中にいる自分を見られるんだよ。人に罵倒されて石を投げられて。小便をかけられそうになったこともある。下の下の下ってこーゆーことかって思い知った。
自分が知らない誰かが、自分をどう思おうがどう扱おうがどうでもよかった。自分が知ってる誰かができてしまった。それは心の中でとても大切な人。雲嵐。ガオ。そして翠蘭。
下の下の下、心病む。分かる。
家族がいて友達がいて、好きな人、知り合いがいたら、下の下の下なんて耐えられない。
3食&寝床って喜んでた自分はホントにアホ。
もう、いっぱい泣いた。涙は枯れた。
突然頭の中に人々の顔が浮かび声が響く。
「死ね」「ブス」「泥棒」「クズ」「売女」「バカ」「淫乱」「役立たず」「人殺し」「あんな風になっちゃいけない」「親の顔が見たい」「生きてて恥ずかしくないのか」「自分だったら死ぬ」
「おい、香香、香香」
燈実様が私の肩を揺すり、心配そうに顔を覗き込む。
「あ。ちょっと。いきなり頭の中が下の下の下の仕事にトリップしました。そーいえば、私、今日、仕事をサボっちゃったんですけど、大丈夫なんでしょーか?」
雇用主と一緒にいるからうっかりしてた。無断欠勤じゃん。
「何の知らせもないな。まあ、1日いなかったとしても大したことはないが」
そんな李氏様の言葉を、燈実様が否定する。
「組織的には問題なのでは?」
確かに。逃げたかもしれないのに上司に連絡がない。これって逆に、実は絶好の逃げどきだったんじゃ。
ま、いっか。普通じゃ聞けない話を聞けたから。めっちゃ興味深かった。
帰りは人間用の馬車だった。快適。
山道、集落、山道、集落、荒地、集落、川沿い。
大きな川は赤茶色で、山々の岩肌を削った土が混じるからだと聞いた。
地図が見たい。逃げるための準備。
李氏様の書庫にあった地図を思い出す。んー、あれね。どれくらいの距離がどうなって地図に描かれているのか分かんない。自分、いろんなこと、知らなさすぎ。
よーし。次の課題は地図。
そう思いながら、ひたすら外を眺める。
住んでいる街へは南から入ると聞いた。南には雲嵐とガオが住んでいる。どの山に住んでいるんだろ。ガオ以外の家族は? 兄弟はいる? 好きな女の子はいるの? もし私が普通の町娘だったら、どんな風に出会えたのかな。
ガタゴトと揺れる馬車の中で心が揺れる。




