第五十四話 ポイント・オブ・ノーリターン
「灯里ちゃん、焔が失踪したって、どういうこと?」
「誠さん、お兄は婚約者の楓さんが惨殺されたことをずっと気に病んでたんだ。たぶん、上杉に復讐するつもりだと思う」
楓は女として最悪の死に方をしていた。それを思うと灯里は、復讐の鬼となる兄の気持ちも理解できなくはなかった。一方で、それでも兄の独断による身勝手な行動が誠達の計画を狂わせることに心を痛めてもいた。
「いやいや、それじゃマズイでしょ。そんなことしたら、焔はこの国のすべての武将達に目を付けられて表の世界じゃ生きていけなくなっちゃうよ」
「誠さん、お兄が迷惑かけてごめんなさい」
「なんとか、焔を思いとどまらせる方法を考えないと……」
誠も焔兄妹の気持ちを痛いほど理解していた。だが、このまま焔の好きにさせていては、灯里をはじめ焔の里の者達は一生、命を狙われ続けることになる。
アリスと宗一郎が金田達の解剖に興じている傍らで、誠は今後の方針を決めるための会議を開くことにした。
「え〜、焔の件も含めて緊急の会議を開きます。まず、次は樋口与六が率いる上田衆本隊が攻めてくることが予想されるんだけど、どこにいるのか分からないんだよね」
「誠〜、じゃあ、私が偵察に行ってくるよ〜」
「菫、ありがとう。1人じゃ危ないから、誰かもう1人連れて行ってもらえる?」
「じゃあ、私がついて行ってやるよ!」
「え〜、椿ちゃんか〜」
「てめぇ、私を馬鹿にしているのか!?」
「そんなことないよ〜。私の足を引っ張らないようによろしくね〜」
「こいつは……」
傍から聞いていると剣呑な菫と椿のやりとりであったが、内心では2人とも満更ではないようなので、誠はスルーしていた。
そこに誠の新たな悩みである焔のことについて、知恵者である主水が訊ねてきた。
「それで、誠さん、焔さんのことはどうするんですか?」
「主水さん、焔がたぶん最初に狙うのは上杉景勝ではなくて、楓さんが殺される直接の原因になった指揮官、樋口与六だと思う」
「つまり、樋口与六を見張っていれば、いずれ姿を現すと……」
「はい、そこを僕が無理やり捕まえるしかないと思います」
「じゃあ、私達の偵察任務は責任重大ってことだね〜」
「そうだね、菫達にすべてかかっていると言っても過言ではないかな」
「大船に乗ったつもりで任せてくれていいぜ!」
「うん、椿のことも信頼しているよ」
樋口与六と焔の捜査方針が決まったところで、主水がその先の方針についても訊ねてきた。
「それで誠さん、上杉を滅ぼすっていう方針には変わりはないのですか?」
「はい、これは余程のことがない限り変更はないです。僕らは既に焔に深く関わっています。今はまだ上杉は僕達のことを知りませんが、いつバレるか分かりませんからね」
「そうですね。焔さんの里も討伐命令が下ったのは突然でしたからね……」
「僕たちを敵視する派閥が上杉と通じていれば、簡単に討伐命令が出されるでしょうね」
「一度発令されると、他の武将の領地にも知られるところとなって、その後どうなるかは容易に想像がつきますね……」
主水の言うとおり、誠たちに選択肢は既に無くなっていたのだ。誠としては可能な限り、歴史を改変したくなかった。だが。何の因果か、状況は誠の思惑とは別の方向に流れようとしていた。
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誠達が会議を終え、菫達が偵察に出発したその日の深夜、焔は上杉軍への夜襲を決行した。樋口与六率いる上田衆2000名は、南魚沼のとある村落に陣を張って野営していた。
「やはり、この辺りに陣は張っていたか。楓の敵だ、上田衆には全滅してもらうぞ」
敵陣の上空に異能を使って浮かんでいた焔は、火球を敵陣に撃ち込んでいった。寝込みを襲われた敵兵は、火球により次々に焼かれていった。
彼らは全身を炎に包まれながら幽鬼のように両手を虚空に突き出し、空気を求めて口をパクパクさせながら村落内を彷徨っていた。その光景は地獄そのものであった。
ほとんどの者は酸欠でその場に倒れて事切れた。だが、中には近隣の小川に飛び込んで消火しようとする者もいた。
「私の炎は川に飛び込んだくらいで消えないからな。楓が味わった苦しみをお前達も存分に味わうがいい」
