第二十九話 包囲網
誠達は撫子を護衛して山の中を東に進路を取り続けていた。敵の見張りとの遭遇頻度は低く、今日はまだ菫の索敵にはかかっていなかった。
敵との遭遇が無いため撫子もリラックスしていた。
「誠、もう、丸一日敵に会ってないけど、もう包囲網を抜けたんじゃないの? 私、もう疲れたから今日くらいはゆっくり休みたいわ」
撫子は誠の異能で抱きかかえられて運んでもらっているが、安心したせいで我儘を言い始めた。誠は内心『僕に運ばれているだけなのに疲れるとは?』とツッコミを入れたいのを必死に堪えて撫子をなだめた。
「撫子様、敵の指揮官は優秀です。これも敵の策略かもしれないから辛抱してもらえませんか?」
誠の隣で索敵しながら歩いている菫の表情は思わしくなかった。
「菫、敵の包囲網を抜けられたと思う?」
「誠、警戒を怠ったらダメだよ〜。状況が不自然すぎるから、もしかすると敵に誘導されているかもしれない」
「菫の索敵範囲に敵はいるのかい?」
「それが、いるような気配はあるんだけど、位置がまったく特定できないのよね〜。たぶん、敵の隠密スキルが高いんだと思う」
そこに葵が割って入る。
「忍びの暗殺専門部隊を雇っているんだと思う。彼らの隠密スキルは菫と芹に匹敵するくらい高い。私レベルでは察知するのは無理」
「え〜、そこまでなんだ。困ったね、これは」
椿も割って入ってきた。
「誠、そう気に病んでもどうにもならないからよ、できることをコツコツやっていこうぜ」
「わかったよ、椿」
誠の腕の中では、くノ一達の話を聞いて撫子が表情を暗くしていた。
「撫子様、そう暗い顔をしないで下さいよ。包囲網を抜けられたら美味しいものを食べさせてあげますから」
「アンタは能天気ね。馬鹿なことを考えている暇があったら、しっかり私を護衛しなさいよね!」
「ははは……」
葵の案内で今日は河原で野営をすることになった。流石に護衛メンバーも疲労の色が濃いので、誠はサイコキネシスで河原に簡易的な露天風呂を作り、見張りを交代しながら体を休めてもらうことにした。
まさか露天風呂に入れると思っていなかった撫子も表情は明るくなり、憎まれ口にも拍車がかかった。
「アンタ達、野営するときにも風呂を作って入ったりしてるの?」
「うん、人気のない河原なら誠がお風呂を作ってくれるかな〜」
「里には毎日入れる風呂が当たり前のようにあるからな。私は風呂に入れない日があると、落ち着かない体になっちまったよ」
菫と椿が撫子に答えた。
「最初、誠に嫁が5人……いまは6人か、そんなにいるって聞いた時はありえないって思ってたけど、アンタ達を見ていると楽しそうだし、こういうのも悪くないわね」
「たぶん、誠が特別なんだと思うよ〜。撫子ちゃんも行く所が無くなったら誠に嫁入りしなよ〜。楽しいよ〜」
「いや、いくらなんでもそうはならないでしょ」
その夜は露天風呂に入ったお陰で、護衛メンバー全員が逃避行が始まって以来、はじめて熟睡することができた。
翌日、谷間の細い渓流沿いを進んでいた時、突然、菫が警告を発した。
「誠、罠にハメられた。前方の忍びの気配が強くなった。多分包囲網を敷いている。後方からは傭兵らしき気配が近づいてきている……」
菫は目を閉じて、後方の気配を探る。
「……たぶん、このペースだと昼過ぎには遭遇すると思う。そして左右は急斜面だから逃げ場はない……」
「まじか……完全に包囲されたということか。少しでも有利な場所で迎え撃つしかないかな」
「私もその方がいいと思う。進行方向の忍びは正確な位置がわからないから、今できることは何もないかな〜」
「じゃあ、後方から来る傭兵部隊を長距離狙撃で数を減らしていこうか」
敵の罠にハマり、挟み撃ちされたことを知った撫子の顔色は悪かった。
誠達は来た道を引き返して周囲よりわずかに高くなっている場所で、西から進軍してくる傭兵を迎撃することにした。そこは谷間で左右に逃げ道はないのだが、標高が高いため前方と後方を見下ろすことができる地形だった。
「僕と菫と芹で傭兵の数を狙撃で減らすから、葵と椿は東側の忍び部隊を警戒して。撫子、宗一郎さん、アリスは僕らの間で待機、瑞波は彼らの護衛を頼む!」
皆、真剣な表情で頷いた。
「誠〜、後ろの忍び連中、包囲網を狭めて来ているよ。肉眼では見えないけど圧が強くなってきた」
「誠さん、前方の傭兵部隊はまだ視認できませんね。後方の忍び達は攻めてくると思いますか?」
芹の問いに椿が答えた。
「奴らは暗殺専門だから、こっちが形勢不利になるまで手を出して来ないんじゃないのか?」
「椿の言うとおり。たぶん私達が敵の待ち伏せ地点に逃げ込むのを待っているはず」
葵が補足した。
「傭兵を先に片付けた方が良さそうだね。初手は長距離狙撃で数を減らして、その後、僕が斬り込むよ。たぶん殲滅できると思う」
「誠1人に任せて大丈夫?」
「菫、心配してくれてありがとう。余裕があったら長銃で援護射撃をお願いするよ。でも、弾はなるべく温存しておいてほしい」
今度は椿が聞いてきた。
「誠、私らは何をすればいい?」
