第三章 私だって、真ん中に立ちたい
「食べる?」
「食べる!」
即答だった。
レッスン後。
テーブルの上には、スタッフからの差し入れ。
小さなシュークリーム。
こはるは一つ取る。
「二個目」
「まだ一個目!」
「さっき食べてたじゃん」
「あれはプリン!」
「同じ甘いものじゃん」
「スイーツは全然違うに決まってんだろーがよぉ!」
笑いが起きる。
こはるも笑った。
こういうときだけは、何も考えなくていい。
歌が上手いとか。
ダンスが上手いとか。
選抜とか。
人気とか。
ただ、食べるのが好きな、いつもの自分でいられる。
◇
「こはる」
「はい?」
スタッフに呼ばれた。
「この前の食レポ、反応よかったよ」
「……え?」
耳を疑った。
「どこがですか?」
「そこ聞く?」
だって。
噛んだし。
コメントは飛んだし。
『卵がすごく卵』という意味の分からない感想まで残した。
「SNSで結構切り抜かれてるよ」
スマートフォンを見せられる。
『卵がすごく卵で』
画面の中の自分。
その直後、恥ずかしそうに笑っている。
コメントが並んでいた。
『この子おもしろい』
『食べてるとき幸せそう』
『誰?』
『かわいい』
こはるは、しばらく画面を見つめた。
「……これ、褒められてます?」
「たぶん」
「たぶん!?」
スタッフが笑う。
「上手くやろうとしてるときより、こっちのほうがこはるらしい」
「私らしい……」
「不器用なのも含めてね」
褒められているのか、分からない。
でも。
初めてだった。
自分の「できなかったこと」が、誰かの目に留まった。
◇
それから少しずつ、こはるの仕事が増えた。
食べ歩き企画。
料理動画。
スイーツ紹介。
「いただきます!」
食べる。
笑う。
コメントする。
たまに噛む。
かなり噛む。
「このソースが、すごく……」
止まる。
「……ソースです!」
「前も聞いたぞ!」
スタッフが笑う。
こはるも笑う。
以前なら、失敗した瞬間に頭が真っ白になっていた。
今は、失敗しても戻れる。
「もう一回お願いします!」
そう言えるようになった。
◇
ただ。
一つだけ問題があった。
「……胃、痛い」
「また?」
「はい」
「食べすぎ?」
「違います」
「何食べた?」
「ラーメンとケーキとお団子」
「食べすぎだよ」
「仕事です!」
「ケーキと団子は?」
「自主練です」
「何の?」
「胃の」
「休ませろ」
真面目な顔で言われた。
「……はい」
反省した。
5分後。
「これ食べる?」
「食べます」
「反省どこ行った!?」
笑い声。
こんな自分でも、誰かが笑ってくれる。
そのことが、少しずつ嬉しくなっていた。
◇
ある日。
16人でイベントに出演した。
選抜だけではない。
全員で立つステージ。
こはるは後列だった。
それでも嬉しかった。
ステージに立てる。
15人と一緒に。
イントロ。
照明。
歓声。
踊る。
歌う。
間違えない。
客席を見る。
怖くない。
そのとき。
前にいる真姫が身体を開いた。
視線の先に、こはるがいた。
一瞬。
目が合う。
真姫が笑った。
――見て。
そう言われた気がした。
こはるも笑った。
客席の何人かが、
こちらを見る。
たった数秒。
それだけ。
でも。
心臓が跳ねた。
――見てもらえた。
◇
イベント後。
SNSを見る。
真姫。
莉歌。
ほかのメンバー。
写真や感想が流れている。
その中に。
『後ろにいた子、ずっとニコニコしててかわいかった』
一つ。
『食レポの子だよね?』
二つ。
『こはるちゃん気になる』
三つ。
何度も読み返した。
自分の名前。
「……私だ」
誰かが、私を見つけた。
食べているときだけじゃない。
ステージの自分を。
嬉しかった。
胸の奥が、ジンと熱くなった。
◇
翌日。
こはるは、いつもより早くレッスン場へ行った。
鏡の前。
昨日の映像を見る。
自分は後ろ。
小さい。
それでも、見つけてくれた人がいた。
なら。
もっと上手くなったら?
もっと前に行けたら?
もっと長く映れたら?
もっとたくさんの人に、
見つけてもらえる?
