第二章 頑張れば報われるなんて、誰が決めた
選抜発表の翌朝。
こはるは、いつもより早くレッスン場にいた。
音楽を流す。
踊る。
間違える。
戻す。
もう一度。
昨日までと、何も変わらない。
――選ばれなかった。
思い出すたび、胸が痛んだ。
だから。
「次」
小さく呟く。
次は、選ばれたい。
そのためには、もっとやるしかない。
◇
選抜メンバーのレッスンが始まった。
こはるたちは別メニュー。
同じ建物。
廊下の向こうから、新曲が聞こえてくる。
聞かないようにしても、聞こえる。
「……いい曲」
誰かが言った。
「ね」
こはるも笑った。
本当は歌いたかった。
あの曲を。
あの場所で。
でも。
「次、頑張ろ」
そう言って、自分の練習へ戻った。
◇
数日後。
こはるはスタッフを呼び止めた。
「あの」
「どうした?」
「あの……今回」
言葉が詰まる。
怖い。でも、聞かなければ変われない。
「私、何が足りなかったですか?」
スタッフは少し考えた。
「全部、少しずつかな」
「……全部」
「歌もダンスも悪くない。でも、選ぶ理由になるほど抜けてはいない」
胸に刺さる。
悪くない。
でも、選ばれない。
「ただ」
スタッフが続ける。
「こはるが努力してるのは知ってるよ」
顔を上げた。
朝早く来ていること。
残って練習していること。
見られていないと思っていた。
少しだけ、嬉しかった。
けれど。
「努力していること自体を評価する世界ではないから」
その言葉で、
嬉しさが消えた。
「……はい」
分かっている。
アイドルは、努力を見せる仕事じゃない。
歌。
ダンス。
表情。
人気。
結果。
ステージに立ったとき、
何を見せられるか。
「ありがとうございます」
頭を下げた。
今はそれしか言えなかった。
◇
帰り道。
その言葉が離れなかった。
――努力していること自体を評価する世界ではない。
こはるには痛すぎた。
だって。
努力しか自信がなかったから。
歌なら莉歌がいる。
センターには真姫がいる。
ダンスなら、もっと上手い子がいる。
話せば、もっと面白い子がいる。
かわいい子もいる。
人を惹きつける子もいる。
15人を思い浮かべる。
みんなには何かがある。
「……私には?」
答えは出なかった。
◇
そんなときだった。
「こはる、今度一人で仕事入ったよ」
「……私?」
思わず自分を指す。
「食レポ」
「食レポ!?」
一気に顔が明るくなった。
「やります!」
「即答だね」
「やります!」
初めての一人仕事。
しかも、食べる仕事。
これなら。
初めて思った。
――これなら、私にもできる。
◇
撮影当日。
こはるは朝から何も食べなかった。
「いっぱい食べられるように」
準備は完璧。
……のはずだった。
「……お腹痛い」
控室。
胃を押さえる。
空腹。
緊張。
そして胃痛。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫です!」
元気よく答える。
カメラの前に座る。
目の前には、ふわふわのオムライス。
「わあ……!」
その瞬間だけ、本当に緊張を忘れた。
一口。
「おいしい!」
自然に笑顔になる。
「では、味の特徴をお願いします」
「はい!」
練習してきた。
大丈夫。
「卵がすごく……卵で」
止まった。
スタッフが笑う。
「卵ですね」
「はい……卵です」
何を言っているんだ。
頭が真っ白になる。
もう一度。
今度は噛む。
さらにもう一度。
用意していたコメントが全部飛ぶ。
焦る。
焦るほど、
胃が痛くなる。
それでも。
オムライスだけは、しっかり残さずに食べた。
◇
撮影終了。
「ありがとうございました!」
笑顔で頭を下げる。
控室へ戻った瞬間。
「……痛い」
机に突っ伏した。
食べすぎた。
「私、何やってるんだろ……」
せっかく来た、自分だけの仕事。
選んでもらった仕事。
なのに。
上手くできなかった。
食べることくらいしか、自分にはないと思っていたのに。
それすら、ちゃんとできない。
◇
帰宅してから、ベッドに横になった。
スマートフォンを見る。
選抜メンバーの新曲告知。
真姫。
莉歌。
みんな、輝いている。
「……すごいな」
素直にそう思う。
同時に。
苦しくなった。
私は、何してるんだろう。
選抜にも入れない。
一人仕事でも失敗する。
歌も。
ダンスも。
トークも。
何一つ、自信を持って「これ」と言えない。
「私……」
初めて、その言葉が出た。
「アイドル、向いてないのかな」
◇
家族に電話した。
仕事のこと。
選抜のこと。
全部ではないけれど、少しだけ話した。
『無理しなくてもいいんだよ』
優しい声だった。
『こはるがつらいなら、辞めたって誰も怒らないよ』
「……うん」
『頑張ったんだから』
「うん」
電話を切った。
その瞬間。
涙が出た。
辞めてもいい。
誰も責めない。
頑張った。
もう十分。
そう言ってもらえた。
