東西南北絶対絶命
皇帝の寝所に向かうとき、どこかで火の手が上がった。民衆は、私が皇帝と謁見した玉座に到達したころ。燃え始めたのは、きっと、あの走り回れるほど大きな建物。
見張りの兵士がいない。
もともと、外国船が攻めてきて都の兵が手薄になってた。そこへ宮廷内での火事。兵士はそっちへ行ったんだろう。
騒ぎから一変、皇帝の暮らす建物の中はひっそりとしていた。窓からの僅かな光で作られた青い闇。そこに点々とある蝋燭の道標。言われた通り、蝋燭の光を辿る。
急げ。走り続けて喉が焼けるよう。広すぎんだよ、ここ。
バン!
廊下の突き当たりの扉を開けると、壁際にカーテン付きの寝具があった。そこに翠蘭が横たわる。どーやって運ぶ。おんぶ? 翠蘭を抱き起こし、白い手を自分の首にかけた、そのとき。その手が私の肩を掴んだ。
「気づいた! ヨカッタ。逃げよ、危ない。みんなが広場から入って来て、火ぃつけてるっ」
翠蘭はふらつきながら床に足をつく。翠蘭の手を握って北の門を目指そうとすると、逆に手首を掴み返された。導かれるまま、建物から南へ出る。進む先には数名の女達がいた。一様に辺りを見回している。
北には火の手。盛大な炎が天に向かって踊る。
民衆が皇帝を探す声が、寝所のあった建物から聞こえる。
「どこだーっ」
「皇帝」
「おーい」
「燃やせ燃やせ」
常軌を逸した言葉が狂ったように響く。全てが炎に包まれるのは時間の問題。
南、宮廷の外からは乾いた銃の音。
突然、下女達が頭を下げて道を作った。
「どうしました?」
女性。50歳くらいで高貴な佇まいだった。いつの間にか、翠蘭も他の下女と同じように頭を下げている。
「早く逃げてくださいっ。火事です」
こうして訴える間にも、民衆が押し寄せてくるのに、女性の威圧感に気圧されて言葉の後、動けない。
「我々はここから逃げることは許されないのです」
「もう皇帝は逃げました」
「知っています。あなた達は早くお逃げなさい。さあ、行きなさい」
後ろを振り返ったとき、何本もの松明が近づいてくるのが見えた。
走った。
背後で民衆の声がする。
「おい、皇帝を炙り出せ」
それに応える女性の声。
「ここに火を放ってはなりません。他国からの妃や部族の有力者の娘が多くいます。国の安泰に関わりますよ」
「ババア、国の安泰とか、今、ねーんだわ」
「そーだそーだ」
「オレらの国を創るとこ。民の国さ」
「帝国も国。民の国も国。我々の中には国同士の外交や広い国土の治世に利用できる者がいるのです」
翠蘭と手を繋ぎ、南に走る。そこから仰々しい門まではすぐだった。門には特大の閂。プラス南京錠。
最強の要塞である宮廷は、外部からの侵入を悉く阻むと同時に、内部からも脱出困難。二重の堀と高い塀。
詰んだ。
半分諦めた私に、翠蘭は険しい顔をした。そして、私の手首を掴んで西に行く。え、どこへ? まるで迷路のように塀を潜り、小橋を渡り、廃墟へ進む。宮の敷地内は草が生い茂り、月明かりが朽ちかけた柱を照らす。
!
人が死んでる。斬られた女4人。大量の血はまだ液体のまま、テラテラと月の光を反射している。
翠蘭はそれを一瞥し、建物に入る。小さな部屋の隅にあった床の蓋を開けた。階段。先は漆黒。
え、ここへ?
「怖いよ。嫌だよ」
嫌がっても翠蘭は許してくれない。私を暗闇に引きずり込む。そんな力どこにあったん? でもって、床の蓋を閉じた。僅かな月明かりすら無くなった。
「怖いよー。暗いよー」
駄々をこねる私の手がしっかりと握られる。翠蘭は、壁を触りながら階段を下りてるっぽい。上も下もないような闇の中、一歩一歩確認しながら階段を下りる。
「なんか、腹減った」
そう言うと、翠蘭はぎゅっぎゅっと2回、手を握り返してくれた。ちょっとだけ心に余裕が出てきたかも。相変わらず怖いけど。
この人は強い。
もし私が男だったら、ご多分に漏れず好きになってた。
美しく儚げで優しい。その優しさは強靭さからのもの。




