第二十話 反逆の扇動者
長助(42歳)は瑞波一行の中では、船大工の甚兵衛(60歳)に師事する中堅の船大工だ。42歳にもなって甚兵衛から叱責を受けながら仕事をしているのは、物事に真面目に取り組めない性格が原因だった。
そんな半端者の長助が、なぜ瑞波(15歳)の父が選んだ脱出メンバーに名を連ねているのか。理由は単純だった。技術ではなく、人に取り入る狡猾さで成り上がってきた男だったからだ。周囲の人間関係を巧妙に壊しては、その隙をついて有力者に近づき、まんまと信頼を勝ち取る。今回も同じ手口で瑞波の父に取り入ったのだった。いわゆる、組織にとって癌細胞のような人物だった。
その長助が、数日をかけて里のあちこちに種を蒔いて回っていた。
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瑞波の側仕え筆頭の登勢(43歳)が住居の掃除を部下に指示しているときに、長助が訪ねてきた。
「登勢、聞いたか? 瑞波様のお子が大人になるまで、俺たちは誠の下僕のまま――って話、瑞波様も甚兵衛の旦那ももう納得ずくらしいぜ」
「知ってるよ、それは。私だってその場に居合わせたんだから」
「けどよ、登勢、腹の底じゃ納得してねえんだろ? 姫のお子が成人するまで、何十年も飼い殺しにされるだけなんてよ」
登勢の指図する声が止まる。
「……確かに、納得はしていないよ。だけど、瑞波様ご自身が良いとおっしゃっているんだ。私が口を挟めることじゃないよ」
「姫は誠に惚れ込んじまってるから、そりゃ本音は言えねえだろうよ。甚兵衛の旦那だって、誠の腕を認めちまって、すっかり丸め込まれてる。このままじゃ、姫の血筋は誠の下僕のまま終わっちまうぞ」
「そんなことは言われなくても分かってるよ……」
「登勢、ここだけの話、姫を連れてこの里を出ないか? 男衆から4人同行してくれることになっている。登勢が声をかければ側仕えも何人かついてくるだろう?」
登勢はしばらく黙り込んでいたが、やがて小さく息を吐いた。
「……そうだね。このままここにいたら、瑞波様の御血筋は本当に誠の下僕のまま終わりそうだね。それじゃ、ご当主様に合わせる顔がないよ。分かった、声をかけてみる」
「頼んだぞ、登勢。詳しいことが決まったら連絡いれるからよ」
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「おい、アンタら知ってるか?」
権六(46歳)、佐吉(38歳)、伝蔵(39歳)が漁を終えて浜に上がったところで、長助が声をかけてきた。3人が振り返るより先に、長助は続ける。
「誠のやつが言ってたんだけどよ、蒸気エンジンとやらが完成したら、もう漕ぎ手は要らなくなるってよ」
「はあ? じゃあ、儂らはどうなるんだよ?」
真っ先に噛みついたのは、3人の中でも年長の権六だった。
「もう船には乗せねえで、陸で農作業専属にするって話だ」
「船乗りを馬鹿にしやがって!」
権六が舌打ちすると、佐吉も苦い顔で頷いた。
「なあ、アンタら、姫を連れてこの里を出る計画があるんだけど、一緒に来ないか? もし来るんだったら、お家再興した暁には幹部の座は約束するぜ」
「わかった、もう誠にはついて行けねえ!」
権六が即座に言い放つと、佐吉も「儂もだ」と短く頷いた。伝蔵も黙って頷く。三人の心は、この時、もう決まっていた。
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「畜生、いつまで木を寝かせとくつもりだ……」
卯兵(37歳)は長助と同じ中堅の船大工だ。長助と違って腕がいいが、商船の建造が一向に始まらないので、少し腐っていた。一人でぼやきながら道具の手入れをしていると、長助が小声で話しかけてきた。
「なあ、卯兵、誠のやつが言ってたんだけどよ。椿に甚兵衛の旦那の技を全部教え込むつもりらしいんだよ。これがどういう意味か分かるか?」
「……それって、その時には俺らは用済みってことか?」
「まあ、そうなるよな。俺たちの腕なんざ、いつでも取り替えが利くってことだ。所詮、余所者の海賊上がりは信用されてねえのさ」
卯兵は鑿を握る手を止めた。
「……お前の言い分は分かった。それで?」
「ここだけの話だがよ、姫を連れて里を出る計画があるんだけど、お前も来るか? 里の女も何人か攫っていく計画だからよ、いい思いもできるぜ」
卯兵の目の色が変わった。道具を置く手つきに、さっきまでの腐った様子はもうない。
「……女も、攫うのか」
「ああ。誠に義理立てして飼い殺しにされるより、よっぽど実入りがあるだろ?」
卯兵は舌なめずりするように口の端を歪めた。
「……分かった。乗った」
三日と経たない間に、長助は男衆と側仕えの数名を密かに引き入れていた。
