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夕子 ― 夕暮れの子 ―  作者: りん
episode2 ティーパーティー
24/42

026 グル

「なんだよ考え事か?」

「えっ? べつに……」





 その翌朝もここ数日と同じように、だだっ広い夕子の部屋にコンドルの姿があった。


 廊下のリンドウが遠ざかるのを足音で確認した後、いつものように挨拶を交わし、二人はベッドに移動した。きまって食事の前に軽い世間話をする。だいたいが愚痴だ。話し手は時に変わるがこの日はコンドルの独壇場となり、夕子は聞き役に徹していた。それがいけなった。ほんの数秒ほど夕子の意識がそれたらしく、抜け目がないコンドルがすかさず声を尖らせた。





「俺の話はつまんねえってか?」

「そういうわけじゃ……」

「じゃあなんだってんだよ?」





 不機嫌そうに眉をひそめるコンドルだったが、その顔には一抹の不安のようなものが見え隠れてしている。態度とは裏腹に本心では心配してくれているのだろう。

 夕子は大丈夫だという意味を込めて唇を引き結んだが、コンドルの眉間に寄ったしわはますます深まるばかりだった。だからといってこれ以上追求してこない。それがコンドルの優しさゆえか、それともさほど夕子に興味がないのかはわからないが、いちおう納得したといった形でコンドルはふんと鼻を鳴らした。





「……まぁいいけどよ。昨日はよかったな」

「なんの話?」

「よ、る、の、は、な、し、だ」





 ばーか、と音もなく唇を動かしてコンドルは自分の首元を叩いて示してみせる。

 前言撤回だ。

 夕子はふーっと大きく息を吐いて首を横に動かした。





「なんでそこに気づくかな……触れるかな……」

「ああん? 昨日は奪われなかったんだろ? もっと嬉しそうな顔しろよ。それともアレか、オールホワイトとなんかあったか?」

「べ、つ、に!」





 顔面に叩きつけるつもりで投げた枕は、コンドルによって片手で難なくキャッチされてしまった。夕子は素早く顔の前で両手を構えてみたが、勢いよく枕が返ってくることはない。この程度なら年上の余裕で流せるらしい。首をコキコキ鳴らしながらコンドルは呆れたように言う。





「わかったわかった。また勝手に服捨てられたんだろ? 今日のもすごいな。それイカか?」





 タコだった。


 白いドレスだがやけに丸まったフォルムだったし、ベッドに座っているとわからないが、裾に縫い付けられたひらひらした布は足のように長く、おまけに数えるときっかり十本だ。紛らわしくてもこれはイカというよりはタコなのだ。

 そう指摘すると、「なんで白だよ赤にしろよ。つーか謎すぎんだろ」とコンドルは吐き捨てるように感想を洩らし、夕子は軽く相槌を打った。




 確かに謎はあった。

 といっても、デザインのことでも色のことでもない。夕子が気になったのは、いったいいつこのドレスがクローゼットに仕込まれたかだ。


 犯人はグイドだ。夜中に部屋を訪ね、血を奪われた夕子が疲れて寝静まった頃合いを見計らって密やかに犯行に及ぶ。おそろくは自室に戻る直前に手早く行っているのだろう。そして朝目覚めた夕子がクローゼットの惨状に言葉もなく立ち尽くすのだ。そういうからくりのはずだった。




 ところが、昨夜に限って言えば、グイドは夕子の首筋に牙を立てることはおろか、部屋に現れることもなかった。



 いや、来たことには来たのだ。それを調子が悪いと嘯いて追い返したのは夕子だった。だからグイドは部屋の前に立っていたものの一歩も中に入ることはなく、それなのに朝起きたらクローゼットは見事な衣替えを果たしていた。つまり、どういうことなのだろう。