焔の婚約者だった楓の死には傭兵だけでなく、村落の民も深く加担していた。そのため焔は兵だけでなく、上杉側の民も平等に焼いていった。そして、焔の放った炎は家屋や田畑にも延焼し、村全体が炎に包まれていった。
「焔が攻めて来たぞ―! 敵はたった1人だ、早く探し出して始末しろ!」
敵陣は蜂の巣を叩いたような騒ぎになっていた。だが、深夜ということもあり焔がどこに潜んでいるのか特定できずにいた。
そうこうするうちに、全身を炎で焼かれて死んだ兵の死骸が増えていった。それらは、そこら中でプスプスと燻っており、肉を焼いたような香ばしい香りが敵陣を包んでいた。
「人間って、焼かれるとこんな臭いがするのか……うっ」
上田衆に入って間もない若い兵士はその光景に耐えられず、嘔吐している者も少なくなかった。
500名近くの兵が犠牲になった辺りで、上田衆は焔が上空にいることにやっと気付いた。
「焔は空に浮かんでいるぞ! 種子島で撃ち落とせ!」
敵指揮官の号令により、一斉に火縄銃による銃撃が始まった。だが、焔の周囲まで届いた弾丸は尽く、焔の異能により一瞬で激しく燃焼して蒸発し、彼に届くことはなかった。
「無駄な攻撃をするな。楓を殺したことを後悔しながら死ぬといい」
焔は火球を上田衆の鉄砲部隊に撃ち込み、敵の火縄銃ごと燃やしていった。
「おい、種子島が溶けているぞ……なんて火力なんだ……」
敵の火縄銃は焔の炎により真っ赤に熱せられて溶けかかっていた。
敵の鉄砲隊が全滅した後も上田衆は果敢に矢を射ってきたが、尽く焔に燃やされて、無駄に命を落としていった。
「こんな奴、どうやって倒せばいいんだよ……」
敵兵の中には恐怖にかられて逃げ出す者も現れ、益々混乱を極めていった。
指揮官である樋口与六も焔の火力の凄まじさを目の当たりにして、自分の見通しの甘さを後悔し始めていた。
「これ程とはな……お館様から焔討伐を命じられた時、再考を促すべきだったな。これでは上杉が滅ぼされかねない……」
その後も焔の火球による攻撃は執拗に続いた。上田衆の被害が700名を超えた頃、樋口与六は撤退を決断した。
「これ以上、いたずらに兵を失うわけにはいかぬ。樺沢城まで撤退して、そこで迎え撃つ!」
樺沢城は南魚沼の南南西に位置する要衝だった。撤退していく上田衆を上空から見下ろしながら、焔は酷薄な表情で笑みを浮かべていた。
「おおかた樺沢城辺りに立て籠もるつもりだろう。次はその城ごと焼き払ってやる。それまで怯えて待つがいい」
焔は撤退していく敵の輜重隊を襲い、自分の食べる分を奪うと残りの食料を守備兵ごと焼き払って、何処ともなく飛び去っていった。
700名近い敵を焼き払っても、焔の気持ちが晴れることはなかった。むしろ、虚しさが募るばかりであった。焔は本来、戦場で非戦闘員を助けて自分の里に匿うような優しい人物であったからだ。そんな彼が700名もの大量虐殺を行い、平静を保っていられるはずもなかった。
やがて、焔は脳内からアドレナリンが引いて戦闘による興奮から覚めていった。冷静さを取り戻した彼は、自分のしでかしたことの重大さに恐怖し、激しく嘔吐した。
「もう後戻りできない所まで来てしまったな。だが、私が上杉を滅ぼせば、誠さんにも迷惑をかけずに済むだろう」
焔は山中に打ち捨てられた廃屋の中で、これから行う上杉討伐という大量虐殺に対して、自分の精神がどこまで保つのかという不安を抱えながら眠れぬ夜を過ごした。
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その夜遅くに、菫から誠に通信が届いた。
『誠〜! 起きてる? ごめん! 一歩遅かったよ〜』
『え! なに? 菫、どうしたの?』
『私達が駆けつけた頃には、戦闘はもう終わってたの! 焔が一方的に敵を虐殺して、生き残った上田衆は撤退したみたい』
『それで焔は見つけた?』
『私達が駆けつけたころには、もう姿はなかった……』
『わかった。今日はもう帰って休んでもらえる?』
『ごめんね〜、誠の役に立てなくて……』
『いや、菫のせいじゃないから』
菫からの通信が切れると、誠は思わず呟いていた。
「やってくれたな、焔。これじゃ、例え上杉を滅ぼしたとしても危険人物として全国指名手配決定だよ……そして、焔に関わった僕らも同罪という流れか……」
この状況から焔を救う方法は果たしてあるのだろうか? 誠は深夜に1人、途方に暮れた。




