第20話
「俊哉くん! 待って!」
人混みをかき分けながら、小町は必死に叫んだ。
けれど俊哉は振り返らない。
まるで何も聞こえていないかのように、ただ前だけを見て歩き続けている。
その背中は、どこか壊れてしまいそうなほど危うく見えた。
「俊哉くん!」
もう一度。
今度はさっきよりも強く。
声が掠れるほど叫ぶ。
その声にようやく気づいたのか、俊哉の足がぴたりと止まった。
小町は息を切らしながら、その背中へ追いつく。
「はぁ……はぁ……っ」
肺が苦しい。
胸が痛い。
それでも、小町は俊哉から目を逸らさなかった。
「どうして……こんなところにいるの?」
問いかける。
俊哉はゆっくりと振り返った。
その顔を見た瞬間、小町は息を呑む。
そこにいたのは、いつもの穏やかな俊哉じゃなかった。
ひどく傷ついた顔。
何かを必死に押し殺しているような、痛々しい表情。
俊哉は何も答えない。
ただ、小町を見つめたあと、すぐに視線を逸らした。
「……何があったの?」
小町は一歩近づく。
問いかける声は自然と優しくなっていた。
問い詰めたいわけじゃない。
ただ、知りたかった。
どうしてそんな顔をしているのか。
どうして、ひとりで苦しそうにしているのか。
俊哉はしばらく黙っていた。
唇を噛み締める。
拳を震わせる。
何かを言おうとして、言葉が出てこない。
やがて。
俊哉はゆっくりと小町へ歩み寄った。
「……俊哉くん?」
次の瞬間だった。
ふわり、と。
俊哉の腕が小町を包み込んだ。
「――っ」
突然のことに、小町の身体が硬直する。
俊哉の胸に顔が触れる。
耳元で、荒い呼吸が聞こえた。
強く。
ぎゅっと。
まるで何かに縋りつくように、俊哉は小町を抱きしめていた。
『え……?』
小町の頭が真っ白になる。
何が起きたのか理解できない。
ただ、俊哉の体温だけがはっきりと伝わってくる。
「ど、どうしたの……?」
震える声で尋ねる。
すると俊哉は、小町の肩へ額を預けたまま、小さく呟いた。
「……ごめん」
その声は、今にも消えてしまいそうなくらい弱かった。
「少しだけ……このままでいさせて」
切実だった。
助けを求めるような。
泣きそうな声だった。
小町は言葉を失う。
訳が分からない。
何があったのかも知らない。
どうして自分なのかも分からない。
なのに――。
拒むことができなかった。
俊哉の腕の震えが、彼の苦しさを伝えていたから。
小町はそっと目を伏せる。
胸の鼓動が激しく高鳴る。
うるさいくらいに。
自分でも怖くなるほどに。
(どうして……こんなにドキドキするの……?)
顔が熱い。
呼吸が浅くなる。
けれど、不思議と嫌じゃなかった。
むしろ。
この人を放してはいけない気がした。
しばらくして。
俊哉の呼吸が少しずつ落ち着いていく。
やがて彼は、名残惜しそうに腕をほどいた。
「……ごめん」
俊哉は俯いたまま、小さく謝る。
小町はまだ鼓動の速さが収まらない。
それでも、俊哉の顔を見つめた。
「……何があったの?」
今度はもっと優しく。
そっと問いかける。
俊哉はしばらく沈黙したあと、ゆっくり顔を上げた。
その瞳は、今にも泣き出しそうに揺れていた――。




