お婿さん候補
透は帰国後、理事長室にじっと座っていると、メンバーが遊びにきたり、色々と思い出してしまったりするため、しばらく体を動かして仕事をする事に決めた。
幼稚園でちょうど産休に入る先生と、その間に来てくれる先生の時期が合わず、空白の時間が出来てしまうと聞き、園長に頼んでしばらく、穴埋めでバイトと偽ってサポートとして入る事にした。産休に入る先生は担任ではなく副担任なので、幼稚園で教えた事のない透には、幾分気が楽だった。
幼稚園では理事長として出る幕がなかった為、ほとんど顔を出していなかったせいもあり、顔も知られていない。
園長からは、バイトとして入る事を引き受ける代わりに、トラブル防止の為「左手の薬指に指輪をして来てください」と言われた。
幼稚園の先生は、比較的若い女性が多い。園長先生が、次の先生が来るまでの繋ぎで入る「透先生」です、と紹介すると、わっと集まってきて、プライベートな質問で透を辟易させた。
意図していなかったが、透は左手に重ねていた右手を頭にやった。指輪が見えた途端、質問が止まった。若い先生たちは一瞬、気まずそうな顔をした。それでも、力仕事は言うに及ばず、先生達は何かというと、透を呼んだ。
送り迎えに来る、まだ若い母親たちからも、すぐに名前を覚えられた。バイトで担任ではないのに、わざわざ透に今日の子供の様子を聞きにくる母親も出てきた。透は、すぐに子供たちの名前を覚え、その子の1日の行動の主に良かった点を伝えた。自分の子供を、きちんとみていてくれる事を喜ばない親はいない。送り迎えの時間になると、透の周りには、いつも子供たちとその母親がいた。幼稚園ではまだまだ男性の先生は10%に満たない。そうでなくても、透は好かれる要素が揃っている。指輪をしていなければ、いろいろと面倒な事になっていたかもしれない。
男の子は体力が必要な、ダイナミックな遊びが大好きな為、透のところに来る。女の子は、初めはもじもじしていても、すぐにべったりくっついてくる子が多かった。
いつも、ポツンと一人で遊んでいる女の子がいた。透も声をかけたが、無視され続けた。男性が苦手な女の子もいる為、無理に他の子たちとの遊びに誘わないが、目の端に入れておいた。
ある日、透はその子が木に登って降りられなくなっているのを見つけた。子供は降りる事を考えずに高いところに登ってしまう。透が声をかけても無視する子なので、男性が苦手なのだろうと、受け止め役を他の先生にお願いした。
しかし、どの先生が声をかけても、その子は首を横に振っている。教室の方から、「お昼の時間ですよ」と声がかかると、その子はお腹が空いたのか、やっと降りる気になった様で座っていた枝から立ち上がった。途端に、足を滑らせた。
透には、レイラが手すりから身を躍らせた光景と重なった。体重が軽いせいなのか、スローモーションの様に見えた為、易々とその子を受け止める事が出来た。
「透、ありがと」
その子は透の名前を知っていたようで、初めて口をきいた。その子の名前は玲奈と言う。透は知っていたから、あえて名前を呼ばない様にしていた。
しかし、滑り落ちた玲奈を受け止めてから、ウサギ組の玲奈は、「透、透」と呼び捨てにし、いつもまとわりつくようになった。
透は最初、レイラを思い出すため、名前を呼ぶ事に抵抗を感じた。しかし、毎日まとわりついてくるのに、名前を呼ばないわけにもいかず、誤魔化すように「れなちゃん」と呼ぶ事にした。玲奈は最初こそ、「れいな、だもん!」と抗議していたが、そのうち諦めたようだ。玲奈があまりにも透にべったりとくっついている為、他の先生が声をかけた。
「玲奈ちゃん、私とこっちで砂遊びをしましょう」
「嫌!! 玲奈は透と一緒に遊ぶの。玲奈は大きくなったら、透のお嫁さんになる!」
透は笑いながら答えた。
「れなちゃんが大きくなったら、私はもうおじいさんだよ?」
「すぐに大きくなるから、良いの!」
「しょうがないなぁ」
他の先生達に呆れられながらも、玲奈が離れない為、透は離れない玲奈を、おんぶしたまま他の子達と遊んだり、手を繋いだまま用具を片付けたり、他の子のトイレに付き添ったりしていた。
3学期からほとんど理事長室にいない透の様子を見に、匠は幼稚園まで来た。玲奈の名前と様子を見て、自分の母にそっくりだと思ったが言わなかった。今はレイラの名前を聞きたくないだろうと思ったのだ。思い出さないはずはないとも思った。
「玲奈〜!」
「ほら、れなちゃん、お母さんが迎えに来たよ」
「透、おろしちゃダメ。お母さんのところまで、おんぶして行って」
玲奈の母親は目鼻立ちのすっきりした綺麗な人だ。玲奈も母親に似て、整った顔立ちをしている。
「透先生、すみません! 玲奈がいつもわがままばかりで……」
「いえいえ。ほら、もう帰る時間だよ。今日は、折り紙でウサギを上手に作れたんだよね」
玲奈の母親に聞かせる様に、透が玲奈に言うと、玲奈は嬉しそうに頷いた。背中から降りた途端、透の前に回って、抱っこをせがむ。
「じゃあ、門のところまで、ね」
透は玲奈を抱き上げ、門の所で降ろした。
「また明日」
玲奈は涙目になった。母親は玲奈が泣き出す前に慌てて、手を引いて去って行った。玲奈が去ったのを見て、匠が透に声をかけた。
「透ちゃん、今の子の名前……」
「あ、れなちゃん?」
透が「れいな」ではなく「れな」とわざと呼んでいる事に気づいて、それ以上言わない事にした。透はそんな匠に気づいて、頭をくしゃりと撫でた。
「すごく好かれているね。幼稚園児にモテモテだね」
「まぁね、将来のお婿さん候補だからね。でも年齢から言えば、匠の方が歳が近いから譲ってあげようか?」
「幼稚園児にモテても嬉しくないし。たまには一緒に帰ろうよ」
「そうかな? もう少し待っていてくれたら、一緒に帰れるよ」
匠はそんな事を聞きたかった訳ではないのに、と思いつつ返事をした。
「んじゃ、待ってる。」




