第九話 女鍛冶師
その後も、誠と葵の研究開発は続き、灰汁と猪の脂肪からペースト状の石鹸が作れるようになった。誠は固形石鹸を作りたかったが、灰汁に含まれる水酸化カリウムでは、ペースト状の脂肪酸カリウム石鹸しか作れなかった。
また、誠と葵が開発した高品質な麻の繊維を使った麻布生産は、志乃・澪・紬の三人で日々行われていた。ただし、紡錘車や腰機といった原始的な道具しか用意できなかったので、生産スピードは遅い。誠もさすがに手が回らず、改善できないでいた。
他には近くの浜での塩作りにも着手しており、少ないながら塩も自給できるようになっていた。
そのような中、誠と葵は、未だ自給できていない穀類の買い出しに、敦賀の市へお忍びで来ていた。
二人は行商人姉妹という設定で、葵の忍びとしての変装スキルで別人に見えるように偽装していた。
必要な物資の調達を終えて、市場の中を見物して回っていたところ、小物売りの若い店主から声がかかる。
「御嬢!」
「え、椿?」
「葵、この人は知り合いかい?」
「うん、忍びの里の仲間」
葵は変装で顔立ちを変えていたが、椿は一瞬で気づいたようだった。長年見てきた仕草や声の癖までは、誤魔化しきれなかったらしい。
「御嬢、里のことは聞いた。無事だったんだ……よかった」
「椿はあの襲撃の中をどうやって……」
「いや、あの時、師匠の使いで里の外に出ていたんだ。その……里のことは風の便りで知った」
「そうだったんだ」
「里の皆は?」
「たぶん、無事脱出できたのは私だけ。里の皆が囮になって私を逃がしてくれたから」
「そうか……」
「椿は今何をしているの?」
「私は里では鍛冶修行をしていたから、流れ着いた敦賀でも弟子入りしたかったんだけど、女だからって理由で全部断られた。それで、木工で小物を作って売って暮らしているわけ」
「誠、鍛冶師が欲しいって言ってたよね」
「うん、すごく欲しいけど」
「椿を雇ってほしい」
「ちょっと、御嬢、この人、誰なの?」
椿は葵と一緒にいる誠を見て問いかけた。
「私の旦那さん」
「え! 御嬢、嫁入りしてたの!?」
「うん、私が逃避行で森で遭難しかかっているところを助けてもらったの」
「そうだったんだ」
「どうも、誠といいます。行商人の跡取りなんですが、訳あって今は山中の山小屋で葵や家族と暮らしてます。鍛冶師を募集しているので、できれば我が家で働いてくれませんか?」
「本当に鍛冶仕事ができるのか?」
「はい、そのつもりです。今は鍛冶設備がないのですが、来てくれたら僕が責任を持って用意します。椿さんのことも、僕が責任を持って一生面倒を見させていただきます。僕たちといっしょに来てくれませんか?」
(雇用主として一生面倒をみるくらいの誠意は示さないとな……)
「一生面倒って……」
(嫁になれってか? ……いや、御嬢がいるから妾か?)