「ここを死守してほしい。僕が傭兵を殲滅して挟撃の心配が無くなったら、暗殺部隊の中に斬り込むから、その間、撫子様をしっかり守ってほしい」
「わかった、任せろ」
誠達は傭兵部隊を狙撃するために待ち伏せを開始した。
一方、傭兵部隊とともに東へ進撃していた影山主水は部下の忍びから報告を受けていた。
「鷲尾殿、部下からの報告では敵の足止めに成功したとのことです。まあ、このまま私の暗殺部隊の罠にハマってくれても良かったのですけどね」
「影山さん、ということは奴らは袋の鼠ってことでいいんだな」
「そういうことになりますね。おそらく、私の暗殺部隊より鷲尾さんの傭兵部隊が先に会敵することになると思います」
「そうか、それは楽しみだな」
鷲尾は嬉しそうに微笑んだ。とはいっても地顔が怖いので鬼の形相にしか見えなかった。
「もし敵が潰走したら暗殺部隊で掃討しますし、逃げずに最後まで抵抗するようなら鷲尾さんの部隊で潰してください」
「わかった、わかった。もし、傭兵部隊の圧で潰走するなら、俺が直々に相手するほどの敵じゃなかったってことだからな、その時はアンタに任せるとするよ」
「ご安心ください。仕事は最後まで責任をもってやり遂げますので」
傭兵部隊がそのまま進軍を続け、しばらくした頃に異変は起こった。
「鷲尾殿、そろそろ敵が見えてくる頃ですよ」
影山が鷲尾に話しかけた時、バスッという音とともに、味方の傭兵の胴体に風穴が開いて倒れた。
続けて、また1人、2人と倒されていく。
たまらず、鷲尾が影山に怒鳴る。
「おい! 敵とはまだ400m以上離れているぞ! これはどういうことだ!? 近くに伏兵がいるんじゃないのか!?」
「落ち着いて下さい、鷲尾殿。敵の有効射程は300m以上です。特殊な武器を所持しているようで、種子島のような発砲音もしないんですよ」
「おい、お前ら、木を盾にしながら少しずつ前進しろ! ジワジワと相手にプレッシャーをかけてやれ!」
その頃、誠の陣営では、敵が樹木を盾に前進をはじめたため、長距離狙撃ができず手詰まりとなっていた。
「誠〜、3人しか減らせなかったね。もうちょっと狙撃できると思ったんだけどな」
「菫、仕方ないよ。敵の指揮官の判断が早かったんだから。命中しなくても牽制射撃はした方がいいかもね」
「わかったわ、誠。なるべく相手がヒヤッとするようなのを撃ち込んでいくね」
「敵が50mの距離まで接近したら僕が直接斬り込むから、討ち漏らした敵の狙撃は菫と芹にお願いするね」
「それは任せてください、誠さん」
「この作戦が上手く行けば、傭兵の殲滅はなんとかなりそうな雰囲気だね」
誠の中では勝利の方程式が見え始めた頃、その後方では撫子が少しずつ進撃してくる傭兵部隊の圧に激しく恐怖しているところだった。
「死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない」
「撫子、そんなに怖がらなくても大丈夫よ。きっと誠がなんとかしてくれるから」
「そうですよ、撫子様。誠様がきっと敵を討ち滅ぼしてくれます。私が保証しますよ」
アリスと瑞波が交互に撫子を励ますが、当の本人の耳には入っていないようで、真っ青な顔でガタガタ震えていた。
見かねた宗一郎が医師としての助言を与える。
「撫子、お前、そんな状態じゃ周りの皆も落ち着かないだろ! 精神を安定させる薬を飲ませてやるから、ちょっと待て!」
と、言いながら日本酒をお猪口に注いで撫子に渡した。
「ほら、一気にクイって飲め」
撫子は薬と信じて飲んだため酒だと気がつかなかったが、少しばかり落ち着きを取り戻した。
「やっぱ、こういう時は慌ててもしゃーないからな、飲んで落ち着くに限るよ」
そう言うと宗一郎も飲み始めた。
そうするうちにも敵はどんどん前進してきて肉眼でもハッキリと見える距離まで迫っていた。
一旦は酒の力で落ち着いた撫子も、それを目にしたせいで再びパニックを起こした。そして、あろうことか暗殺部隊が待ち伏せる方へ叫び声を上げながら全力で駆け出してしまった。
「死にたくない。死にたくない! ああ―――!!!」
後方の忍び部隊を警戒していた椿と葵は、後ろからいきなり全力で駆け出してきた撫子を見て、一瞬何が起きたのか理解できなかった。
「あいつ、撫子か! 馬鹿野郎! そっちは敵がいるんだぞ、戻ってこい!」
撫子はパニックを起こしていて椿の言葉も耳に入らず、全力で敵が待ち伏せる中に駆け込んでいった。
「くそっ、私が行く! 葵はここを頼む!」
撫子を追って椿も駆け出したが、すでに2人の距離は10m以上離れていた。
次の瞬間、音もなく撫子の周りに忍びの暗殺部隊が次々と姿を現し、撫子は恐怖でやっと走るのを止めた。
敵の数は15名、そこに椿はたった1人で撫子を救出するために飛び込んでいった。
この時、誠は前方の傭兵部隊に気をとられて気づくのに遅れた。異変に気づいたのは、椿が敵の中に突入していく姿を目にした時だった。
「つばき―――!!」
誠も大声で椿の名を叫びながら後を追うが、敵暗殺部隊10名が椿と誠の間に新たに現れ、2人を分断した。




