第31話
小町が息を切らしながら階段を駆け上がると、俊哉は最上階にある屋上の扉を開き、その向こうへ姿を消した。
「ま、待ってよ!」
小町も慌てて後を追う。
重い扉を押し開けた瞬間――
眩しい光が視界いっぱいに広がった。
「っ……!」
思わず目を閉じる。
だが次の瞬間、春のやわらかな風が頬を撫でて通り過ぎた。
その心地よさに誘われるように、ゆっくりと目を開く。
そこは学校の屋上だった。
高いフェンスの向こうには青空がどこまでも広がっている。
雲ひとつない春の空。
遠くから聞こえる街のざわめき。
風に揺れる髪。
まるで別世界のような静かな場所だった。
そして――
屋上の中央には俊哉が立っていた。
フェンスにもたれながら、空を見上げている。
その横顔はどこか寂しそうで。
どこか苦しそうで。
だけど同時に、とても穏やかだった。
小町は思わず立ち止まった。
『塩江くん……』
声を掛けようと思った。
だけど掛けられなかった。
今の俊哉は、誰にも触れられたくない世界の中にいるように見えたから。
ただ見ていることしかできなかった。
風が二人の間を静かに通り抜ける。
しばらくして。
俊哉がゆっくり振り返った。
「ごめん。待たせた?」
突然声を掛けられ、小町の心臓が跳ねた。
「えっ?」
思わず変な声が出る。
俊哉は少しだけ笑った。
「追いかけてきたんだろ?」
「う、ううん! 全然!」
慌てて首を振る。
そして誤魔化すように空を見上げた。
「空……綺麗だね」
見上げた先には、どこまでも続く青空。
春の光が眩しかった。
俊哉も再び空を見上げる。
「そうだろ」
優しく微笑んだ。
けれどその笑顔はどこか切ない。
「ここさ……」
俊哉は小さく呟く。
「母さんのお気に入りの場所だったんだ」
その言葉に小町は目を瞬かせた。
「お母さん?」
俊哉は静かに頷く。
風が吹く。
俊哉の前髪が揺れた。
「嫌なことがあると、よくここに来て空を見てたらしい」
そう言って俊哉は胸ポケットから先ほどの古い写真を取り出した。
大切そうに。
壊れ物を扱うように。
写真の中には若い女性が写っている。
優しそうな笑顔。
どこか俊哉によく似た目元。
小町はようやく気付いた。
『あの写真の人……』
「もしかして……」
俊哉は写真を見つめたまま小さく笑う。
「うん」
そして――
「俺の母さんだよ」
その声は驚くほど優しかった。
だけど同時に、どうしようもない悲しみを抱えているようにも聞こえた。




