第8話:『確率論の我慢術』
01:30……01:29……。
「やめろ吉野ッ! 飲むな!!」
翔太は喉が切れるほどの悲鳴を上げたが、吉野の耳には届いていない。
吉野の指先が黄金色に輝くグラスの表面に触れようとしている。その横では荒井が狂ったように拘束帯を揺らし、血走った目で酒を求めて暴れていた。
(クソッ……吉野が飲めば死ぬ! そしてまた補充者が来る……!)
だが翔太の思考を遮るように、目の前のスマホが不気味な光を放った。
『期間限定ピックアップ! 排出率1.0%!』
虹色の演出が画面上で激しく爆発する。
(ああくそ……回したい……! 今引けば絶対に当たる……最高レアSSRが手に入る……!)
翔太の脳内でドーパミンが津波のように噴出した。
椅子に固定された両手。激痛で麻痺させたはずの左手。どちらの指先も、自分の意思に反してスマホの画面へと吸い寄せられていく。視界が急速に狭まり、世界から音が消えていく。
(限界だ……耐えられない……!)
その瞬間、翔太は目を固く閉じ、頭の中で狂ったように「計算」を開始した。
(落ち着け! 確率を計算しろ! ドーパミンのピークは持続しない!)
翔太は自分自身の脳のバグを、冷徹なロジックで解剖し始めた。
(俺は調べたんだ……衝動を抑える方法を。人間の「欲求の波」のピークは最高でも3分……! 今流れているドーパミンは、あと1分で必ず低下する! 1.0%のガチャを1回引いて当たる確率は1%。外れる確率は99%。だが、ここで耐えて生存する確率は100%だ。99%の外れを引く価値と、100%の生存——どちらの期待値が高いかは計算するまでもない……!)
「期待値を……間違えるな……ッ!!」
翔太は歯が砕け散るほど強く噛み締め、口の中に鉄の味が広がった。
確率論という冷酷な数学。
「自分は運が良い」という不確かな妄想を切り捨て、「いま耐えることの期待値が最も高い」という事実だけを脳に叩き込む。
01:00……00:59……。
ドーパミンの波が、ほんのわずかに引いた。
狭まっていた視界が戻り、荒い呼吸とともに意識が現実へと引き戻される。全身が汗でぐっしょりと濡れ、心臓は肋骨を破らんばかりに暴れていた。翔太は自分自身の狂気を、計算の力で、力ずくで押さえつけたのだ。
(俺は……耐えた……!)
しかし、翔太が己の欲望を捻り潰したその一瞬の隙に、隣の吉野の指先が——ついにグラスの表面まであと数ミリという距離まで迫っていた。
「ああぁ」
吉野の口から吐息のような声が漏れる。その吐息がグラスの縁に触れ、黄金色の液体が微かに揺れた。
01:00……00:59……。
翔太の制止も虚しく、死のカウントダウンは最悪の決壊を迎えようとしていた。




