第八話
その日の放課後。
絵里はスマホの画面を見つめたまま、教室で固まっていた。
『今日、このあと空いてる?』
俊哉から届いたメッセージ。
たったそれだけの文章なのに、心臓がうるさい。
放課後。
一緒に。
その意味を考えるだけで、胸の奥が熱くなる。
「……どうしたの?」
隣から愛歌が覗き込んでくる。
絵里は慌ててスマホを伏せた。
「な、なんでもない!」
「ふーん?」
愛歌は完全に疑っている顔だった。
「もしかして、塩江くん?」
「違う!」
「顔に書いてあるけど」
「うそっ!?」
絵里が本気で焦ると、愛歌は吹き出した。
「冗談だって」
「もう……!」
顔が熱い。
こんなに感情が表に出る自分なんて知らなかった。
愛歌は笑いながらバッグを肩に掛ける。
「で? 行くの?」
「……まだ返事してない」
「行きたいんでしょ?」
「……」
図星だった。
行きたい。
俊哉と一緒にいたい。
もっと話したい。
もっと知りたい。
そんな感情が、胸の奥でどんどん膨らんでいく。
でも。
怖かった。
こんなに急に誰かへ惹かれていく自分が。
愛歌は小さくため息を吐いた。
「絵里ってさ」
「……何」
「寂しい人に弱いよね」
その言葉に、心臓が止まりそうになる。
図星だった。
優しくされると弱い。
必要とされると、嬉しくなる。
だからこそ怖い。
「……別に」
絵里は誤魔化すように視線を逸らした。
愛歌はそれ以上何も言わなかった。
ただ最後に、
「泣く恋だけはしないでね」
とだけ呟いて、教室を出ていった。
静かになった教室。
窓の外では夕陽が校舎を赤く染め始めている。
絵里はスマホを握りしめた。
数秒迷ってから、ようやく返信する。
『空いてるよ』
送信。
その瞬間、心臓が大きく鳴った。
すぐに既読が付く。
『よかった』
その後に続けてメッセージが届く。
『駅前で待ってる』
絵里は急いで教室を飛び出した。
階段を降りる足が軽い。
こんな気持ち、初めてだった。
校門を抜け、駅前へ向かう。
夕暮れの街。
制服姿の学生達。
車の音。
信号機の電子音。
その全てが、今日は少しだけ輝いて見えた。
駅前へ着くと、俊哉はすぐに見つかった。
電柱にもたれながらスマホを見ている。
その姿を見た瞬間。
胸が締め付けられる。
かっこいい、と思った。
俊哉は絵里に気づくと、小さく手を振った。
「早かったね」
「俊哉くんこそ」
「会いたかったから」
さらりと言う。
まるで特別な意味なんてないみたいに。
でも。
その一言だけで、絵里の心は簡単に揺れる。
「……そういうこと、普通に言うんだ」
「本当のことだし」
俊哉は笑う。
その笑顔が眩しすぎて、絵里はまともに見れなかった。
「どこ行くの?」
「内緒」
「え?」
「ついてきて」
俊哉は自然に絵里の手首を掴んだ。
触れられた瞬間、身体が熱くなる。
人混みの中を歩く。
繋がれているわけじゃない。
でも。
その距離が妙に特別だった。
やがて俊哉が立ち止まる。
「ここ」
顔を上げる。
そこは、小さなライブハウスだった。
「ライブハウス?」
「うん。好きなバンドいるんだ」
俊哉は少しだけ少年みたいに笑う。
その表情を見た瞬間。
絵里は思う。
もっと知りたい、と。
この人のことを。
もっと。
もっと。
――でも。
恋は時々、知りすぎた瞬間から壊れ始める。
この時の絵里は、まだそれを知らなかった。




