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夕子 ― 夕暮れの子 ―  作者: りん
episode3 ダウト
26/42

028 断片

 ややあって、コンドルがやってきた。



「日に日に荒れてくな」

「そうかな。リンドウにはご機嫌だって」

「それがご機嫌な顔かよ」





 さっきのリンドウとのやりとりを一から十まで感情的に説明してあげようかとも思ったが、夕子の口から出たのは「べつに」というそっけない一言だった。すかさずコンドルは肩をすくめてみせる。夕子も肩をすくめる。二人は顔を見合わせ、コンドルは笑い、夕子は太い息を吐いた。





「調子は?」

「絶好調」

「オールホワイトとまだ会ってないのか?」





 一瞬の間。

 訊き返そうとして、夕子はやめた。かわりにベッドのシーツを軽く叩いてみせる。片腕を上げてスーツの上着を脱ごうとしていたコンドルが振り返り、微かに眉根を寄せたが静かに腕を下ろし、近寄ってくる。夕子がもう一度ベッドを叩くと、コンドルは素直にそれに応じた。


 しばらくのあいだ、夕子とコンドルは肩を並べてベッドの中央に腰かけ、正面のドアをぼんやりと眺めていた。





「おまえら噂になってんぞ」

「噂? ここの人たちってそんなに暇なの?」

「拗ねんなって。ついにおまえの血がまずいって愛想尽かされたか?」

「なにそれ、噂って……」





 そこで夕子は言葉を切った。コンドルが片眉を上げて無言で続きを促してきたが、夕子はため息混じりに首を横に動かして、「やっぱいい」とだけ返す。



 どうやら知られているらしい。それもあんな辺鄙なところにある造血所に届くぐらいだ、屋敷中で噂されていると考えてもいい。正確な内容は知りたくもないが、夕子とグイドがしばらく会ってないことはもはや周知の事実というやつなのだろう。さきほどのリンドウの態度もこれで腑に落ちる。使用人たちに噂されていては格好がつかないからどうにかしてくれと、グイドに頼まれでもしたのだろう。


 難しい顔をしてこちらを見つめるコンドルに気づき、夕子は軽く手を振ってやめてくれと伝えた。





「どこぞのチョロ毛なんて知りません」

「なにがあったんだよ。そんなにまずいのか?」

「ちがいますー。私が避けてんの」

「なんでだよ」

「べつに?」

「まずいんだな」

「もう!」





 夕子のパンチを肩に受けたコンドルがくぐもった笑い声を洩らす。からかわれているのだ。不思議と悪い気はせず、毒気が抜かれていくように怒る気力がみるみるなくなっていく。

 夕子はうしろに手をついて天井を仰いだ。隣のコンドルもそれに倣う気配がしたが、見上げたところでなにもないからか、すぐに顔を戻すのがわかった。


 ずいぶんと経ってから、なるべく軽い調子を装って、夕子は言った。





「だってさ、私以外の血も飲めるでしょ?」

「当たり前だろ?」





 不思議そうにコンドルは眉を寄せる。

 そう。当たり前だ。少し考えればわかることを真に受けていた自分がバカなだけ。


 だよね、という呟きは自分でもそれとわかるほど弱々しいものだった。コンドルにも気づかれただろう。微かにベッドの軋む音がして、俯いた夕子の頭に大きな手が降り、髪をぐしゃぐしゃに乱された。





「アイツと会えなくて寂しんだな」

「やめてよ。そんなんじゃない」

「はんっ。寂しいのはこの部屋だけだってか」

「え? ああ……」





 と、コンドルの視線を辿り、夕子はふっと笑う。


 おそらくリンドウの仕事だろう。つい先日までテーブルに載せられていた花瓶が空になり、壁際のチェストの隅に追いやられ、置物になっていた。バラはだいぶ前に枯れていた。グイドから贈られたと打ち明けたことはなかったが、やはりバラといえばローズガーデンを所有するグイドと結びつくのか、コンドルには贈り主がお見通しだったようだ。



 夕子はおもむろに腰を上げ、チェストに近づいた。





「いいよべつに。花とか興味ないし」

「おい落とすなよ」

「へいき……あれ?」





 ぐっと右手を伸ばして白い花瓶を引き寄せたとき、引っかかる光景が視界に飛び込んだ。花瓶を脇にどけ、両手で身体を支えるようにして上体を乗り出し、夕子は目を細める。

 すぐに、うしろから不審そうな声が上がった。





「なんかあったか?」

「うーん……」

「なんだよ」





 面倒くさそうにコンドルが腰を上げる気配がしたので夕子は慌てて振り返り、「なんでもない」と押しとどめようとした。それがいけなかった。花瓶を前方に移動したのをすっかり失念していて、軽く腕が当たっただけで、真っ逆さまに花瓶は落下した。




 がしゃん、と嫌な音がする。




 おそるおそるまぶたを開けると、渋面のコンドルと視線がぶつかった。見つめ合っているあいだにも、コンドルの眉間にどんどんしわが寄っていく。





「なにやってんだよ……」

「ちがうんだよ、壁に傷跡あったからなんだろと思って」

「ああん?」

「……ごめんなさい」





 言い訳は無用だとコンドルの目が物語っている。

 しゃがみこむ。深いため息を繰り返しながら夕子は散らばった破片を見渡した。紫のカーペットに大きな破片が三つと小片がいくつか、それに小指の爪ほどの欠片が点々としている。

 夕子は何度目かになる息を吐き出して、一番大きな破片――花瓶の口だった部分を拾おうとし、急に伸びてきた腕がそれを邪魔をした。





「バカ、触んな」

「…………」

「おい?」





 はっとして顔を上げる。おもいきり歪められた顔立ち。寄せられた眉。それでいて心配そうに揺れ動くエメラルドの瞳。それらが、瞬くたびにぼやけていく。





「なにぼーっとしてんだ?」

「なんでもない……」

「なんでもないって感じじゃねえだろ」





 黙って手元を見下ろした。

 壊れた花瓶の破片だ。それに、なぜだか瞳が吸い寄せられてしまう。目が離せない。不思議な感覚だった。これを知っている、と夕子は思う。だけどこれ・・とはなんなのかがわからない。





「……おい!」





 乱暴に両肩を掴まれて顔を上げさせられた。

 責めるような声とは対照的に、コンドルはひどく焦っているように見えた。その肩越しに見える黒いテーブルと椅子……。一瞬ふっと頭に映像が浮かんだ。すぐに消える。それがなんなのか最初はわからなかったが、急に閃いたように夕子は確信した。――椅子だ。バラバラに壊れた椅子。





「こないだ……でもちがう……?」





 自分でも無意識のうちに夕子は両手で頭を抱えていた。痛みにたえるように顔をしかめて、何かを思い出そうと必死に記憶をたどる。椅子……黒い椅子……。



 黒い――。




 瞬間また、ぱっと映像が浮かんだ。

 真っ黒な椅子だった。至ってふつうの、あえていうなら真新しい黒。ちょうどそのテーブルと同じような色をして、背もたれには、やはりテーブルと同じ小さな苺が彫ってある。それが、壊れていたのだ。脚が折れ、木片が散らばり、それから――。


 夕子は静かに視線を下げた。唾を飲み込む。




 ――そうだ、花瓶の破片も一緒だった……。




 ばっと振り返り、壁の傷跡を見ようと腰を浮かせる。が、





「あっ……おい!」





 その言葉を最後に、突如夕子の視界は暗闇に閉ざされた。



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