なのに。
全然、楽にならなかった。
◇
ベッドの中で、アイドルではない自分を想像した。
レッスンへ行かない。
選抜発表もない。
比べなくていい。
落ち込まなくていい。
胃が痛くなるほど緊張することもない。
普通に学校へ行って。
友達とご飯を食べて。
好きなものを食べて。
「……楽そう」
呟いた。
でも。
ステージに立たない。
歌わない。
踊らない。
15人の隣に自分はいない。
その景色を想像した瞬間。
胸が苦しくなった。
「……嫌だ」
辞めることより。
続けることのほうが苦しいはずなのに。
それでも。
いなくなるほうが、もっと嫌だった。
◇
翌朝。
まだ誰もいないレッスン場。
音楽が流れていた。
鏡の前。
こはるが踊っている。
右。
左。
ターン。
間違える。
止める。
「……なんで来たんだろ」
自分でも分からない。
昨日まで辞めることを考えていたのに。
また音楽を流す。
間違える。
「もう……」
涙が出る。
それでもリモコンに手を伸ばす。
もう一度。
そのとき。
扉が開いた。
「おはよう」
真姫だった。
こはるは慌てて涙を拭く。
「……おはよう」
真姫は鏡越しにこはるを見る。
「早いね」
「真姫も」
「私は取材」
「あ、そっか」
少し沈黙。
「こはる」
「何?」
「昨日の仕事、どうだった?」
「……最悪」
真姫が少し笑った。
「そこまで?」
「コメント飛んだ。噛んだ。お腹痛くなった。食べすぎた」
「最後は自分のせいじゃん」
「うん」
こはるも少し笑った。
でも。
すぐに俯く。
「ねえ、真姫ちゃん」
「うん」
「私、向いてないのかな」
真姫は、すぐには答えなかった。
「アイドル?」
「うん」
「頑張っても選ばれないし。仕事も上手くできないし」
声が震える。
「みんなには何かあるのに、私には何もない」
真姫は黙って聞いている。
「辞めたほうが楽なのかなって思った」
「うん」
「でも……」
こはるは鏡を見る。
泣いている自分。
その後ろに誰もいないレッスン場。
「今日も来ちゃった」
真姫が聞く。
「なんで?」
「分かんない」
「じゃあ、なんで練習してるの?」
「分かんないよ」
涙が落ちる。
「向いてないかもしれないのに」
「うん」
「頑張っても、意味ないかもしれないのに」
「うん」
「全然できないのに……」
そこで言葉が止まった。
違う。
一つだけ、分かっている。
「……できないんだもん」
「何が?」
こはるは、涙を拭いた。
「諦めること」
真姫は何も言わなかった。
少しだけ、目を伏せた。
「……そっか」
それだけだった。
「絶対大丈夫」とも、
「いつか報われる」とも言わなかった。
しばらく、二人の間に何もない時間が流れた。
朝のレッスン場は静かだった。
鏡の中に、泣き腫らしたこはると、
その隣に立つ真姫がいる。
やがて真姫が、ぽつりと言った。
「私もね」
「……うん?」
「自分がアイドルに向いてるかなんて、今でも分かんないよ」
こはるが顔を上げる。
「真姫が?」
思わず聞き返した。
センターで。
いつも堂々としていて。
自分とは違う場所にいると思っていた真姫が?
「うん」
真姫は鏡の中の自分を見る。
「選ばれたから向いてる、とも思わないし」
少し間を置く。
「選ばれなかったから向いてない、とも思わない」
こはるは黙って聞いた。
「じゃあ、どうしたら分かるの?」
真姫は少し考えた。
「……分かんない」
「分かんないんだ」
「うん」
二人で、ほんの少し笑った。
真姫はリモコンを手に取る。
でも、すぐには再生しなかった。
「ただ」
こはるを見る。
「今日もここに来たってことは」
一度、言葉を切る。
「まだ、やりたいんじゃない?」
こはるは答えなかった。
答えられなかった。
でも。
その言葉だけが、胸の奥へ静かに落ちていった。
真姫が音楽を最初まで戻す。
「もう一回やる?」
こはるは、鏡の中の自分を見つめる。
自信なんてない。
才能があるかも分からない。
報われる保証なんて、どこにもない。
それでも。
「……うん」
立ち位置へ戻る。
真姫も少し離れた場所に立った。
「真姫、取材は?」
「まだ時間あるから」
「見てくれるの?」
「ちょっとだけ」
こはるは、鼻をすすった。
「間違えても笑わないでね」
「それは約束できないな」
「そこは約束してよ」
少しだけ、いつもの声が戻った。
音楽が始まる。
右。
左。
ターン。
――間違えた。
「あ」
真姫が吹き出す。
「笑わないでって言ったじゃん!」
「ごめんごめん」
「もう!」
こはるも、泣きながら笑った。
そして、音楽を止める。
最初へ戻す。
「もう一回」
真姫は何も言わず、頷いた。
朝の光が、鏡の中の二人を照らしていた。
答えは、まだ何も出ていない。
向いているかも分からない。
次に選ばれるかも分からない。
ただ。
こはるは、もう一度、最初の立ち位置に立った。
今は、それだけでよかった。
ーー続くーー




