017 お茶会2
まるで明日の天気でも話すようにアリスはこともなげに言うので、夕子はすぐには反応できなかった。とりあえずテーブルの上の紅茶を口に含む。さわやかな香りのおかげでいい感じにリラックスする。それから正面に視線を戻す。――ずっと黙っていればいいのに。おとなしいアリスは人形のように可愛らしくて素直にもったいないと思った。
夕子はカップの底に浮かぶ自分の顔を見つめて内心で小さなため息をつき、それからカチャッと音を立てた。
「友達って……具体的になにすればいいの?」
おそらく他に狙いがあるはずだ。本当の目的はわからないが、友達になるというのはそのための手段なのだろう。警戒を緩めずに、かといって、表面的にでも友達になるつもりがあるというなら敵対することもないので、なるべくアリスの機嫌を損ねないように夕子は気をつけた。
結果から言うと、そう長くは持たなかった。
「話すんだよ。美味しい紅茶を飲みながら仲良く楽しくお喋りするんだ。あとはいっぱい笑えばいんじゃないかな。どう簡単でしょ? 君にとって悪い話じゃないと思うけど」
「……本気で言ってるの?」
「喜びなよ。僕が友達になってあげるんだよ。君、他に友達いないでしょ」
夕子の肩がぴくりと動く。堪えろ、と頭の中で声がした。堪えろ堪えろ堪えろ堪えろ――。
「私は、いるよ」
堪えた。半分だけ。
ところが。
「ふうん。奴隷のこと?」
嘲るように口の端を微かに持ち上げ、アリスは指の腹でテーブルを弾いた。タン、タン、タン……タン、タン、タン……ド、レ、イ……と言いたいのだろう。
胸の奥で蠢く感情を表に出さないように、夕子は必死に唇を横に結んでいた。それだけでは足りず、こっそりテーブルの陰で自分の腿をつねる。
「奴隷が友達? なかなかユニークだと思うけどダメだよそれ。奴隷は奴隷だよ」
「……奴隷じゃないけどね」
「へえ?」
「ほんとだよ。コンドルはこの屋敷の――」
「使用人もそう。あんなのは奴隷と一緒だよ」
アリスの、きれいだけど冷たいガラス玉のような瞳が鋭い光を放つ。
「教えてあげる。友達にはなれないんだよ――なってはいけないの。君はまだ僕らの仲間になって日が浅いから知らないんだろうけど、昔からそういう風に決まってるんだよ。連中はすぐ裏切る。信用すると痛い目にあうよ。君も鬼族の端くれならあまり下賎な者と関わらないことだね」
「そうかな? 少なくともさ――」
ダメだ、止まらない――腹の底から湧き上がってくる不思議な高揚感が、夕子の口を突き動かす。
「アンタよりかは友達になれそうだけどね。アンタと友達?――絶対イヤ」
「青いね」
ピキッと小さな音がした。反射的にアリスの手元に目をやった。しかしアリスは平然とした様子でカップをあおっている。白い喉が静かに上下すると同時に、またピキッと音が聞こえた。さきほどよりも小さいが今度は連続している。ピキピキピキ――たとえるなら陶磁器にヒビが広がっていくような音。夕子はパッと飛び退いた。
その瞬間、目の前に置いてあったカップが粉々に砕け散り、茶色いしぶきが白いテーブルクロスに飛び散った。
青い芝生に、カップの取っ手だった何かが落下した。
「――というより乳臭いのかな」
「っ……!」
「これだからベビーは嫌いなんだ。まあ君を嫌いな理由は他にもあるけどね」
「ほんとに友達になる気ある?」
「安心していいよ。友達にはなるよ。丁寧にお願いするのを終わりにするだけ」
「やめてよ! 次なんかしたら今度こそグイドに言いつけて――」
パチン。
そんな音が聞こえてきて、夕子は呆気に取られた。テーブルを挟んだ向かい側でアリスは冷たく嗤っている。水色の指先が青い空に向かっている。からかわれたのだ。アリスが手を下ろすのと同じタイミングで、遠くにメイドの姿を捉えた。
「座りなよ。ティーパーティーはこれからだよ」