そう考えた瞬間。
胸の奥に、今までとは違う気持ちが生まれた。
「……前に行きたい」
自分で言って、正直驚いた。
今までは。
選抜に入りたい。
15人と一緒にいたい。
アイドルを続けたい。
それだけだった。
でも。
違う。
「もっと前に……」
鏡の中の自分を見る。
そして。
初めて、ゼロ番を見た。
◇
床に貼られた印。
センター。
いつも真姫が立つ場所。
こはるは、周りを見る。
誰もいない。
少し迷って。
一歩。
ゼロ番へ立った。
鏡を見る。
中央に自分。
「……変」
思わず笑った。
似合わない。
真姫みたいに綺麗じゃない。
莉歌みたいに歌えない。
ダンスだって、もっと上手い子がいる。
それでも。
「……いいな」
小さく呟いた。
その瞬間。
扉が開いた。
「何してるの?」
「うわあ!」
振り返る。
真姫だった。
「びっくりした!」
「こっちのセリフ」
真姫が笑う。
「ゼロ番、立ってた?」
「……立ってない」
「立ってたじゃん」
「見間違い」
「床の見間違いって何」
こはるは、逃げるようにゼロ番から離れた。
でも。
真姫が聞く。
「立ちたい?」
こはるの足が止まった。
「え?」
「ここ」
真姫がゼロ番を指す。
「……分かんない」
「そっか」
真姫はそれ以上聞かなかった。
そのことが、逆に苦しかった。
◇
レッスンが終わっても、
その言葉が残っていた。
――立ちたい?
帰り道。
こはるは、ずっと考えていた。
立ちたい。
そんなことを言っていいのだろうか。
自分なんかが。
まだ選抜にも入れていない。
歌もダンスも、
十五人の中で一番じゃない。
それなのに、
センターなんて。
「……無理でしょ」
自分で言う。
でも。
胸の奥から、
もう一人の自分が答える。
――じゃあ、立ちたくないの?
「……」
答えられなかった。
◇
数日後。
ダンスレッスン。
「こはる、そこ違う」
「はい!」
もう一度。
「遅い」
「はい!」
もう一度。
「まだ遅い」
「はい!」
何度も。
何度も。
以前なら、自分だけできないことが恥ずかしかった。
今は。
「もう一回お願いします」
自分から言えた。
レッスン後も残る。
「まだやるの?」
「うん」
「なんで?」
聞かれて、少し考える。
以前なら、
「選抜に入りたいから」
と答えていた。
でも。
今日は違った。
「前に行きたいから」
言葉にした瞬間、自分の中で何かが変わった。
◇
その夜。
こはるは、真姫にメッセージを送った。
『起きてる?』
すぐに既読。
『起きてるよ、どうした?』
文字を打つ。
消す。
また打つ。
『この前の話』
『ゼロ番?』
早い。
『そう』
少し迷ってから送る。
『立ってみたい』
既読。
返事が来ない。
「……重かった?」
そのとき。
通知。
『うん』
それだけ。
「え?」
続けて。
『いいと思う』
こはるは画面を見る。
『笑わないの?』
『なんで?』
『私だよ?』
少し間。
『こはるだからじゃない?』
意味が分からない。
『どういうこと?』
返事。
『立ちたいなら、立ちたいって言っていいでしょ』
こはるは、しばらく画面を見つめていた。
そして。
初めて、その言葉を打った。
『私、センターになりたい』
送信。
怖かった。
でも。
消したいとは思わなかった。
◇
翌朝。
レッスン場。
こはるは、いつもの位置に立つ。
ゼロ番ではない。
まだ、そこへ行けるほどのものは何もない。
でも。
以前とは違う。
行きたい場所を、自分で知っている。
音楽が始まる。
踊る。
間違える。
戻る。
また踊る。
スタッフが見ている。
15人がいる。
その中で、こはるは前を見る。
誰かに「向いている」と言われたからではない。
誰かに「センターになれる」と言われたからでもない。
自信なんて相変わらずない。
それでも。
欲しいものができた。
選抜に入りたい。
もっと見つけてほしい。
もっと前へ行きたい。
そしていつか。
あの場所に立ちたい。
レッスンが終わる。
スタッフがこはるを呼んだ。
「最近、変わったね」
「……そうですか?」
「うん。前より目が行く」
こはるの胸が跳ねる。
「何かあった?」
少し迷ってから、答える。
「秘密です」
「何それ」
こはるは笑った。
まだ言わない。
今は、自分だけが知っていればいい。
いつか。
本当に、あの場所へ行ける日まで。
こはるは床のゼロ番を見る。
そして、
小さく笑った。
「待ってろよ……」
誰にも聞こえない声。
「いつか絶対、立ってやるに――」
少し考える。
恥ずかしくなった。
でも、
もう止められない。
「決まってんだろーがよぉ!」
「何が!?」
「なんでもないです!」
笑い声が起きる。
こはるも笑いながら、もう一度、ゼロ番を見た。
そこはまだ遠い。
でも。
もう自分とは関係のない場所ではなかった。
ーー続くーー