「椿、私を信じてついてきて。私も誠の家族にはとても良くしてもらっているの」
「そうだな。今もギリギリの暮らしだし、鍛冶ができるのならアンタについて行くよ」
あらためて椿を見ると、酷い風体だった。葵の話では女子のようだが、酷い汚れようで、正直外見からは性別を判別できなかった。匂いも酷く、悪臭を周囲に放っている。
「椿さんは、匂いも格好も酷い有様だけど、それって忍びの変装なんですか?」
「お前、喧嘩売ってんのか? んなわけねーだろ! 里が無くなっちまって、乞食同然の暮らしなんだよ!」
しかし、店先に並んでいる椿が作った木工細工の出来栄えは目を見張るものがあり、この時点で誠は椿を人材として欲しいと考えていた。
「じゃあ、椿さん、今日これから出発できる?」
「家財道具はここにあるのですべてだから、すぐに出れるよ」
「じゃあ、早速、山小屋へ帰るとするか」
敦賀を出て、山道を移動し、人気のない所まで来たところで、誠は自分の異能のことで椿に話しかける。
「椿さん、実は僕には人に言えない秘密があって、それを口外しないでほしいんだ。それが貴方を雇う条件なんだけど、いいかな」
「ひ、秘密って、いきなりなんだよ。そんなの、話を聞く前に返事できるわけないだろうが!」
「ごめん、約束する前に秘密を知られたら君を殺さないといけないんだ」
誠に他意はなく、リスク管理上当然の結論を述べたつもりだった。しかし、感情を置き去りにしたその合理性が、時として誠を恐ろしい人間に見せることに、本人はあまり気づいていない。
「てめぇ、弱そうな癖に私を脅してるつもりか?」
椿はよほど短気なのか、完全に頭に血が上っているようで目が据わっている。
「いや、脅しているつもりじゃないんだけど……」
「よし、わかった。お前がそんなに言うなら、私を倒して納得させてみろよ。全力で相手してやっからよ。もし、勝てたら嫁でも妾でも何にでもなってやんよ!」
やたら喧嘩っ早い椿に誠は閉口している。隣にいる葵は、椿のことをよく知っているのか、また始まったかというような表情で呆れているようだ。
(え、葵さん、そんな人を僕に推薦したわけ……)
「御嬢、こいつから離れてな! 私がこいつを倒して救い出してやるからよ!」
いつのまにか誠は、葵をさらった悪人のように椿から思われているようだ。葵はここで何を言っても椿は耳を貸さないことを知っているので、黙ってその場から離れる。
「ちょ、ちょっと、葵さん、どこに行くのかな? 椿さんの誤解を解いてくれないの?」
「誠、頭に血が上っている椿に何を言っても無駄。あとは誠に任せるしかない。頑張って」
「まじか……」
葵が十分離れると、椿から強烈な殺気が放たれた。
(これ、完全に僕を殺すつもりだよ)
誠もサイコキネシスで防御用の力場を張り巡らせ、戦闘に備える。
いきなり椿は懐の打竹(常時、火種を保存する忍具)で着火した何かを投擲してきた。
「手榴弾?」
焦った誠だが、煙が周りに急激に立ち込めたので煙幕だと悟る。
「誠! 言うの忘れてた。椿は忍具使い、気をつけて!」
葵からアドバイスをもらう誠だが、もう少し詳しく教えてほしいと内心ボヤく。
煙幕で完全に視界を塞がれ、さらに刺激性のある成分が含まれているのか咳き込み、目も痛くなる。力場でガードしても、周囲を煙に巻かれると対処のしようがない。
そのような中、前方から棒状の投擲物が数本飛んできた。棒手裏剣だ。力場でガードしていたから問題はないが、投擲物の中には吹き矢が混ざっており、異能でガードできなければ命中していただろう。
投擲物に気をとられていると、今度は背後から飛んできた鎖に誠は力場ごと巻き取られ、引きずり倒されてしまう。間を置かずに、さらに鎌で頭部を斬りつけられる。
「鎖鎌かよ」
それでも力場のガードで守られているので無傷だが、煙幕の煙が目や鼻の粘膜を刺激して辛い。
鎖が飛んできた方角は風上だと推測して、サイコキネシスで巻き付いた鎖を切断し、煙幕の外に移動した。
「力場は工夫しないと煙幕が防げないのか……」
煙幕の外で、これだけ攻撃しても煙でむせて涙ぐんでいるだけの誠を見て、椿は唖然とする。
「こいつ、化物か?」
今度は椿が誠の足元に投擲した焙烙玉が爆発する。
「今度は、手榴弾かよ……これ、完全に殺しに来てるよね?」
焙烙玉をもろに食らっても無傷の誠を見て、椿は棒手裏剣を投擲しながら忍刀で切りかかってきた。
椿の忍刀を観察すると、刃先に怪しげな色がついている。
「刀に毒を塗っているのかよ、殺意高いな、おい!」
