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夕子 ― 夕暮れの子 ―  作者: りん
episode3 ダウト
25/42

027 六月

 六月の始めは月曜日だった。

 天気はあいにくの快晴・・・・・・・


 連日開催されるお茶会は未だ雨天中止になることなく、曇りだった日は一度や二度あるかどうかで、大半が青空の広がる絶好のお茶会日和だ。それなのに天を味方につけたアリスになんの不満があるのやら、同じテーブルにつくことによって一度は軟化するかと思われた夕子への態度はますます悪化の一途を辿っていた。驚くべきことに、アリスにはまだ夕子を嫌いになる余地が残されていたらしい。



 もはやお茶会とは名ばかりであるのは誰の目から見ても明らかだったが、それでも今日まで一度も途切れることはなく、どんな意味があるかもわからない茶番劇は続けられていた。それもこれも同じように途絶えることのない、クローゼットで起こる摩訶不思議な現象のせいだ。敵は外だけでなく内にもいる。


 夕子のストレスは積み重なる一方で、もうひとつの先延ばしした問題と相まってイライラは最高潮、先週の時点で既に爆発寸前だった。



 ところが――。





「本日はご機嫌のようで」





 そう言ったのはちっともご機嫌に見えない、メイド服を着た執事のリンドウだ。

 夕子は横目で部屋の入り口の前に立つリンドウをちらりと見て、鼻先でふっと笑う。





「だって六月だよ。六月といえば?」

「来月はグイド様のご生誕月でございます」

「そう! 六月といえば梅雨! 梅雨といえば雨だよ雨!」





 じゃーんと漫画なら効果音がつきそうな手振りで窓のほうを示してみせると、リンドウの眉がぴくりと動いた。夕子はうんうんと大きく頷いてみせる。リンドウの反応も無理はない。本日も朝っぱらから青い空がまぶしいのだ。



 なにも六月に入ったからといってすぐに梅雨入りするわけではない。夕子だってそんなことは百も承知だし、そもそも肝心なのはそこではない。いうなれば、気持ちの問題だ。卓上カレンダーを眺めてため息をつく日々から、今か今かとうずうずしながら空を見上げる毎日に変わるのだから、その喜びは計り知れないということだ。フライングで結構。あとは指折り数えるだけ。両手の指すべてを折るまでにその日は確実にやってくる。





「梅雨というのはこの地域特有の雨季だと話に聞いております」

「日本の梅雨は長いよ。少なくとも二週間はアリスと会わなくてすむかも」

「アリス様との茶会をお望みでないようなら、本日のご予定は……」

「会うけどさ!」





 手元の書類になにやら書き込もうとしたリンドウに、夕子は慌てて声を上げた。ふたたび顔を上げたリンドウは無表情ながらもその瞳は静かに疑問を投げかけている。

 夕子はひとつ息を吐いて目線でクローゼットを示した。





「……しかたないでしょ。あれぜったいどっかの民族衣装だし」

「では、そのように手配致します。朝食のメニューはご覧になられますか」

「ありがとうコンドルで」

「お嬢様」





 表情に変化こそ見られなかったが、いつもは感情のない声が少しばかり尖っていた。そこに込められているのは、もちろん非難だろう。

 次に言われる言葉は、今すぐ耳をふさぎたくなるほど容易に想像がついた。





「食事なら他にも良質なものを用意しております。人間……吸血鬼……男……女……子供……大人……選りすぐりのもの五十人からお選びいただけます」

「じゃあ男で。種族は……そうだね吸血鬼で。名前は……」

「コンドル以外にも用意できるとお伝えしております」

「そのうえでコンドルがいいって言ってるの」

「お嬢様」

「やだよ」





 リンドウの視線がすっと腰の短剣に向かった。一瞬夕子の身体がびくりと跳ねたが、すぐに強気な笑みを戻し、余裕たっぷりに口端を持ち上げてみせる。その脅しは通用しないのだと告げたかった。

 次の手を考えているのか、数秒の間を置いて、リンドウは続けた。





「死にます」

「はっ? あ……出たよそれ」





 また一瞬たじろいだがすぐに持ち直す。リンドウの脅しは主にニパターンだ。視線をそれとなく短剣に誘導して遠回しに脅すか、それかダメなら言葉に頼る。こちらが動揺するような強い言葉をわざと選んでみせるのだから、悪質な誇大広告のたぐいだ。

 夕子はバカにしたように口の端で笑った。





「直接食事が摂れないと死ぬって話でしょ? だったら問題ないよ。直接コンドルの血を飲んでるんだから」

「同じ人物の血を長期間に渡って摂取すると死にます」

「初めて聞いたよ。そうやってすぐ……」

「いいえ、死よりも恐ろしいことが起こります」





 ぐいっ、と能面のような顔に迫られた気がして夕子はおもわず仰け反った。だが、リンドウは一歩踏み出しただけで、ベッドの夕子と入り口のリンドウの距離はあいかわらず三メートル近くも隔たれている。錯覚だ。


 夕子はリンドウの顔を見上げた。何を考えているのかさっぱりわからない。しかしその狙いは知っている。ついに使用人コンドルとの友情を見咎められ、引導を渡すつもりなのだろう。冗談じゃない、と夕子はリンドウを睨みつける。





「……忠告はしました。本日のところはコンドルをお連れします」

「明日もだけどね」

「もうひとつお願いがございます」





 今日はやけに饒舌だ。六月だからか。夕子にとってそうであるように、教育係のリンドウにとっても節目のようなものがあるのだろうか。


 リンドウのお願いは夕子の顔から色を奪った。





「今夜こそはそのドアを開いてください」

「……開いてるよ。このドア外鍵だし内側からかけられない」

「そういう意味ではございません。招くようにとお願いしております」

「入りたいなら勝手に入ればいいじゃん。得意ならリンドウが教えてあげれば?」





 いったいなんのことやら、といった顔をリンドウはしなかった。まったくの無表情。これはポーカーフェイスなどではなく、表情筋が死んでいるにちがいないと夕子はついに確信する。

 リンドウは至って真面目に説明した。





「古くより、吸血鬼は招かれての吸血を作法としております。ノックは問いかけです。問われたからにはきちんとお答えください。聞こえていないふりなどもってのほかです。居留守は褒められたものではありません」

「あーはいはい。わかったよ、わかりましたとも」

「もうひとつ」

「まだあるの?」





 夕子の声が苛立った。しかしリンドウは物ともせず深く頭を下げ、聞き逃しそうなほど小さな声を洩らしたかと思うと、ぱっと上体を起こし、呆然と立ち尽くす夕子を残してドアを出ていった。

 夕子はベッドで固まったままリンドウの言葉の意味を考えて考えて考えて――考えるまでもないと窓のほうを振り向いた。



 青い空。白い雲。雨の気配はまるでなし。



 じめじめとした梅雨はまだこの先なのに、夕子の気分は一足早くどんよりと沈み、憂鬱だ。





――グイド様はああ見えて臆病者にございます。





 だからなんなのだ、とすっかり言い忘れていたことに夕子はだいぶ遅れてから気づいた。



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