第7話:『SNSの幻影』
02:20……02:19……。
「お前の投稿は今バズってる。通知の数がその証拠だ! お前はすでに認められてるんだよ!」
翔太の怒号が、荒井の獣のような咆哮を切り裂いた。
「な……なにを……言ってるの……?」
詩織の指が、スマートフォンの画面まであと数ミリというところでピタリと止まった。焦点の定まらない瞳が、ゆっくりと翔太の方へと向けられる。
今その画面を見たらお前は一瞬の快感と引き換えに死ぬ! 死んだら『いいね』もフォロワーも全部ゼロだ! 生きてここを出ればいくらでもちやほやされるんだぞッ!!」
翔太は己のスマホ——悪魔のように眩しく輝くガチャ画面——から必死で目を背けながら、脳内の言葉をありったけ叩きつけた。
「ちやほや……そう、私、認められてるの……?」
詩織の瞳に、わずかに生の光が宿り直す。
彼女が渇望していたのはスマホという物質そのものではない。他者からの承認——自分という存在の肯定だ。翔太はその「承認の欲求」を、画面ではなく言葉でダイレクトに満たすことで、彼女の脳の焦点を一瞬だけ逸らした。
ピクッ……ピクッ……。
しかし詩織の細い指先は、未だに画面の直前で震えている。一度跳ね上がったドーパミンの波は、容易には引き下がらない。
「嫌……見たい……確認したい……画面が見たいのぉ……ッ!」
「見るな!! 詩織、数を数えろ!」
翔太は喉を枯らして叫び続けた。かつて自分がガチャの衝動を抑えるために調べた心理学的な対処法を、必死に思い出しながら。
「認知の焦点をズラすんだ! 頭の中で100から7を引き続けろ! 100、93、86……ほら言え!!」
「100……93……86……っ」
詩織は頭を抱え込み、ポロポロと大粒の涙をこぼしながら、必死に計算を唱え始めた。
脳の処理能力を強制的に計算へと割くことで、スマホへの猛烈な欲求の波が、わずかに抑え込まれていく。
(よし……詩織は繋ぎ止めた……!)
だがその瞬間、翔太の視界の端でガチャのピックアップ画面がチカチカと明滅した。脳裏にフラッシュバックする限定キャラのイラスト。指先が無意識に自分のスマホの方へと引き寄せられる。
(クソッ……人のこと言ってる場合じゃねぇ……!)
翔太は自分の左手を右手で握りつぶし、激痛で欲望を相殺した。
01:50……01:49……。
だが、安堵したのも束の間。
「あぁぁ……酒…酒をくれぇぇええっ!!」
今度は荒井の狂気が爆発した。
拘束帯がギシギシと悲鳴を上げ、彼の巨体がデスクごと吉野の方へと倒れ込まんばかりに揺れる。
「ひっ!? 来ないで……やめてくれぇええっ!」
吉野が悲鳴を上げる。荒井の荒い息とともに吐き出される濃厚なアルコール臭が、吉野の鼻腔を直接殴りつけた。長年ウイスキーを愛飲してきた彼の嗅覚は、その香りを一瞬で成分分解してしまう——ピートのスモーキーさ、シェリー樽の甘い余韻。脳内で完璧に味が再現され、口内にじゅわりと唾液が溢れ出る。
「たった一口……一口だけでいいんだ……」
吉野の震える手が、ついに自分のデスクのウイスキーグラスへと伸びていく。
残り1分半。
一つ目の決壊を防いだ翔太の前に、更なる崩壊の連鎖が襲いかかる。




