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第23話

 リビングに重たい空気が張りつめていた。


 ソファに腰かけた香奈は、鋭い眼差しで俊哉を見据えている。


 その視線には、母としての厳しさと、拭いきれない不安が滲んでいた。


「俊哉」


 低く、静かな声。


 だが、その声音には逆らえない圧があった。


「あなた、佐奈を置いてどこへ行っていたの?」


 俊哉はぴくりと肩を震わせる。


 返事をしない息子を見つめたまま、香奈はさらに問いを重ねた。


「……まさか」


 一瞬、言葉を切る。


 そして、確かめるように口にした。


「あの人――夏目幸隆のところへ行っていたんじゃないでしょうね?」


 その名を聞いた瞬間、俊哉の表情が強張った。


 図星だった。


 それだけで十分だった。


 香奈は静かに目を閉じ、小さく息を吐く。


「やっぱり……」


 俊哉は視線を逸らし、唇を強く噛みしめた。


「……どこへ行こうと、俺の勝手だろ」


 絞り出すような声だった。


「母さんには関係ない」


 その言葉に、香奈の眉がぴくりと動く。


「俊哉!」


 鋭く叱責する。


 けれど俊哉はそれ以上何も言わず、香奈を避けるように背を向けた。


「待ちなさい!」


 香奈が立ち上がる。


「話はまだ終わっていないわ!」


 だが、俊哉は振り返らなかった。


 足早に廊下を進み、そのまま自室へと消えていく。


 バタン、と扉の閉まる音。


 それが家中に虚しく響いた。


「……もう」


 香奈はその場に立ち尽くしたまま、大きくため息をつく。


 怒りではない。


 どうしようもない切なさが、胸に広がっていた。


 俊哉と香奈の間には、血の繋がりがなかった。


 香奈にとって佐奈は、紛れもなく実の娘だ。


 だが俊哉は違う。


 俊哉の実の母・美奈――香奈の姉は、俊哉を産んですぐに息を引き取った。


 まだ若かった香奈は、生まれたばかりの甥を見て強く思った。


 この子を一人にはできない、と。


 そうして香奈は俊哉を引き取り、自分の子として育てることを決めた。


 やがて結婚し、佐奈を授かった後も、その想いは変わらなかった。


 俊哉も佐奈も、同じように愛してきた。


 けれど――


 俊哉の胸の奥に巣食う“父への憎しみ”だけは、どうしても消してやれなかった。


「美奈お姉ちゃん……」


 香奈はぽつりと呟く。


「私は、あの子をちゃんと守れているのかしら……」


 返事はない。


 静まり返ったリビングに、その言葉だけが溶けていった。


 ――翌朝。


 小町は昨夜のことを思い返しながら、重い足取りで教室へ向かっていた。


 俊哉の悲しげな顔。


 突然の抱擁。


 そして何も言わず去っていった背中。


(何があったんだろう……)


 考えても答えは出ない。


 それでも、気になって仕方がなかった。


 教室の扉を開けた瞬間――


「え……?」


 小町は足を止めた。


 教室の中が、妙にざわついていた。


 いつもの朝の雑談とは違う。


 ひそひそと囁き合う声。


 ちらちらと何かを見つめる視線。


 ざわめきの中心は、明らかに一つの話題に向けられている。


(どうしたの……?)


 戸惑っていると、クラスメイトたちの視線が一斉に小町へ向いた。


 その空気に、小町の胸がざわつく。


 すると、人混みをかき分けるようにして愛歌が近づいてきた。


 だが、その表情はいつもの勝ち気なものではない。


 どこか怯えたような、不安げな顔だった。


「ねぇ……小町」


 愛歌が恐る恐る口を開く。


 その声音に、小町は思わず身を固くした。


「……これ、見た?」


 愛歌が差し出した一枚の紙。


 それを見た瞬間、小町の鼓動が凍りついた――。

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