第三十六話 撫子覚醒
誠達は戦場を離れ、今夜の野営地を目指して山の中を行軍していた。
誠は椿を抱きかかえて移動するため、撫子を豪三に運んでもらおうとした。だが、撫子は頑なに断り、これからは自分の足で歩くと言い張った。
撫子は椿の負傷に少なからず責任を感じていた。
「撫子様、豪三さんは力が有り余っているので運んでもらった方がいいと思うのですが……」
「誠、私、これからは自分の足で歩くことに決めたわ」
「そうですか、分かりました。疲れて歩けなくなったら、遠慮せずに声をかけてくださいね」
「ありがとう」
撫子は自分を護るために、命を賭けた椿の覚悟を目の当たりにして、自分の中で何かが変わろうとしていた。そして自分の足で歩きながら頭の中で自問自答を繰り返していた。
(誠は自分の愛する嫁が私のせいで死にそうになっても、私に嫌味一つ言わなかったわ)
むしろ、誠は今まで以上に撫子に気を遣っていた。
(椿も私の心の弱さのせいで敵に囲まれたのに、文句一つ言わずに最後まで守ってくれた)
撫子がパニックを起こして敵の罠のド真ん中に駆け出してしまった時も、追いついた椿は彼女を安心させるために優しく微笑んで勇気づけてくれたのだった。
(私が誠や椿達にできる恩返しは?)
おそらく、誠達に尋ねれば、そんなものは必要ないと言うに違いないが、それでは撫子の気が収まらなかった。
(私にも何かできることがあるはずですわ?)
撫子は自分の立場、東雲家のこと、嫁ぎ先である潮崎家のことに思考を巡らせていった。
撫子は今、人生で初めて真剣に自問自答を繰り返していた。それは野営地に到着してからも続いていた。
そんな撫子の所に、誠が豪三と主水を伴って訪ねてきた。
「撫子様、主水さんから聞いた話なのですが、撫子様も知っておいた方がいいと思って、お耳に入れに参りました」
「いったい、何の話?」
「はい、本来であれば僕達が撫子様の護衛に着くという話は東雲家では乳母の雅さんとご当主様の二人だけしか知らない極秘事項なのです。ですが、主水の暗殺部隊と豪三の傭兵部隊の元には事前に情報が入っていたそうです」
「それって、どういう意味よ?」
「潮崎家にも東雲家の敵対派閥に通じている者がいるということです」
「要するに潮崎家も一枚岩ではないってことだよ、お嬢ちゃん」
豪三が誠の説明を噛み砕いて補足した。
「ですので、撫子さんが潮崎家に嫁いだ後も敵は身近に潜んでいて、決して安心できる状況ではないということなのですよ」
今度は主水が輿入れ後の問題についても補足した。
「それで、他の者とも話したのですが、もし、撫子様がそんな潮崎家に嫁ぐのがお嫌でしたら、僕たちの里に迎え入れることも出来ますので、考えておいてもらえませんか?」
「誠は、どうして私にそこまでしてくれるの?」
「それは……撫子様は、この道中でも僕の嫁達と女子会を開いてくれたり、仲良くしてくれたじゃないですか。そんな人を生き地獄になるかもしれない場所に送り届けるのは忍びないですからね」
「わかったわ、もう少し考える時間をもらえるかしら」
「はい、越中国に着くまでに結論を出していただければ構いませんので」
誠達が去った後、野営地で撫子は自問自答を繰り返した。
撫子は、輿入れ道中が始まる前まで、この縁談は双方にとって利があるのだから、嫁ぎさえすれば大事にされるに決まっていると安易に考えていた。
しかし、輿入れ道中の最中に、実際は撫子が死んだ方がより大きな利が得られるという事実を、東雲家の護衛隊長の口から直接聞かされていた。
さらに、先ほど誠達から潮崎家にも撫子が死んだ方が利になると考える者たちがいるという事実を知らされた。
(つまり、嫁いだとしても暗殺に怯え続けなければならないってことですわね)
たしかに、誠の里に引き取ってもらえれば安心できるに違いなかった。そして、それは今回、誠達に護衛してもらった撫子だからこそ実感できた。
(しかも、今回の旅で知り合った気心の知れた仲間もいますわ)
(でも、誠達の好意に甘えるだけでいいのかしら?)