アリスの言葉には従わなかった。夕子は棒立ちのまま相手を見据えた。壊れたカップの破片と染みでぐちゃぐちゃになったテーブルに新しいカップが置かれ、そこに熱い紅茶が注がれていくあいだも、絶対に同じテーブルにつくものかという意思を込めた目を向け続けた。しかし夕子が座らなくても構わないらしい。
再び二人きりになってアリスが切り出した話は、突拍子もないことに思えた。
「ところで僕が贈った服はお気に召したかな?」
「はあ?……いきなりなに?」
「その耳は飾りなの?」
アリスの手がすっと上がり、慌てて夕子は口をひらいた。
「気に入ってるよ! 好きなタイプのワンピースだし、こういう服欲しかったし……それに最近お気に入りの服がなくなって変なドレスばっかで、ちょうどよかったというか――」
「偶然だと思う?」
「え?」
まさか、と思う。しかしアリスだ。夕子への嫌がらせのため言葉巧みにグイドを唆し、わざとまともな服を奪っていたとしたら――。
驚きはない。それどころか腑に落ちる。なぜならグイドがそんな行動をとるようになったのはごく最近のことで、昔は――アリスと出会う前はこんな風に服で悩んだ記憶なんてなかったのだ。グイドの悪趣味はリンドウにのみ発揮されていたように思える。となれば、やはりアリスの仕業だったのか。
と思いきや、事情はまったくちがった。
「噂だよ」
「噂?」
「なんだ知らないの? 『グイド様の養女、夕子様の悪趣味にも困ったものだ。どういうわけだか奇妙な服ばかりお召しになる』――ってこの屋敷の使用人たちが触れ回ってるよ。ずいぶんと困らせてるみたいだね」
「なななにそれ! だってそれはグイドが――」
「その服もどうせすぐなくなるだろうね。隠しても無駄だよ。吸血鬼は鼻が効くんだ」
「そう、だろうけど……」
アリスの言葉はおそらく正しい。この黒いワンピースも明日には消えているだろう。そしてまた趣味の悪いドレスを着た自分と鏡越しに対面するのだ。そんな限りなくリアルな未来を想像して夕子の顔が暗くなる。
だから――次のアリスの言葉は夕子にとってまさに青天の霹靂だった。
「取引しようよ」
「冗談じゃない。いったい何させるつもり?」
「悪い話じゃないって言ったでしょ。むしろいい話だよ。――僕と友達になりなよ。そしたらこれからもこうして会うたび普通の服を贈ってあげる」
「え――?」
驚きをすっ飛ばして夕子の表情がぱっと明るくなる。しかしすぐに引き締める。耳を貸すな――と自分に言い聞かす言葉が、頭の中で虚しく響いていた。
「よく考えてみなよ。四六時中一緒にいようって誘ってるんじゃない。普通の服が欲しいときだけ、君は僕に会えばいいんだよ。ほら、断る理由なんてないよね」
「でも……アリスにとってはいい話じゃないよね?」
「僕の心配? へえ、さっそく友達になってくれたの?」
「茶化さないで」
夕子は厳しくアリスを見据える。この取引はどう考えても夕子に有利すぎる。もちろん、アリスと友達になり、これからも会うというのは夕子にとって間違いなく苦行ではある。しかしそうするだけの見返りをくれるというのだ。一方のアリスはどんなメリットがあるのだろう。嫌っている夕子と友達になるだけではなく、そんな夕子にプレゼントを贈り、喜ばせることになるのだ。とても釣り合いがとれているようには思えない。何か裏があるはずだ。きっと大きな落とし穴が待っていて――。
そんな予想はいとも簡単に裏切られた。
「大丈夫。こっちにも見返りはあるから」
「見返りって?」
「簡単な話だよ」
そう言ってアリスは気だるげに艶やかなピンクの唇を動かした。それは聞き逃してしまいそうなほど小さな声だったのに、なぜか夕子の耳元ではっきりと、いつまでも低く響いていた。
「知りたいなら教えてあげる。僕はね――」