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その頃、里ではこんな噂がひそかに囁かれていた。洗濯物を干しながら、澪と紬が他愛のない世間話に興じていた。
「ねえ紬、気づいてた? 瑞波、最近誠に話しかけられると、様子が変なのよね」
「え、そうなの?」
紬が目を丸くした。
「誠が近くに来ると、心なしか声が上ずるっていうか……この間なんて、名前を呼ばれただけで顔を赤くしてたわよ」
「えー! 瑞波ちゃん、お兄ちゃんのこと好きなのかな!」
「さあ、どうかしらね。でも、あれだけ分かりやすかったら、誰でも気づくと思うわ」
紬は嬉しそうに頬を緩めた。
「もし本当だったら、今度こっそり聞いてみようかな」
「やめときなさいって。瑞波だって、まだご自分でも整理がついてないでしょうから、そっとしておいてあげましょう」
澪はそう言いながらも、どこか楽しげに笑っていた。
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それから数日後の夜、澪と紬は、夜の厠へ向かう道すがら、珠(21歳)に呼び止められていた。珠は瑞波の護衛を担当している武芸に秀でた側仕えの一人である。
「澪様、紬様、少しよろしいでしょうか」
「珠? こんな時間にどうしたの」
「実は、瑞波様から内々にお話があると。誠様のことで、ご相談したいことがあるそうです。千鳥と一緒に、入江の小屋で待っているとのことで」
千鳥(19歳)も瑞波の側仕えで、裁縫・炊事など実務全般に長けていた。
「え、お兄ちゃんのこと!? 瑞波ちゃん、お兄ちゃんのこと好きなの!?」
紬が目を輝かせて食いついた。澪も、思わず口元がゆるむのを隠せなかった。
「あら……瑞波がそんな相談を。断る理由はないわね」
「ただ、夜分に人目のない場所へお二人だけで、というのも心配ですので、私が道中の護衛としてお供します。瑞波様のご指名です」
「珠がいるなら安心ね。じゃあ、行きましょう」
3人は松明を手に、夜道を歩き出す。里から離れるにつれ、周囲は木々に囲まれ、月明かりすら心もとなくなっていった。
「珠、こんな時間に女だけで出歩くの、初めてかも。ちょっとワクワクするね」
「紬様は、本当にお元気ですね」
「だって、瑞波ちゃんに千鳥、お姉ちゃん、珠――年もバラバラの女5人で色恋の話だよ? きっと私たちだけじゃ絶対出てこない話が聞けるはずだもん!」
「紬ったら、気が早いんだから」
澪もつられて笑った。
「珠は、誰か好きな人とかいないの?」
「私は、そういったお話には、あまり縁がなく……」
「またまた、隠さなくたっていいのに」
他愛のない話に花を咲かせながら、三人の足取りは自然と弾んでいた。
珠は柔らかく笑いながら、ふと、紬の後ろ髪に視線をとめた。
「紬様、髪に何か……虫か、木の葉でも付いているようです。じっとしていてください」
「え、やだ、取って取って!」
紬が素直に背を向ける。珠は澪に、さりげなく声をかけた。
「澪様、少しの間、松明を持っていていただけますか」
「ええ、いいわよ」
澪が両手で松明を受け取った、その瞬間だった。珠の腕が紬の首元に回り、抜き放たれた小太刀の刃が、白い喉元にぴたりと添えられた。
「珠……?」
紬の声が、恐怖に強張った。
「澪様、動かないでください。声も、上げないでいただけますか」
「珠っ、何のつもり――」
「動けば、紬様の喉を掻き切ります」
淡々とした声だった。だが、その手はわずかに震えている。松明を両手に持ったままの澪は、とっさに剣を抜くこともできず、その場に立ち尽くすしかなかった。
「珠、なんで……こんなことするのよ!」
「申し訳ございません。私にも、お仕えしなければならない筋というものがございます」
そのとき、闇の奥から複数の足音が近づいてくる。松明の明かりに照らし出されたのは、縄で縛られ猿轡を噛まされた瑞波と、それを取り囲む海賊の男衆だった。
「瑞波ちゃん!?」
紬が声を上げかけたが、珠の腕にさらに力がこもり、喉元の刃が肌に触れた。
「紬様、お静かに」
瑞波は、悔しさと恐怖の入り混じった目で、澪と紬を見た。声を出すことすら許されない自分の状況に、唇を強く噛みしめていた。
長助が、悠然とした足取りで前に出た。
「よう、嬢ちゃんたち。悪いが、大人しく一緒に来てもらうぜ。抵抗しなけりゃ、痛い目には遭わせねぇから安心しな」
男衆の一人が下卑た笑いを浮かべながら、澪と紬の体をじろじろと眺め回した。
「へへ、上物じゃねえか。船に乗せちまえば、誠のやつもさすがに手が出せねえ。沖に出るまでの辛抱だ」
その視線だけで、澪も紬も、これから自分たちの身に何が起ころうとしているのか、嫌でも悟らされた。