(そんな逃げるだけの人生で後悔しない?)
(私はそんなに弱い人間なの?)
撫子の問いかけはどんどん核心に迫っていった。
たしかに今の撫子は弱い存在であり、東雲家にも潮崎家にも信頼できる人間はほとんどいないのは紛れもない事実だった。
(でも、これから自分の力で味方を作っていくことだって、できるのでは?)
そして、決して無視できない影響力を持てるようになれば、撫子自身の身の安全くらい、どうにでもできるという結論に至った。
(今まで、努力とは無縁でしたけど、自分の命がかかっていることですし、なりふり構ってなんかいられないですわ!)
もう、そこには暗殺に怯えるだけの撫子の姿はなかった。
(これから嫁ぐ潮崎家では、死に物狂いで成り上がってやる! そして、この旅で私に良くしてくれた仲間たちに恩返しをして差し上げますわ!)
撫子の心は決まった。
撫子の瞳にもはや恐怖の色は一欠片もなく、獰猛な野獣のような闘争心と野望の炎が宿っていた。
その夜、撫子は誠のもとを訪れた。誠の周りには嫁達や豪三や主水もいて、今後の方針を話し合っている最中であった。
「誠、結論が出ましたわ」
撫子の静かに燃える瞳を見ながら誠は頷いた。
「そうか、早かったね」
「ええ、私、潮崎家に嫁ぐことにしましたわ。そこで成り上がって自分の身を守れるようにしますわ。そして、今度は私があなた達を助ける側に回ってみせますわ!」
「撫子様は、短い間にずいぶんと頼もしくなったね」
「ええ、あなた達のお陰で目が覚めましたわ」
「そうかい? 僕たちは別に大したことはしていないよ」
「いいえ、こんな私を命がけで守ってくれましたでしょ。今は、私から貴方に返せるものは何もないから、これで我慢してほしいの」
そういいながら、撫子は誠に口づけをした。
すると嫁宣言していないのに、撫子と誠の意識が繋がって撫子の身体情報が誠の脳内に3D映像として像を結び始めた。
どうやら天照大神の言う『嫁』という概念は粘膜接触により条件が確定するようだった。
このことは唇を合わせた撫子にも伝わったようだ。
「これで私もあなたの嫁の一人となったようね。でも安心なさい。ちゃんと潮崎家に嫁ぐから」
「撫子様……いや、撫子、これも縁だ。潮崎家に嫁いだ後でも、困った時はいつでも僕を頼ってほしい」
「いいえ、次はあなたが嫁の私を頼る番よ。あなたの嫁の一人として潮崎家では立派に務めを果たしてみせるわ」
「いや、それはまずいでしょ! 潮崎家の婿殿に尽くして上げてくださいよ」
「は? アンタ、何言ってんの!? 私が惚れた男は後にも先にもあなた一人だけですわ。潮崎は私の覇道のための政治の道具に過ぎませんわ。向こうが私に勝手に惚れる分には構わないけど、私から惚れることは決してないわよ。だって、嫁一人守れない男に女が惚れるわけないでしょ?」
「嬢ちゃん、よく言った! アンタ、これからいい女になるぜ!」
「あら、ありがとう、豪三さん」
「撫子様が将来、豪傑として歴史に名を残したら自慢できますね」
「主水さんも、お上手ですこと!」
「撫子、私達はいつでもお前の味方だ。誠の嫁同士、協力は惜しまないから、いつでも頼ってくれよ」
「椿、私こそ、貴方に受けた恩は一生忘れませんわ。いつか十倍にして返して差し上げますから楽しみにしていなさい!」
その夜、誠の目の前にいる女性は、昨日までの死の恐怖にパニックを起こして怯えるだけの情けない愚かな女ではなかった。彼女は、何者をも恐れない勇気ある一人の戦乙女のように見えたのだった。