「あーそういえば直ったんだな」

「え?」

「ほらオレたちが壊した椅子」

「なにを今さら」





 おもわず夕子は笑ってしまった。自分で壁にぶつけて壊したくせにその発言はあまりに他人事すぎるし、さり気なく夕子を共犯に仕立てるあたりがなんともいやらしい。

 夕子の生暖かい視線を感じたのか、コンドルは急に興味を惹かれたといった風を装ってぐるりと室内に向けて顔を動かした。目新しいものは何もない。そのせいか、最後にはテーブルと二脚の椅子をしげしげと眺めることにしたらしい。つられるように夕子も視線を伸ばした。



 アンティーク調のテーブルはドアを入ってすぐ右手側、壁際の低いチェストと窓の近くにどでんと陣取ったベッドの、ちょうど真ん中に置いてある。広いこの部屋にテーブルは三つあるが、その中でもっとも脚が長い。形は丸く、大きさは二人用のコーヒーテーブルほどの小さなものだ。透明のガラスの天板にはコンドルが脱いだスーツの上着と、白い陶器の花瓶が載せられ、先日グイドに贈られた一本のバラがピンクの花びらを一枚か二枚散らしている。そのテーブルを挟んで向かい合っているのが、二脚の背の高い椅子だった。




 どちらかが新しくやってきたものだ。しかしそれを見分けるのは難しい。遠目から見ると同じ色のように見える椅子はどちらも掠れたような古めかしい黒に対して、テーブルは至ってふつうの黒。あえて特徴をいうなら、少し真新しいように見える。それに彫刻のデザインも異なった。テーブルは小さな苺が彫ってあるが、椅子のほうは両方ともぶどうだ。ひょっとしたら、どこかの部屋で同じ椅子が使われていて、それを運んできたのかもしれない。


 バツが悪そうにちらちらとこちらに向けられる視線に気づき、夕子は笑いを噛み殺しながら説明する。





「昨日きたときにはもう直ってたよ。いつだったかな……コンドルが壊したその日のうちかな。すぐに片付けて新しい椅子を運んでくれたみたい」

「あの女執事か? こえーな」

「コンドルが壊したってバレてないと思うよ」

「バレてたらこれだろこれ」





 言いながら自分の首を跳ねる仕草をする。舌をでろんと出し、目玉をひん剥き、本日も男前が台無しだ。それどころか、いつもより大サービスといわんばかりに大袈裟にやってくれたのでさらに残念なことになっている。笑い声がどちらちもなくこぼれた。


 顔を見合わせたコンドルはにやりとする。





「そんじゃ、今日も世界一うまい食事を恵んでやるとするか。感謝しろよ」

「まさか。世界一まずいの間違いでしょ」





 食事はいつにもましてあっさり終わった。

 昨夜グイドに血を奪われていない分渇きが少なかったせいだろう。それに気づいたコンドルは、もう二度と吸わせんなと乱れたスーツの襟を正しながら冗談めかして言い、夕子は黙ったまま肩をすくませて答えた。

 きっちりスーツを整えたコンドルが夕子に向き直る。





「じゃあ明日もか?」

「たぶんね。さすがにリンドウも嫌そうな顔するかな」

「それはそれで見ものだろ」





 そう言い残してコンドルは部屋を出て行った。靴音が遠ざかっていく。

 完全に音が途絶えても、夕子はしばらく突っ立ったまま閉ざされたドアを見据えていた。やがて、ほとんど無意識に言葉が口をついて出る。





「グル、か……」





 この日も三度目のお茶会が開催され、アリスの毒舌に心身ともにくたくたになりながら部屋に戻り、あとはいつもと同じように過ぎた。変わったのは、夜グイドがドアをノックする音が響いても、夕子はシーツにくるまって耳をふさぎ、居留守を使ったことぐらいだ。そうしているうちにノックの音は消え、足音は離れていった。


 そんな日々がしばらく続いた。

 そして気がつけばもう一周間もグイドに会わないまま六月を迎えようとしていた。



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