狡猾弁舌英雄欺人
「襲われることは想像できなかったのですか?」
運搬を請け負った水運屋は襲われることを想定して、河の者に仕事を回した。
「少なくとも私には。家の庭から船が連なって北部へ行くのを見送った。この眉毛に雪が積もったよ」
雪。
去年11月、米を大運河で送った、オバハンの話に一致する。
「……」
「ことが起こってから、情報が漏れていたと分かった。思い通りにはいかないな」
「では、上書の後、再び米を送らなかったのは、なぜですか? 軍の警備をつけることもできたと思います」
分かっていたなら、対策すればいい。どんな悲劇を招くか、この人なら絶対想像できた。
「香香。なぜ飢饉が起こったか考えたか?」
「不作だったと」
「これまでなら、去年程度の不作は乗り切って来れた」
「……」
「北部では人口が急激に増えている。他の国からの流入、農村部からの集中、人が増えると子も増える。それを支えるだけの農作物の収穫はない。飢饉が起こって、大地が人口のバランスを取った。それだけだ」
「それだけって!」
思わず声を荒げた私に被せるように、陳氏は話を続けた。より一層小さく穏やかな声で。
仕方なく静かに耳を傾ける。
「だが、いかんせん、農地を耕す農民から飢えていく。役人は税を懐へピンハネする。貴族は満ち足りるまで自分達の物にする。もし、こちらから、もう1度米を送ったとしても、また同じことになっただろう。そして、副作用が起こる」
副作用?
「それはどのようなものでしょうか」
「もし、下々まで行き渡るように米を北部へ送ったら、品薄になった南部の穀物の値段が跳ね上がる。最低でも、今の値段の4割」
「そんなに」
「北部の民は、国から支給されるのだから、タダでそれを手に入れる。一方、南部の民は高い値段で買うことになる。南部の者から不満が出るだろう。今の世なら、暴動が起こるかもしれないな。それだけじゃあ終わらない。税で得た穀物は、国にとって金と同じ。財政が傾く。今とて潤沢とは言えないというのに」
何言ってんだか。それは、あんたら官僚が、ちゅうちゅうちゅうちゅう、税を吸いまくってるからでしょ。陳氏は皇帝よりもお金持ちなんでしょ? 金満寺の住職とつるんで、儲けてるんでしょ?
「では、なぜ、北部へ米をお送りになったのでしょう。独断で」
大地がバランスを取ると考えるのと矛盾する。
「こう見えて私は、戦争経験者だ。兵糧がなくて飢えたことがある。敵に田畑を荒らされて飢えた農民を見たことも。酷いもんだった。独断で行ったのは、皇帝に却下されたからだ。皇帝は、北部を治めている甥の父親に何度も命を狙われたことがあってな。向こうから頭を下げさせたかった」
騙されるか。まだ納得できない。
「国の米を送るのではなく、ほんの少しでも、陳氏様が個人的に寄付することはできなかったのでしょうか。真に民のことを考えているならば」
陳氏は穀物の流通を握ってる。
「今でも後悔しているよ。そうすればよかったと。宮中で決めなければ情報が漏れなかったとも。ただ、あのときは、一刻も早く北部へ米を送ることだけを考えていた。飢饉は予測できた。放っておけば、餓死者が溢れて、どのみち送ることになる。だから国のものを使った。
なんだか、私が取り調べを受けているようだな」
「滅相もございません」
「いや、有意義だったよ。私は、闇に葬られた飢饉対策を、誰かに話したかったのかもしれない」
陳氏が慈悲深い目で微笑んだとき、「やられた」と分かった。
周りが静かすぎる。みんな、聞き耳を立ててる。
陳氏の目的は、民を味方につけること。香香はこれ以上ない媒介。
牢の香香に面会するというパフォーマンス。しかも地面に直で座るというオマケ付き。民衆に寄り添い、耳を傾ける。きっと、最初、陳氏の目論見はここまでだった。
けど、番狂せが起こった。私が北部への米の輸送について尋ねた。
陳氏は、いち早く手を打っていたことをアピール。失敗と共に語り、南部の生活、国家財政を守ったことを知らしめた。耳を澄ませる者達に。