さらに椿は斬撃の直前に毒入りの目潰しを放つ。ひと目見てヤバそうだと分かった誠は、力場で念入りに防御膜を張り巡らせ、毒霧と斬撃を防ぐ。
この攻撃でも手応えが得られなかった椿は、さすがに動揺しはじめた。
「そろそろ攻撃手段は尽きたかな。逃げられる前に倒させてもらうよ、椿」
誠は弱めの指弾を椿の全身に連続で打ち込んだ。
たまらず倒れた椿をサイコキネシスで体の自由を奪い、語りかける。
「君では僕を倒せない。これ以上抵抗すると、あの木のようになるよ」
誠は、強めの指弾で近くの木を爆散させて椿の心を折った。
「わかった、私の負けだ。約束通りお前に仕える。妾でも何でもお前の好きにしろ!」
ここで葵がようやく口を挟む。
「椿、誠は悪い奴じゃない。私は今、誠と夫婦になって幸せに暮らしている。誠とする仕事は大変だけど、どれも楽しくてやりがいもある。椿もきっと後悔しないから安心して。ただ、椿が誠の嫁になるときは二番目。私が誠の一番。それだけは間違えないで」
「椿さん、別に嫁にならなくても良いんだよ。鍛冶仕事だけしっかりやってくれればいいから」
「『椿』でいい。『さん』はつけるな。それから、最初に一生面倒を見るって言ったんだから、責任持って私を嫁にしろ! 二番目でいいから」
ここで断って椿の機嫌を損なうと面倒なことになりそうなので、誠は頷くことにした。
いくら人気がないといえ、山道で戦闘したのだ。人目につくといけないので、一行は隠れ里に向かうことにした。
隠れ里に着くと、紬が目ざとく三人を見つける。
「大変だーー! お兄ちゃんが乞食を拾ってきたーー!」
椿の風体に驚いたのか、大声で叫びながら志乃に報告に走り去った。
「……乞食って」
「ごめん、妹なんだ。ところで椿は歳いくつなの?」
「十七だ」
「そうか、僕の二個上で澪姉さんと同い年だね。紬も悪い娘じゃないから仲良くしてやってほしい。とりあえず、匂いと汚れが強烈なので風呂に入ろうか。葵、すまないけど、僕が風呂を沸かすから、椿を洗ってやってくれない? 石鹸を使っていいから」
「わかった。着物はどうするの?」
「澪姉さんと背格好が同じくらいだから借りてくるよ」
「誠、御嬢、……なんかスマン」
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風呂から上がった椿を見て誠は驚く。
「びっくりしたよ。椿って色白の別嬪さんだったんだね。市場にいた小汚い姿からは想像できなかったよ」
「誠、それって褒めているのか?」
「うんうん、もちろん、褒めてるって」
その足で、椿を家族に紹介するために山小屋へ向かう。
山小屋で家族が誠たちを待っていた。
「お姉ちゃんの着物を着ている綺麗な人は誰?」
「椿さんだよ。さっき誠に頼まれて着物を貸してあげたの」
「えーー、あの乞食と同じ人だなんて信じられない」
「あんたの新しいお姉さんになるかもしれないのに失礼でしょ!」
姉妹のお喋りを無視して、おもむろに誠が椿の紹介をはじめる。
「えーと、こちらは鍛冶師の椿さん、十七歳です。葵と同じ里の出身で、敦賀の市で見つけて連れてきました。これからこの隠れ里で鍛冶師として働いてもらいたいと考えています。僕が責任をもって一生面倒を見ますので、どうか椿を家族の一員として迎え入れてもらえないでしょうか」
誠は全力で土下座するが、志乃が口を挟む。
「一生面倒を見るって、葵ちゃんはどうするつもりなの?」
誠の代わりに椿が答える。
「御嬢、いや、葵さんとは話がついています。葵さんが第一夫人で、私が第二夫人です。ちゃんと弁えますので、どうか許してください」
椿も誠の隣で土下座する。
「三人がそれでいいって言うなら、許すも何もないわ。椿さん、誠のことをよろしくお願いしますね。あなたもそれでいいわね」
「うん、また娘が一人増えたな。めでたい事じゃないか」
父である惣兵衛は、椿の嫁入りに反対の意思は無いらしい。
「誠、これで私達も夫婦だな!」
椿が嬉しそうに誠に話しかける。
「うん、椿、これからよろしくね」
今こうして見る椿は美しくも優しげな女性なのだが、つい先程まで誠を本気で殺しにきていた鬼の形相の椿とのギャップに誠は軽い目眩を覚えた。
(この娘を決して怒らせないようにしよう……)
「お兄ちゃん、葵ちゃんがいるのに、いきなり二人目のお嫁さんかよ……信じられない……。どういう神経してるんだ」
紬の耳が痛いツッコミが聞こえる中、誠は若干十五歳にして、また新たな妻を迎えることになった。




