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第19話

 俊哉は、込み上げてくる怒りと悲しみを必死に押し殺していた。


 胸の奥が焼けるように熱い。


 それなのに、指先だけが冷たく震えている。


 目の前にいる男――夏目幸隆。


 この男こそ、自分と母を捨てた張本人。


 ずっと会いたかった。


 いや、本当は違う。


 会いたくなどなかった。


 けれど、確かめずにはいられなかった。


 自分は何だったのか。


 母はなぜ泣き続けていたのか。


 その答えを、この男の口から聞きたかった。


 俊哉は震える拳を握りしめ、一歩踏み出した。


「……まだ白を切るつもりか」


 低い声だった。


 だが、その奥には抑えきれない激情が滲んでいる。


「あなたは知っていたはずだ」


 俊哉は幸隆を真っ直ぐ睨みつける。


「母を捨てる前に――」


 唇が震える。


 それでも言葉を絞り出した。


「母のお腹の中に、俺がいたことを」


 その瞬間。


 幸隆の表情が僅かに揺れた。


 ほんの一瞬だけ、瞳が見開かれる。


 だが、それもすぐに消える。


 彼は何事もなかったように表情を整えた。


「……知らんな」


 冷たい声。


 まるで事務的な報告をするかのような口調だった。


「帰ってくれ」


「……っ!」


 俊哉がさらに詰め寄ろうとした、その時。


 幸隆はデスクの受話器を取り上げた。


「警備を」


 短い一言。


 それだけだった。


 数秒後、屈強な警備員が二人、部屋へ駆け込んでくる。


「お客様、お引き取り願います」


「離せ!」


 俊哉は腕を振り払おうとする。


 だが、大人の力には敵わない。


 そのまま無理やり腕を掴まれ、部屋の外へ引きずり出された。


「放せよ!」


 叫んでも、誰も答えない。


 エレベーター。


 ロビー。


 そしてビルの外。


 乱暴に突き放され、俊哉はよろめきながら歩道へ膝をついた。


「……くそっ」


 唇を噛む。


 悔しさで、視界が滲む。


 顔を上げると、巨大なビルが目の前にそびえ立っていた。


 まるで自分を嘲笑うかのように。


 俊哉はそのビルを睨みつける。


 だが次第に、その瞳に宿っていた怒りは、深い哀しみに変わっていった。


(……何を期待してたんだ)


 認めてもらえると、どこかで信じていたのかもしれない。


 父親として、一言でも。


 せめて母への謝罪でも。


 けれど何もなかった。


 ただ拒絶された。


 俊哉はうつむいたまま、その場を後にした。


 その頃。


 小町は雑踏の中を必死に走り回っていた。


 人混みをかき分け、何度も辺りを見回す。


「どこ……?」


 額に汗が滲む。


 息が切れる。


 それでも足を止められなかった。


 確かに見たのだ。


 俊哉にそっくりな横顔を。


(絶対、俊哉くんだった)


 なぜここにいたのか。


 なぜ佐奈の看病をしていないのか。


 その疑問が胸の中で膨らみ続けていた。


「もう……どこ行ったのよ……!」


 苛立ちを滲ませながら顔を上げた、その時。


 ビルの正面玄関から、一人の青年が飛び出してきた。


 乱れた髪。


 険しい横顔。


 どこか傷ついたような表情。


 間違いない。


 俊哉だった。


「――いた!」


 小町の胸が跳ねる。


「俊哉くん!」


 叫ぶ。


 けれど俊哉は気づかない。


 いや、気づけないほど何かに追い詰められているようだった。


 そのまま小町のすぐ横を走り抜けていく。


「ちょっと!」


 小町は思わず歯を食いしばる。


「なんで気づかないのよ……!」


 悔しさと焦りが入り混じる。


 だが、立ち止まっている暇はなかった。


 小町は俊哉の背中を追って、再び走り出した――。

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